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ハイキング
京都・北摂
大文字山(046)登っちゃいました♫ 五山の送り火[続き] しかし・・・。
2024年08月16日(金) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:54
- 距離
- 5.7km
- 登り
- 414m
- 下り
- 406m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:49
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 4:55
距離 5.7km
登り 414m
下り 406m
17:47
9分
スタート地点
22:42
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
やっと規制解除
1時間半も閉じ込められました。
もう消防署の人以外は誰もいません。
保存会の人も・・・。
消し炭も魚のうろこみたいなのが残っているだけ(-_-;)
それでも少し大きめのものを拾います。
1時間半も閉じ込められました。
もう消防署の人以外は誰もいません。
保存会の人も・・・。
消し炭も魚のうろこみたいなのが残っているだけ(-_-;)
それでも少し大きめのものを拾います。
銀閣寺からは登山禁止になっていますが
下山するまでに100,200、300人ぐらいは登っていたような(-_-;)
わたしたちが大文字山火床のてっぺんで規制解除になったのが9時半、多分銀閣寺登山口でもこの時間に解除になったのでは。
しかし、考えてみればおかしな話
終日登山禁止になっているのに解除?
わたしが登った鹿ケ谷には登山禁止の立札はなかった
(一所懸命弁解(笑))
下山するまでに100,200、300人ぐらいは登っていたような(-_-;)
わたしたちが大文字山火床のてっぺんで規制解除になったのが9時半、多分銀閣寺登山口でもこの時間に解除になったのでは。
しかし、考えてみればおかしな話
終日登山禁止になっているのに解除?
わたしが登った鹿ケ谷には登山禁止の立札はなかった
(一所懸命弁解(笑))
こちらのバス停に移動
まだ5番のバスはありそう
しかし時計回りの203番のバスが来たので飛び乗り
運転手さんに聞いたら錦林車庫前が終点だと。
飛び降りて次に来たバスに乗る。
204番のバス、丸太町円町までは行けそう
さらに205番のバスがかなり遅れてきたので乗る。
帰宅は11時半でした。
まだ5番のバスはありそう
しかし時計回りの203番のバスが来たので飛び乗り
運転手さんに聞いたら錦林車庫前が終点だと。
飛び降りて次に来たバスに乗る。
204番のバス、丸太町円町までは行けそう
さらに205番のバスがかなり遅れてきたので乗る。
帰宅は11時半でした。
こんな風に仕上げればよいのだが
今までは師匠にお願いしていたのだが
もう師匠は登れない?
消し炭のために一人で登るのははじめて(-_-;)
さてどうする?
この消し炭
■五山の送り火 八月十六日
盂蘭盆に迎えられた「オショライサン」は、家々で丁重なもてなしを受け、八月十六日に再びあの世へ戻ってゆく。京都ではかつて、盆花やダンゴなどの供物とともに十六日の夕刻に鴨川あるいは堀川に流し、それによって先祖の霊を送るならわしがあった。五山の送り火もまた、先祖の霊を再びあの世へと送る行事である。
八月十六日の夜八時から約二十分の間に、五分間隔で東山如意ヶ岳の支峰大文字山の「大」の字から、松ヶ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)に「妙」「法」、西賀茂船山に「船」形、 金閣寺裏手の大北山の大文字山に「大」(左大文字)、嵯峨鳥居本の曼荼羅山に「鳥居」形の五つの送り火が次々と点火される。
☆送り火の起源
五山の送り火の起源は、「万灯籠」や「千灯籠」などと呼ばれた灯籠行事だと考えられる。室町時代以降に、京都と周辺地域で行われてきたとされ、あの世から戻ってきた先祖を供養し、火に照らしてあの世にお帰りいただくという、盆の特徴的な行事である。八月二十三日と二十四日に化野念仏寺で行われるも灯供養(→293頁)も、万灯籠の行事の代表例だといえる。本来はきわめて素朴な行事であったものが、大勢の人たちに見せるために風流化したのが万灯籠で、京都ではさらに大勢の人に見せるための工夫が進み、五山の送り火になったと考えられる。
それがやがて、山の斜面に火床を築き、そこに松明で大きな文字やさまざまな図柄を描くという発想が生み出されて完成した、特異な万灯籠の行事であるといえよう。やがてそれが江戸時代初期頃には、京都の夏の行事として定着したのである。 現在、五山と言いならわしているが、明治時代頃までは「い」 の字や、「一」の字、「竹の先に鈴」など、他の送り火も存在していたことが確認できる。
*大文字
ところで、大文字の「大」にはどのような意味があるのだろうか。字形の始まりについては、弘法大師空海が始めたとする説(『都名所図会」「安永九年・一七八〇年」など)や、室町幕府八代将軍足利義政が子の義尚の冥福を祈って、五山僧横川景三が定めたとする説(「山州名跡志」(正徳元年・一七一一年])、また寛永の三筆の一人近衛信尹(三藐院)の筆画であるとする説(「案内者」[寛文二年・一六六二年])など諸説があるが、「大」の字の意味としては、中国の古代仏教思想である「五大」に由来するものではないかとも考えられる。「五大」とは宇宙を構成している主要な五つの要素、地・水・火・風・空を指す。六波羅蜜寺では、毎年盂蘭盆の万灯会(夏)において本堂内に「大」の形に燈明を浮かび上がらせているが、この行事は応和三年 (九六三)に開祖である空也上人によって始められたと伝えられており、「五大」に由来するものであるとされている。
(京都検定テキスト)
■送り火のから消し
五山の送り火(↓278頁)の火床に残ったから消し(消し炭)を半紙にくるんで水引をかけて家の門口に吊るしておくと厄除け、盗難除けになるという。
また煎じて飲むと腹痛に効くといわれている。
(京都検定テキスト)
今までは師匠にお願いしていたのだが
もう師匠は登れない?
