岡山市 願興寺〜展望の丘〜塩井池〜肩脊城跡 年末紅葉&野鳥



- GPS
- 03:28
- 距離
- 9.4km
- 登り
- 354m
- 下り
- 356m
コースタイム
- 山行
- 2:22
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 3:28
歩行距離9.5km、歩行時間2時間30分、歩行数14,000歩、消費カロリー880Kcal
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
肩脊(かたせ)城二の丸跡<写真33>から南南東の舗装道路に出合うまでは道ではありません。かき分けることはほとんどなく下りられましたが、途中からは足元が不安定になるので、本丸跡<写真35,36>から引き返したほうがいいです。 大半が舗装道路で、土道なのは展望の丘<写真11,12>の南北、塩井池<写真18>の畔、宮池<写真26>撮影地点から肩脊(かたせ)城跡<写真33〜36>を経て南南東の舗装道路に出合うまでの3か所です。 肩脊(かたせ)城跡<写真33〜36>は途中から道ではない所を歩いています。ほぼかき分けなしで歩けますが、足元が不安定になるので、本丸跡<写真35,36>から引き返したほうがいいです。 階段を上って宮池の南畔<写真26>から南西端のフェンスの右を通り抜け、西畔のきれいな細い土道を北上すると、小さな墓地の手前に道標があり、墓地からすぐに木の間の細道に入りました。少し急で落ち葉が積もっていますが、上りは滑らずにすみました。 なんとなく平坦な場所に出ると、「肩脊城址」の石碑<写真33>があり、周辺が二の丸跡です。地形図上の道はここまでですが、木の間をぬうようにさらに南に進むと、堀切<写真34>があります。さらに木の間を適当に進むと本丸跡<写真35,36>です。 本丸跡<写真35,36>からしばらくは大量の落ち葉が積もった崩れやすい斜面を木の枝を掴みながら下りました。途中からはササが茂ってきましたが、気にせず歩けました。標高30mを切ると、土道らしき上に出ましたが、段差があったので下りやすい箇所を探して南西へ、竹や木が生えた所に突っ込むと傾斜が緩やかで標高20m辺りで安全に土道に下りられました。そこから舗装道路はすぐでした。 かき分けることはほとんどなく下りられましたが、明瞭な城の遺構はなく足元が不安定なので、本丸跡から引き返したほうがよかったです。 |
その他周辺情報 | 瀬戸町森林公園から吉井川沿いに自動車で10分程南下すると、国道2号線と合流する辺りにおさふねサービスエリアがありますが、現在建て替え中で、2026年にリニューアルオープンする予定です。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
タオルハンカチ
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(地図アプリ使用)
eTrex22x(GPSナビゲーター)
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感想
【年末詣は願興寺&神神社&雨垂布勢神社】
この日は、お礼参りと新年の祈願を兼ねて、年末詣を行いました。初詣は多くの方が一斉にお願いごとをされるため、神様仏様もお疲れで願い事が十分に叶えられないかもしれません。逆に年末だと、参拝客がほとんどいないため、それだけ感謝と祈願を落ち着いて伝えられます。ちなみに、年末詣の期間は、12月14日から12月31日までとされており、昔は冬至が新しい年の始まりだったこともあり、年末詣は縁起が良くご利益も大きいと言われていました。
最初にお参りしたのは、願興寺<写真02〜10>です。奈良時代に備前四十八ケ寺の一つとして報恩大師により創建されました。本尊の千手観音像は教科書にも掲載されている有名な天才仏師・快慶の作と伝わっています。残念ながら秘仏であるため、33年に一度の御開帳の時にだけ、そのお姿を拝むことができます。ちなみに、次回は2051年😅また、この千手観音像は、戦国時代に兵火によって願興寺が焼失した際、不思議な力で山を越え大内のお寺へ行って難を逃れ、江戸時代に盗難にあった際には、村人に乗り移り、岡山の大雲寺に安置されていると告げて無事に帰ることができたということです。
かつては一帯に15の僧坊や三重塔、鐘楼が点在しており、釣鐘もあったのですが、古い時代の記録は度重なる戦火によって失われ、釣鐘は幕末の頃、岡山藩が大砲の材料にするために持って行ったといわれています。現在の本堂は江戸時代に再建されたもので、天井には仏や動植物、妖怪、幽霊に至るまで様々な絵が鮮やかに描かれています。本堂外陣(げじん)に描かれている竜の絵<写真10>は、夜な夜な近くの大鳥居池<写真38,39>へ水を飲みに行くので、封じるためにわざと板をずらして打ちかえたところ、絵から抜け出さなくなったといわれています。また、一説には板が少しずつずれて動いており、完全に絵が合った時、竜が生を得て天に昇るという伝説もあります。いずれにしても辰年の年末詣にふさわしいお寺でした。
次にお参りしたのは、神(みわ)神社<写真19〜22>です。奈良県の大神(おおみわ)神社を勧請したのでしょうか。鳥居<写真19>には「御崎宮」と表記されており、ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の青年期の名前である大己貴命(おおなむちのみこと)となっています。
