記録ID: 7875922
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ハイキング
近畿
公園散歩 蘇鉄山 大阪50山
2025年03月08日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:16
- 距離
- 0.9km
- 登り
- 2m
- 下り
- 1m
コースタイム
天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
https://search.ipos-land.jp/p/detailp.aspx?id=K0002576Z |
コース状況/ 危険箇所等 |
大浜公園の散歩コース アカゲザルの檻の見学をお勧め |
写真
カラフト犬慰霊像について
このカラフト犬慰霊像は昭和33年7月に南極地域観測隊の第一次越冬隊(S32.2.15~S33.2.11) に協力した15頭のカラフト犬の霊を慰さめるため堺市在住の獣医で彫刻家岩田千虎氏が別れを憎みながら立去って行く越冬隊員に向って遠吠えを続けている姿をコンクリートの像に仕上げ市に寄贈され、当時水族館の南側遊園地に設置されたものですが像の風化が著しくなったのでこのたび原型像に忠実にブロンズの像に復元制作したものです
昭和62年3月31日
このカラフト犬慰霊像は昭和33年7月に南極地域観測隊の第一次越冬隊(S32.2.15~S33.2.11) に協力した15頭のカラフト犬の霊を慰さめるため堺市在住の獣医で彫刻家岩田千虎氏が別れを憎みながら立去って行く越冬隊員に向って遠吠えを続けている姿をコンクリートの像に仕上げ市に寄贈され、当時水族館の南側遊園地に設置されたものですが像の風化が著しくなったのでこのたび原型像に忠実にブロンズの像に復元制作したものです
昭和62年3月31日
明治天皇御駐蹕之跡
明治36年に開催された第5回内国勧業博覧会の第2会場(第1会場は天王寺公園)となり、当時東洋一と云われた博覧会附属水族館(堺水族館の前身)が開設
明治天皇は同年5月5日に水族館を御巡覧された
明治36年に開催された第5回内国勧業博覧会の第2会場(第1会場は天王寺公園)となり、当時東洋一と云われた博覧会附属水族館(堺水族館の前身)が開設
明治天皇は同年5月5日に水族館を御巡覧された
そてつやま蘇鉄山は大阪湾(ちぬの海)に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所を明治12年(1879年)に大浜公園として開放され、展望のよい築山として整備されたところです。 この付近は明治・大正・昭和初期には関西有数の海浜リゾート地としで海水浴・潮湯・少女歌劇・水族館や料理旅館街などで賑わいました。
蘇鉄山の約300m東南にあった御陰山の頂に近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました。
その後、御蔭山が削られ、昭和14年(1939年)にこの蘇鉄山の標高 6.97mの所に移設されたものです。
現在、一等三角点の設置されている山としては日本一低い位置になります。 かつてここから大阪城天守閣(昭和6年廃点),生駒山・葛城山・俎石山・六甲山などが展望できました。
一等三角点が元あった御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟にあたります。
蘇鉄山の約300m東南にあった御陰山の頂に近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました。
その後、御蔭山が削られ、昭和14年(1939年)にこの蘇鉄山の標高 6.97mの所に移設されたものです。
現在、一等三角点の設置されている山としては日本一低い位置になります。 かつてここから大阪城天守閣(昭和6年廃点),生駒山・葛城山・俎石山・六甲山などが展望できました。
一等三角点が元あった御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟にあたります。
感想
狭山市へ行った帰りに急遽大阪50山を検索し立ち寄ってみた
日本一低い一等三角点という通り大浜公園の中にある標高6.9mの小さな丘だった
数十年前、取引先が堺にあり毎週のように大浜インターを利用していたが、海沿いのインター傍らにこのような「山」があるとは知らなかった
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