台風直撃の野口五郎。橋も流されルート大幅変更で下山
- GPS
- 31:31
- 距離
- 34.9km
- 登り
- 2,829m
- 下り
- 2,820m
コースタイム
- 山行
- 8:47
- 休憩
- 0:18
- 合計
- 9:05
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
天候 | 概ね曇り時々雨、台風通過 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
ブナ立尾根: 濁沢の橋が台風18号で流されましたが、9/10現在は仮復旧しています(最新状況は烏帽子小屋、野口五郎小屋で確認できます。) 竹村新道: 台風18号の影響で真砂岳近く標高2600-2700M付近の巻き道が1か所、幅2M程にわたってザレ石で埋まりましたが、慎重に通れば通れます(9/10時点)。現在は何人も通過しているので通りやすくなっていると思いますが、詳細は湯俣温泉晴嵐荘へご確認ください。 |
写真
感想
天候に左右されることを改めて認識させられた登山でした。
当初の予定では、4泊5日で新穂高へ抜けるコース。直前の予報では下手したら5日間ずっと雨が降る可能性もありましたので、それは避けたいということで、1日削り、少しでも雨の可能性の少ない2日目以降の3泊4日に予定を変更しました。
ただ、予想が難しい天気図で、秋雨前線が北か南かどこに移動するか読めない状態で、本当に天気は運次第でした。
初日:高瀬ダムから湯俣温泉へ。天気は曇り時々雨。しかし時間がたつにつれ空は明るくなり、雨の降らないことを期待しました。幸い、降ることはあってもどしゃ降りにはならず、歩行中のほとんどは雨に降られずに済みました。
9月の平日ということで、人がいない。
すれ違いゼロ、宿泊者も我々だけでした。
河原の露天風呂を期待していたのですが、せっかく貸切状態だったのに、川が増水して適度な温度のところがありませんでした。残念。
そして、ここ湯俣温泉は電波の全く入らない場所。ドコモもです。宿も同じで、天気の情報はまったくなし。(そのころ、まさか台風がこんなに早く近づいているとは…。)
2日目:野口五郎小屋へ向けて出発。雨は少し降っていましたが樹林帯の中では気にならず。その後ほとんど降りませんでした。昼食時など、火を使いたいので降られなかったのはありがたかった…。
みんな心していましたが、竹村新道の登りは本当に長いです。
湯俣岳に登ってから一度下り、また南真砂岳からも下るのがうらめしく思いました。
天候はなんとか安定し、時々ガスの間から硫黄岳方面の景色も見えました。
すれ違った登山客は4名ほど。
うち1名から、ショッキングな言葉が。
「台風が近づいているそうです。」
えーっ!
でもそれ以上の詳しい情報がない中、野口五郎は近いので向かいました。
だんだんとガスが晴れ、山がすばやく姿を現した時にはみんな「わっー!」。
青空はほとんど見えないものの、水晶岳、赤牛岳、立山方面が見えました。鷲羽の雲は取れずでしたが、遠くには槍様の姿も!。思わず「槍!」と叫んでしまいました。
表銀座方面も。
こうして興奮しながら、野口五郎岳に登頂し、小屋へ。
幸いなことに小屋ではドコモの電波が入ります。(ここではauは入りませんが水晶岳との分岐で入ります。)発電時間中は電波を増幅してくれるので部屋の中でも大丈夫。
この日はとにかく情報収集。
あしたの昼頃に愛知を通過し、ここにも最接近か・・・。
20時には消灯、就寝でした。
3日目:台風接近中。そこそこ雨風。昼にかけて接近ということで、まだそれほどひどくはありません。
当初の今日の予定は、三俣山荘または双六小屋まで。ただ、それには朝出発が必要。これから台風が接近するという中、それは辞めた方がよい。
ということで、コースを変更し、あしたは予定外の高瀬ダムへ下山し、今日は烏帽子小屋まで行くことに。様子をみて昼頃に出発できたらということで、午前中は2度寝。
(そんな中、朝6時くらいには烏帽子小屋に向けて出発するグループもありました。烏帽子小屋まではずっと稜線付近を歩きます。最接近は昼頃なので、9−10時には着くとはいえ、勇気のいる決断だと思います。)
そんな中、明日のコース上の濁沢の橋が流されたという情報が入ってきました。(こんなとき、山小屋の情報はありがたいです。)復旧作業が始まるのは雨がやんでから6時間以上たってからとのこと。予報では今日の夕方は晴れ間も出るので、明日の朝一には復旧作業が始まってくれるかも…。そんな期待をしながら以下悩みます。
・台風が西側を通過するのがちょっといやだけど、昼過ぎには出発できそうなので、烏帽子小屋まで行きたい。
・でもその先の橋が翌日中に復旧する保障はない。
・復旧しなかった場合は、またここまで戻って、登ってきた湯俣経由で高瀬ダムまで行くしかない。その場合、1日ではちょっと無理のある行程。
・なので、今日はこのまま野口五郎小屋に滞在するのがよさそうだが、もし明日橋が復旧した場合は、悔しいなー…。
結局、もう1日滞在する決断をしました。
その後、「橋は完全に流された」との情報をいただきました。これは、1日での復旧は難しいだろうということ。
これで、ふっきれました。
烏帽子経由はあきらめようと。でも、明日も長いなー…。