最後にお参りしたのは、雨垂布勢(あまたれふせ)神社<写真41〜45>です。創建は孝謙天皇の御宇(奈良時代)、奥州黒川郡の天足大明神(宮城県の鹿嶋天足別神社)を勧請したと伝えられています。ここは降雨の御利益がある神社なので、雨乞いのために創建されたのかもしれません。鳥居の前に立っていたのぼりに記されていたのは、なんと「初詣」<写真41>という文字でした。せっかくなので、3日早い初詣をこの神社で行うことにしました😊
【宇喜多直家の家臣岡利勝の居城?肩脊城跡へ】
今回訪問した瀬戸町肩脊(かたせ)地区には、山城跡がいくつかあります。一つは願興寺南東の標高173m峰にある高尾城跡<写真08>です。明瞭な道はなく、記録もあまり見かけません。ほぼ1年前には神(みわ)神社本殿<写真22>から斜面に取り付き、雨垂布勢(あまたれふせ)神社<写真41〜45>に下りました。
2023年12月17日https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6288332.html
今回は、宮池<写真26〜32>の西側にある志路山(しろやま)の肩脊(かたせ)城跡を訪問しました。宮池西畔から北上すると、小さな墓地の手前に道標があり、墓地から木の間の細道が続いています。
なんとなく平坦な場所に出ると、「肩脊城址」の石碑<写真33>があり、周辺が二の丸跡です。地形図上の道はここまでですが、木の間をぬうようにさらに南に進むと、堀切<写真34>があります。登城口の説明板<写真40>には、この周辺に馬場跡があると記されていますが、よくわかりませんでした。さらに木の間を適当に進むと本丸跡ですが、平坦地を過ぎて南下しすぎ、少し引き返して写真<写真35,36>を撮りました。
ここからしばらくは大量の落ち葉が積もった崩れやすい斜面を木の枝を掴みながら下り、舗装道路に出ました。かき分けることはほとんどなく下りられましたが、明瞭な城の遺構はなく足元が不安定なので、本丸跡から引き返したほうがよかったです。
登城口にある肩脊城跡説明板<写真40>では、宇喜多直家の家臣・岡豊前守(おかぶぜんのかみ)利勝と岡越前守(おかえちぜんのかみ)利秀の親子が居城していたとされていますが、岡山県古代吉備文化財センターの「岡山県中世城館跡総合調査報告書」によれば、『備陽記』にそう記されているものの、確かな史料がないとのことです。ちなみに、利勝は、羽柴秀吉と黒田官兵衛の軍による備中高松城水攻めにおいて築堤に貢献し、その後、宇喜多開墾といわれた児島湾の干拓の潮止堤防工事の指揮を任されるまでになりました。築城当時、本丸跡からは宇喜多家の本拠地として亀山城が築かれていた沼方面が一望でき、亀山城と緊密に連携できたと思われます。肩脊城が宇喜多家の家臣の居住だった可能性はゼロではないでしょう。
今回に限らず、岡山県南東部を中心にあっちこっちの史跡で名前が出てくる宇喜多家は「剣片喰」(けんかたばみ)という家紋を用いていました。この家紋は岡山城をはじめ宇喜多家縁の場所で頻繁に目にします。
クローバーに似た形の葉を持ち直径1cm程の黄色い花を咲かせるカタバミの仲間は、日本に古くから存在するなじみの深い植物です。庭に生えていると、引っ張るとかなり長く地下茎が伸びていたり、途中でちぎれて根が残ったりして完全に取り除くのが難しい厄介者です。空き地などにも群生する雑草で、環境が悪い場所でもよく育ちます。逆境でも花を咲かせるという意味から武将達の家紋に多用されるようになりました。目の上のたんこぶをことごとく倒してのし上がった直家、八丈島に流されながら83歳まで生きた秀家親子にふさわしい家紋でもあります。
彼らを見習おうというわけではありませんが、逆境に耐えいつか花開くことを令和7年の誓いとしたいものです。
【塩井池&宮池&大鳥居池でバードウォッチング】
砂川と吉井川に挟まれ、低山やため池がたくさんある瀬戸町は、多種多様な野鳥が集まるバードウォッチングスポットです。特に冬になると、多数の渡り鳥がため池に飛来し、ため池巡りが楽しみの一つとなります。
今回、特に水鳥の群れが見られたのは、塩井池、宮池、大鳥居池でした。どんな水鳥がいたのかは、写真や動画で紹介しています。意外にも、彼らはこちらに気づいても飛び去っていくことはありませんでしたが、常に我々とソーシャルディスタンスを取り続けていました。
期待していたオシドリには会えませんでしたが、マガモのオスのシンクロシーン<写真28>など、生き生きとした姿を何度も見ることができ、池畔を歩くたびにロスタイム😊いつも可愛いキンクロハジロ<写真32>の横顔が正面顔と同じくらいの仏頂面に見えたのは初めてで、あまりの目つきの悪さに笑ってしまいました😅
キンクロハジロのメスの幼鳥<写真30>はくちばしの基部周辺が白いというのは、初めて知りました。今までずっとスズガモのメスだと思っており、オスがいないのが不思議でしたが、どうやら、誤解し続けていたようです。やっちまった😓脇腹が薄茶色で背中の色の濃さが一定、くちばしの反りがきつめなどの特徴に加え、淡水にいるかどうかが重要な判断材料になるそうです。確かに、カモ類を見るのは海よりも河口や池、汽水湖が多く、そういえばスズガモのオスは一、二度見ただけです。
冬鳥のカシラダカ<写真23,24>は初めて見ました。岡山県の2020年版のレッドデータブックには記載されていませんが、世界的には減少傾向にあるようです。
今年最後の山行で可愛い野鳥たちに癒され、気持ちよく新年を迎えられそうです😊
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