消し炭のために一人で登るのははじめて(-_-;)
さてどうする?
この消し炭
■五山の送り火 八月十六日
盂蘭盆に迎えられた「オショライサン」は、家々で丁重なもてなしを受け、八月十六日に再びあの世へ戻ってゆく。京都ではかつて、盆花やダンゴなどの供物とともに十六日の夕刻に鴨川あるいは堀川に流し、それによって先祖の霊を送るならわしがあった。五山の送り火もまた、先祖の霊を再びあの世へと送る行事である。
八月十六日の夜八時から約二十分の間に、五分間隔で東山如意ヶ岳の支峰大文字山の「大」の字から、松ヶ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)に「妙」「法」、西賀茂船山に「船」形、 金閣寺裏手の大北山の大文字山に「大」(左大文字)、嵯峨鳥居本の曼荼羅山に「鳥居」形の五つの送り火が次々と点火される。
☆送り火の起源
五山の送り火の起源は、「万灯籠」や「千灯籠」などと呼ばれた灯籠行事だと考えられる。室町時代以降に、京都と周辺地域で行われてきたとされ、あの世から戻ってきた先祖を供養し、火に照らしてあの世にお帰りいただくという、盆の特徴的な行事である。八月二十三日と二十四日に化野念仏寺で行われるも灯供養(→293頁)も、万灯籠の行事の代表例だといえる。本来はきわめて素朴な行事であったものが、大勢の人たちに見せるために風流化したのが万灯籠で、京都ではさらに大勢の人に見せるための工夫が進み、五山の送り火になったと考えられる。
それがやがて、山の斜面に火床を築き、そこに松明で大きな文字やさまざまな図柄を描くという発想が生み出されて完成した、特異な万灯籠の行事であるといえよう。やがてそれが江戸時代初期頃には、京都の夏の行事として定着したのである。 現在、五山と言いならわしているが、明治時代頃までは「い」 の字や、「一」の字、「竹の先に鈴」など、他の送り火も存在していたことが確認できる。
*大文字
ところで、大文字の「大」にはどのような意味があるのだろうか。字形の始まりについては、弘法大師空海が始めたとする説(『都名所図会」「安永九年・一七八〇年」など)や、室町幕府八代将軍足利義政が子の義尚の冥福を祈って、五山僧横川景三が定めたとする説(「山州名跡志」(正徳元年・一七一一年])、また寛永の三筆の一人近衛信尹(三藐院)の筆画であるとする説(「案内者」[寛文二年・一六六二年])など諸説があるが、「大」の字の意味としては、中国の古代仏教思想である「五大」に由来するものではないかとも考えられる。「五大」とは宇宙を構成している主要な五つの要素、地・水・火・風・空を指す。六波羅蜜寺では、毎年盂蘭盆の万灯会(夏)において本堂内に「大」の形に燈明を浮かび上がらせているが、この行事は応和三年 (九六三)に開祖である空也上人によって始められたと伝えられており、「五大」に由来するものであるとされている。
(京都検定テキスト)
■送り火のから消し
五山の送り火(↓278頁)の火床に残ったから消し(消し炭)を半紙にくるんで水引をかけて家の門口に吊るしておくと厄除け、盗難除けになるという。
また煎じて飲むと腹痛に効くといわれている。
(京都検定テキスト)
撮影機器:
感想
久しぶりに8/16夜大文字山に登りました。
何回か登ったことはあるのですがコロナ禍から登っていません。
師匠の体力も限界、今年はひとりで登りました。
夜、山越えで登ってくる人は少なくなりました。
大文字山火床のてっぺんで止められるのも想定内でしたが
以前にもまして火床に入れなく1時間半は苦痛でした。
解除されてからの消し炭も大きなものはなくちっちゃいのばかり。
下山途中登ってくる人たくさん
ほとんどの人が炭拾い
1時間半も待たされるぐらいだったら
地上で五山の送り火を楽しんでから登っても良いのではないかと考えたりしました。
しかし、登ってくる時間30分としてこの遅れは致命的、登ってきてもちっちゃい炭ばかり
どちらが良いのかわかりません(-_-;)
バスがこんなにも早くなくなるとは(-_-;)
もう少し遅くなったら帰れなかったかも・・・。
1時間半の待機はつらい!
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