少林山達磨寺と上野三碑 & 七輿山古墳


- GPS
- 08:14
- 距離
- 21.2km
- 登り
- 236m
- 下り
- 228m
コースタイム
- 山行
- 7:37
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 9:22
天候 | 晴れ 予報に反して風が強く、寒かった。 風速8mくらい |
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過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
東京6:08-6:57高崎(新幹線とき301自由) 高崎7:30-7:37群馬八幡(JR信越本線) 群馬八幡9:06-9:33根小屋(上越電線) 帰り 吉井17:05-17:29高崎(上越電線) 高崎17:44-18:40東京(新幹線とき330自由) 上越電線は、Suicaが使えない。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
金井沢碑~山上碑・古墳は、山道で楽しい。 それ以降は車道歩きの場合、トラックが多いので要注意。 吉井駅の改札は、南側のみ。 駅の北側に着いたら、左に曲がり、細い道を通って線路を抜けるとよい。 |
写真
681年造立。完全な形で残る日本最古の石碑。
これを読むと、女性は結婚しても名字は変わらず(夫婦別姓)、死んだら自分の実家の墓に入っていた事がわかる。
また、女性の実家に何かの式典があった場合、その女性とその子供達は式典に呼ばれるが、女性の夫は名字が違うため、式典には呼ばれなかった。
感想
少林山達磨寺の紅葉を見た後、根小屋駅から歩いて上野三碑と七輿山古墳を見学してきた。
▶︎上野三碑(こうずけさんぴ)
飛鳥・奈良時代に造立された石碑で、「金井沢碑」、「山上碑」、「多胡碑」の3つから成る。
この碑を読めば、1300年前の地方行政制度や、古代豪族の婚姻に関する考えなどが分かる点で貴重。
渡来文化を示す石碑として、国の特別史跡に指定され、平成29年にはユネスコの「世界の記録」にも登録された。
▶︎多胡碑
711年、中央政府の命令で、上野国(高崎市南部地域)に多胡郡が設置され、その記念としてこの石碑が造立された。
多胡碑記念館に入り、ビデオを観ていたら、当時の中央政府は、「羊」という名前の渡来人に多胡郡の管理を任せたと説明していた。
「羊」という名前の渡来人❓
不思議に思い、多胡碑記念館の学芸員に尋ねたところ、「石碑には実際、そう書いてあるのですが、まだ調査中です」とのこと。
これについては、やはり諸説あるようだが、私は、朝鮮半島に多い「姜(かん)」という名前を間違えて「羊」と刻んでしまったのではないかと思う。
この石の重さは1.3トン。運んでくるだけでも大変だし、一旦、石に刻んだ文字は、後から訂正できないので、このままにしたのではないか。
なお、多胡の「胡」とは、胡麻や胡瓜のように、「外国の」という意味がある。
よって、「多胡郡」には多くの外国人が住んでいたのだろう。
日本列島に渡来人が来たのは5世紀と言われているが、8世紀には郡を形成するほどの渡来人がいたことがこれで分かる。
▶︎七輿山古墳(東日本最大級の横穴式石室を持つ前方後円墳)
この古墳の山腹には、夥しい数の首無し地蔵がある。
明治時代の廃仏毀釈の名残りかと思ったが、藤岡歴史館の学芸員に聞いたところ、廃仏毀釈とは関係がない事がわかった。
七輿山古墳の近くに宗永寺というお寺があるが、ここの和尚と地域住民との間で、土地を巡っての悶着があり、怒った住民が地蔵の首を壊したそうだ。
また、七輿山山頂には、大きな石仏がある。これも首無しなのだが、首の部分に石で作ったお面が張り付いている。
これも不思議に思い、学芸員に尋ねたところ、
「誰が着けたのかは不明だが、無理に外すと石仏そのものが割れる可能性があるのでそのままになっている」とのことだった。
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