吉備路遺跡サイクリング1004―鬼ノ城・倉敷・正木山・秦氏の郷ハイキング
- GPS
- 10:28
- 距離
- 62.8km
- 登り
- 738m
- 下り
- 1,073m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
自転車
|
写真
感想
岡山から早朝総社に移動し、宿泊予定の宿に荷物を置き、タクシーで鬼ノ城に向かう。鬼の窯を撮影ーなんじゃこりゃ??−総社市指定工芸品(考古)と出ているが、説明文はなかったような――−ビジターセンターでタクシーを待たせて散策。まず展望台を経由して西門に向かう。西門まではやや登り。鬼ヶ城山頂に近い場所だ。山頂付近の展望台などで撮影し、西門付近を見学、西門は大型でその周囲は版築の土塁や石敷きなどで、堅固な防備を巡らせている。こうした土木工事は高度な技術と手間暇がかかっており、今日造営するとしたら途方もない金額になりそう。当時の日本の権力者の間で、白村江での敗北がよほどの脅威として―今にも唐の軍隊が倭国を攻めてくるという恐怖に支配されていたのだろうーー。西日本を中心に防御網を張り巡らせたのだーー。こうした造りは、防御用の土塁などの浸食から守るための工夫が見られる。石敷の上を歩いて南門方面に下る。途中第1、第2水門後を見学する。こうした「水門にも当時は版築で壊れにくい構造になっていたようだ。地形に加えて水が豊富なことがこの山城の長所だろう。南門も大きな門で、西門と南門のどちらが西門か決めかねるようだ。南門には麓からの山道が続いていて、ハイキングk−スになっている。おそらく古代からの道で、通用門の可能性もありそうだ。麓を見下ろすとはるか瀬戸内海から四国まで見ることができるらしい。今日は少しガスがあり、あまり遠くまでは見えにくい。さらに第3第4水門があり、東門に到着。東門の傍には鍛冶工房遺跡がある。羽口、砥石、鉄滓などが出土し、山城に必要な道具の製作や修理などを行っていたようだ。第五水門を過ぎると鬼ノ城石碑のある場所に出える。ここには高石垣があり、付近には半島から渡来した温羅一族の居住地があったらしい。さらに進んで北門に出る。ここからは窟屋方面に向かうハイキング道があるが、今回は時間がなくなり、建物礎石の遺跡を見学してから鬼ノ城山頂に戻る。途中山頂手前にいくつか低湿地があり、水の豊富な山城と実感。山頂は西門のすぐ上で晴れていればかなり遠くまでの大展望が広がる。今回は麓と近くの山くらいしか見えないのは残念。ビジターセンターまで足早に戻り、センター内の展示を見学してタクシーに乗り込み、昨日通った備中国分寺付近のレンタサイクル店で自転車を借りる。ここからは倉敷と総社市を結ぶサイクリング。
最初に吉備考古館という地元の研究家による古い考古資料の展示を見てから、倉敷考古館に向かう。緩やかな登りで峠を越えて10数キロ先の倉敷まで走る。倉敷の中心街まで来るとさすがに大勢の観光客がーー。川のほとりでは将棋プロの女流棋士による指導対局イベントが行われていた。和服姿の数名の女流棋士の姿はなかなか様になる。倉敷考古館は60年の歴史を誇る倉敷市民による考古博物館で民間の考古博物館は珍しい。大原美術館、倉敷民芸館とともに、文化の町倉敷を代表する施設だ。ここは旧小島湾周辺の貝塚や古代吉備関係の古墳などの遺跡をはじめ、様々な時代の考古資料が並ぶ。考古館による発掘や研究活動、出版など県内の考古関係者、専門家、市民に支えられて活動を続ける博物館だ。見学を終えて再び総社市に戻る。今度は来た道ではなく高梁川沿いに北上、秦氏関連の遺跡を巡る。何本か支流を渡り、新本川を渡る手前に磨崖仏と六地蔵を見る。ふたたび高梁川の右岸を走り、総社大橋の先で秦氏の郷の看板があった。ここで左折してサントピア方面の坂を登り、駐輪できる場所を探す。テニス練習場前に自転車を置き、正木山に向かう。既に2時近いので、急ぎ足で歩く。一丁グロ古墳を過ぎ、林道を進むと城山方面へのハイキングコースやお大谷方面に下る金子林道分岐を見送り、やがて登山口に出る。ここまで約30分、さらに山頂まで30分くらいで山頂手前の麻佐岐神社に到着、神社の裏には磐座があり、祠の中にも磐座の配置図が描かれている。磐座は古い神社のご神体であることが多く、正木山もそうした古い信仰の対象となっているらしい。磐座の奥に進み、山頂の三角点を見る。さらにビューポイントまで進んで展望を楽しみ、下山開始。20分くらいで登山口に戻り、さらに10分ほど下って、、一丁グロ古墳に出る。その手前には風水古墳の案内板があったが、どういう古墳なのか何も説明はなかった。総社市のHPには、
「一丁ぐろ古墳群は、総社市秦にある山の頂上部に築かれています。
1号墳は全長74mの前方後方墳。総社市内では最大の前方後方墳で、岡山県内でも第2位の大きさです。周囲から採取された埴輪(はにわ)のかけらから考えると、4世紀前半に築かれた可能性があります。
1号墳に並んで2〜4号墳までが築かれています。」
との説明がある。
自転車を回収してさらに進み、秦廃寺跡を探す。近所の方に場所を教えていただく。今は礎石の一部があるのみだが、出土する瓦などから、飛鳥時代の創建で岡山県最古の寺院跡らしい。既に4時を回ったので先を急ぐ。まず石畳神社に向かうが、トンネルの道に入ると、神社の上のトンネルに出て神社には行けないので、一旦、下の道に出てから神社を探す。結構迷って、散歩中の人に尋ねて道を探す。スマホのナビでは、この地形を理解していないようで、役に立たない。神社の下に到着し、小高い丘の上にある祠まで登るが、上の磐座は見えない。磐座が本来のご神体らしい。すこし道路を走って磐座に近づく。磐座は尾根の端の岩峰のようだ。さらに進んで姫社(ひめこそ)神社に。ここはこの土地の最初の製鉄遺跡らしいが、よくわからない。4時半を回り、影が長くなる。石畳神社の磐座付近まで戻り、上の道まで自転車を押して階段を登り、高梁川の橋を渡り、右岸に出る。総社駅に向かって戻る途中、兼康神社・井神社に立ち寄る。この神社は元々湛井堰(たたいぜき)の傍にあり、後世にこの地に写されたらしい。兼安は妹尾兼安といい、平安時代末、兵士型の武将で、湛井堰とそこから12郷に向かう用水を整備して名を残している。神社の少し下流に現在の湛井堰があるが、もともとはより小型の席で別の場所にあるようだが、今回は時間がなく探すことはできなかった。総社駅前のレンタサイクル駅に電話して、返却時間を確認し、6時前までに駅前に出て返却。宿舎に戻る。素泊りなので夜は街を散策して沖縄料理系の店で飲んで過ごす。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する