高尾山から龍見寺・金剛院・八王子市郷土資料館ー文化財ウィークを歩く


- GPS
- 06:15
- 距離
- 22.3km
- 登り
- 778m
- 下り
- 853m
コースタイム
- 山行
- 6:19
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 6:24
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
朝起きて疲れているようなので、庭仕事と休養に充てようかと思ったが、天気がこれから崩れるらしく、八王子の文化財ウィークでも今日しか公開しない仏様もあり、出かけてみた。当初の予定では6時には自宅を出発するつもりだったが1時間半ほど遅れてでかける。8時半過ぎに高尾山口駅に到着し、行動食も買わずにすぐに山頂に向かう。金曜日というのに清滝駅付近には大勢のハイカーやケーブルカー待の子供たちでごった返していた。ケーブルカーは電気系統の点検で出発が遅れているようだった。稲荷山コースに入り、足早に山頂に進む。前を行くハイカーを次々と抜いて30分くらいで稲荷山展望台下を通過、今日はややガスが出ているが、果たして富士山は見えるかなーーなどと考えながら山頂直下の階段に出る。休まず一気に登り、清滝駅から1時間くらいで山頂に立った。富士山は見えている。丹沢山塊、道志や三ツ峠、滝子山など展望を楽しみ撮影をしてから山頂付近の紅葉を見る。一息いれて再び展望台で撮影、10分くらいで下山開始。12時までに龍見寺まで歩く予定なので急いで下ったが、先が長いので走るとあとで響くので速足で下る。途中トレランの二人に抜かれる。結局清滝駅まで50分もかかってしまう。10時35分、土産物街でお団子か饅頭でも買おうと店を覗く、お米屋の店でおはぎを売っていたのでそれを買い、一つ食べる。すぐに出発し、四辻に向かう。15分くらい登って四辻に出ると老夫婦が休憩中で、あいさつするとお菓子をいただく。昔歩いた道を久しぶりに歩いているという。かなりお疲れの様子。かつて歩いた城山湖までの道を尋ねられる。さほど厳しいコースとは言えないが、結構アップダウンもあり、甘く見ないほうが良いかも、と答える。どうされたか少し気がかり。草戸峠、草戸山までゆっくり歩いて二時間、さらに一時間以上バス停まで歩かねばならないーー。ご夫婦と別れて、高尾駅方面に進む。すぐに開けた伐採地に出る。前回ここを反対側の高尾霊園側から登った時、道なき道を描き分けてこの伐採地の一角に出たような記憶がある。予想以上のアップダウン、龍見寺12時は間に合わなくなりそうーー。四辻から25分くらいで何とか下山し、高尾駅との分岐に出る。ここからスマホのナビを使って龍見寺に向かうもあと30分ほどで12時だ。ナビを見ると4km以上あり、1時間かかると出ている。走っても無理かも??それでも14時まで待つのは無理なので走る。大日如来公開は10〜12時、14〜16時となっている。今朝、1時間半遅く出発したために苦しい走り。20分くらいで町田街道に出てさらに北野街道を左折して懸命に走る。しかし12時が近づく。北野街道と別れて浅川支流の湯殿川沿いに進むと、ようやく龍見寺への入口への道となる。既に12時を過ぎ、12時5分くらいに到着する。残念間に合わなかったーー。そばで立ち合いのお坊さんが携帯電話をかけている。電話が終わり、挨拶すると、大日堂は一段上にあり、鍵を持っている人が外に出ているがすぐに戻るのであきらめずに見ていってください―見る価値は十分にありますよ、と親切に教えて下さった。かなり走ったので、足が痛い。上の大日堂の前で少し寝転んで休憩しながら待つ。横になって間もなく担当者が帰り、開けていただく。14時まで待たねばと思っていたので、ありがたかった。