夕方、少し晴れてきました。大町方面を雲海が覆い、薬師岳、立山方面もよく見えます。槍は見えませんでしたが表銀座はぎりぎり見える。野口五郎岳まで登って、霧が晴れたり覆われたり・・・の繰り返し。ただ、風はまだ強いです。
夕食後、夕日もきれいでした。ここで、ブロッケンにも出会いました。一人はこれを見るのがはじめてとのこと、よかったです。みんな相当興奮しました。
2泊続けて同じ小屋に泊まるのは初めて。
でもその分小屋の方々と交流できてよかったです。その日のお客さんは自分たちとあと1名の方のみ。
夜は、いろいろ話をするうち、ご主人と若旦那にお酒をふるまわれました。お話もいろいろ。ご主人は三浦雄一郎氏にちょっと似ていて、電話に出るのが嫌い。予約の電話かもしれないのに。若旦那は、ご主人が小屋を辞めようかというときに反対し、先代から続いているこの小屋をなんとか守っていきたいと。でも集客には腰が重いところも…。
バイトかと思った若い20代の男の子は、若旦那の息子さんとのこと。ちなみに若旦那は40代半ばです。
で、小屋は最近50周年を迎えたけど、特に大きなイベントをするわけでもなく。
なので、せっかく「野口五郎」という名前がついているので、利用しない手はない。今後の山小屋を盛り上げていくためにいろいろ考えよう!ということで我々で好き勝手に盛り上がり、議論・提案をしてきました。(消灯時刻20時を過ぎて、若旦那のお母さん?に怒られてしまいました。すみません。)
・まず次回のイベントはゴローにちなんで、56周年の年に行う。
・野口五郎さんを呼ぶ。(まだ小屋には本人は来ていないとのこと)
・小屋は50人泊まれるかどうかなので、イベントに参加できるのは山好きの野口五郎ファンの枠と一般登山客の枠で限定。
・山上イベント(コンサートなど)は、もちろん野口五郎岳で。広い山頂なので大丈夫。
・ツアーの引率ガイドは私ができる限り担当
・若旦那は下山時は酒造メーカーで働いているので、そのお酒も提供していただき、お酒もアピール。
・イベントの様子は、山仲間のTV局ディレクターに取材・広報してもらう。
などなど。(今勝手に書き加えたところもあります。)
酔っぱらっていた若旦那はあまり覚えていないと思いますが。
自分たちで勝手に盛り上げますのでご期待ください。
で、ご主人がすごくお酒をふるまってくれるので、少々飲みすぎ。自分は立場上当然セーブしましたがメンバーの一人は酒に「強い」ことがさとられ、どんどんつがれる…。1L?パックがあいて、1合?カップも次々に空いて…。ちょっとやばかったです。
翌日、ちょっと飲みすぎた(飲まされすぎた?)彼女はやや頭痛が…。
で4日目: 竹村新道経由で高瀬ダムへ下山。
朝は、期待したほどではありませんでしたが(台風一過)、そこそこ山々は見えました。でも雲が高く、今日は鷲羽や槍は見えません。
風はやはり残りましたが雨はやんで、何より景色が見られる中を歩けてよかったです。おとといはこの中を歩いていたんだと。2回目なのに初めて通る場所の景色でした。
今日は東京まで帰るので遅れられない中、予定より30分ほど遅れで歩きました。途中から、飲みすぎたメンバーの足取りがちょっと重く、ももの様子がおかしいと。
そしてついに膝をのばせなくなり、けが人のように歩く羽目に。少しつっているような感じでしたのでこれは飲みすぎによる脱水によるものかも、と思い水分はたくさんとってもらいました。
急にペースが落ちて、湯俣温泉までまだあるので、そのメンバーのザックを私が背負う(ではなくおなか側なので腹負う?)ことに。自分のとあわせて合計30kgくらいでしたが、意外に大丈夫なもの。前後に重さが分散しているのと、自分の気が張っているのと。
展望台まで降りて、昼食をとり、水分とアミノ酸をとりマッサージもしたので少し回復するかなと思いましたがあまりかわらずとのこと。20−30分で降りられるところ、1時間かかりました。
湯俣温泉からはほぼ水平なのは幸いでした。
でも、これは「遭難」だな…。
晴嵐荘に、道の状況(※)と野口五郎の若旦那からの伝言を伝え、出発。下山後温泉には入りたいとのことで、少し急ぎ目に。
※途中、トラバースの道の幅2-3M区間が、上から流れてきた石で埋まっていました。臨時の足場を作ってなんとかわたりました。
水平区間でもさすがに2人分は重い。当の本人は下りは足を伸ばすことになるのできついけど、水平や登りなら大丈夫ということで、途中からは荷物を自分で持ってもらい、歩きました。私も、途中までは気持ちでなんとか運びましたが、やはり肩がいたくなってダメでした。
で、なんとか高瀬ダムにつきましたがバスの時刻まで時間が十分でなく、温泉はあきらめることに。
タクシー運転手の情報によると、濁沢の橋は丸太が1本残っていて、今日は登山していった人もいるとのこと。でも1本なので川に落ちた人もいるとのこと。
昨日小屋に入った情報では「完全に流された」でしたが、丸太は1本濁流の中に残っていたというのが実際のようでした。ただ、この1本を渡るのはたぶん難しかったので、結局竹村新道経由しかなかったと思います。
帰りのタクシーに乗ると、いきなり大雨に。間一髪。
信濃大町からバスに乗り、ようやく肩の荷が下り、ほっとしました。
「遭難」はあったものの、一応無事に下山できてよかったです。
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