さてお堂のカギを開けると大日如来はさらに両脇の普賢菩薩などの間の扉の中、この扉を開けるとやっと姿を現した。金色に光る大きな像だ。想像以上に素晴らしい大日如来で、藤原時代末の作らしい。像高88.5cm, 寄木造、漆箔、玉眼(江戸時代)。お坊さんがこの大日如来像の由来やエピソードを説明された。お寺のHPでは
「大日如来は、ほとけの世界を表す曼荼羅図(まんだらず)でも、真中に位置する最高佛である。龍見寺大日如来は、智慧をつかさどる金剛界の大日如来である。
昭和37年調査の時、仏像最高の権威者・西村公朝先生が、銘があれば国宝にしてもふさわしいと言われた。又、宝冠は、奈良の円成寺の国宝よりも優れている。膝のあたりの衣文も秀麗である。折り紙つきの絶賛であった。
昭和37年度文化財調査により、藤原末期作の秀作として、都の文化財に指定された。秋の文化財ウイークを中心として、年間参観者も多い。
なぜ、このような藤原末期の秀作が、関東の田舎にあるのか?はがきにもあるように、横山党との関係が言われている。奥州征伐で手柄を立てた横山等が、奥州出羽三山のひとつ大日如来を遥拝するため、現在の拓殖大学の山奥に祭ったという説である。確かに、山の頂上近くに堂平という平地がある。その後、龍見寺の裏山から少し離れたところに現在も小さな祠があり、堂山と呼ばれている場所に移されたという説もある。現在地に三転したわけである。開山以前から、大日如来を守って、庵があったとされている。
3代将軍家光公より御朱印を賜った。大日如来を維持する為の奨励金である。
なお、大日堂の建物自体も、文化財的価値があると、東京都の技師の発言もある。」
との説明がある。
お坊さんがスイッチを入れてライトアップすると如来像の金箔が光り出す。当初はまぶしいくらいに輝いていたに違いない。引き締まった表情と痩せた体、頭の宝冠も細かい細工の優れものらしい。これはよいものを見たと、はるばる高尾山から走って訪ねた甲斐もあったというものだ。見学後、少し痛みのある足を引きずりながら和田バス停に出る。八王子駅南口行のバスに乗り、金剛院に向かう途中で昼食をとる。昼食後、金剛院に向かったが、到着すると文化財ウィークの旗は出ているが、なんと急に入ったお葬式で文化財は見られないという。東京都の重要文化財、「紙本著色高野山図絵」(屏風)や「紙本著色西王母図」(屏風)などが見られるというのに残念。
今回はあきらめて、近くの八王子市郷土資料館に移動。ここでは弥生時代の「方形周溝墓」を初めて命名した歴史的な「宇津木向原遺跡出土品」や中山白山神社出土の平安時代の経塚出土品などが今年のウィークの展示品だ。中に入ると小学生が大勢来ていてにぎやかだ。小学生に説明している間に急いで展示品を見る。一階の展示品を見終わるころ、小学生が大勢動き出した。しばらくして二階が静かになったころ二階に上がり、石器時代から縄文の石器や土器などを見てから再び一階に戻る。八王子の弥生時代はその終わりごろからようやく農業とその村の痕跡が出てくるようで、縄文的な暮らしが長かったのだろうーー。縄文遺跡は丘陵上にあり、弥生遺跡はやや低い場所に多いが、それでも水田ができそうな低地ではない。前期遺跡はなく、中期は再葬墓遺構のみ、後期以降に農耕の痕跡と集落跡が出てくる。おそらく水田ではなく水田とともに入ってきたアワ・キビなどの雑穀の畑作ではなかったか??まだまだ分からないことが多い武蔵野台地の弥生時代だ。
今日は楽勝の遺跡歩きと考えていたが、高尾山頂から龍見寺まで走ったために結構つらい歩き(走り)となった。龍見寺の大日如来は一見の価値があり、金剛院は残念だったが初めて訪問した八王子市郷土資料館もなかなか見どころが多かった。
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