【薮山レコ】毛無山(下田山塊)〜光明山経由で砥沢川横断〜


- GPS
- --:--
- 距離
- 18.3km
- 登り
- 2,199m
- 下り
- 2,196m
コースタイム
- 山行
- 13:20
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 14:45
標高差 約+680m(登山口→光明山) 約−540m(光明山→砥沢川)
約+700m(砥沢川→毛無山)
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
富士山の西方の毛無山ではなく、新潟県の川内山塊の毛無山です。 光明山から先は登山道ありません。増水期の砥沢川の渡渉はかなり厳しいです。 |
写真
感想
下田山塊の中央に聳える信仰の山、光明山。200年以上昔から砥沢川の上流から切り出された良質な砥石は光明山を経由して三条・燕などの消費地へ運ばれ、刃物産業を支えてきた。その径が光明山登山道として今も存在している。今回はこの砥石道をたどり光明山の先から砥沢川に降り、対岸のシンブ沢を遡り南西尾根から毛無山をアタックした。かつて100キロほどの砥石を担いだ村人が砥石道を行き交っていたとはとても想像しがたく、歴史ロマン漂うこの山道を辿ってみたいと思うようになった。
今回のアタックは登山道の雪が融け沢の増水がある程度落ち着いた頃を狙った。赤茶けた月が西の峰に隠れ空が白み始めた頃、ヘッドランプを点けて光明山登山口を出発する。心配していた大日陰沢に面した露岩帯のヘツリ道には残雪は殆どなく順調に通過した。万之助山の先の小ピークまでの急な残雪斜面は慎重を要した。日当たりの良い登山道にはオオバキスミレやカタクリなどの春の花がいっぱい咲いており気持ちを和ませてくれる。下見のときナイフエッジになっていたフイゴの立背は夏道が出ていた。
光明山の山頂広場を過ぎた所に雨量計(三条土木事務所)の建物がある。ここでアタックザックに必要最小限の荷物を詰め替える。雨量計から先には薮っぽいが踏み跡がうっすらと続いている。これが砥石道の名残かもしれない。弥十郎(720m鞍部)から雪渓に埋まった宿砥沢を下降する。砥沢川から一段上がった段丘には枯れたアシの堆積する広場(宿砥平)が広がっており、かつての砥切小屋のあった場所のようである。
砥石川へ降りてみるとそれほど水量は多くないようだ。適当な転石を見つけて対岸へ渡った。そして川岸をヘツリながらシンブ沢の出合いまで下った。シンブ沢へ入渓すると最初は荒れているが、400mあたりから雪渓が出てきて歩きやすくなった。500m地点でで地形図にない落差7mほどの滝が現れ、右岸の急な薮スラブから巻いた。再び雪渓に降り登っていくと、徐々に沢は開け新緑のブナ林が広がってくる。750m付近から右股の雪渓を登る。810m地点で毛無山西肩(980m峰)から南西に延びる尾根に出る。
880mあたりからは本格的な薮こぎが始まる。毛無山西肩は展望の良いピークで、光明山〜万之助山、守門岳〜浅草岳〜中の又山方面のパノラマが一望であった。目ざす毛無山は緩やかな吊尾根の先、指呼の距離に見える。しかし背の低い複雑にねじ曲がった薮が立ちはだかり、容易には近づけない。毛無山からの手荒い歓迎を受けているかのようだ。薮埃と蒸し風呂のような熱気に包まれ薮と格闘すること20分、憧れの毛無山についにたどりついた。
毛無山は見た目以上に広くて丸い山頂で、豊富な残雪に覆われていた。運良く最高地点だけに残雪がなく三等三角点を確認することが出来た。川内山塊のど真ん中に位置する毛無山からの展望は言うに及ばず素晴らしい。川内山塊の盟主である矢筈岳を始め、青里岳、粟ヶ岳、駒形山、裏の山、光明山などの峰々が広がっている。沢に磨かれ鋭利な刃物で削ぎ落とされた不毛の斜面に覆われた山肌が周囲に広がる特徴的な山域だ。一方、毛無山の南西側(金蔵沢中流域)にはなだらかなブナの斜面が広がり、秘峰に守られたオアシスのような存在である。もう二度と訪れることのない毛無山からの絶景を十分に目に焼き付けてから山頂を後にした。
展望の良い毛無山の西肩まで戻り、ここで腰を下ろして腹ごしらえをした。登りできつかった薮尾根は下りは速い。シンブ沢の雪渓も順調に下り砥沢川の渡渉点へ戻ってきた。ある程度は想定していたが、砥沢川は増水して茶色く濁っていた。朝、渡った飛び石は完全に水没しており、水流も速くなっていた。焦る気持ちを落ち着かせ沢を観察する。沢幅4mのうち、流れの速くて深い中央部さえ越えられれば何とかなりそうだ。拾ってきた棒を沢底に突いて幅跳びの要領で勢いをつけてジャンプしてみた。足元は水没したが、なんとか対岸の浅瀬に着地することができた。
難所を越えてもまだ先は長い。宿砥平から高低差540mを登り切り稜線に這い上がる。雨量計の前で疲労した身体をしばらく休めた。光明山を越えてからは休憩の回数が徐々に増えてきた。それでも暗くなる前に岩場のヘツリ区間を通過し、なんとか日没ちょうどに登山口に着いた。身体は疲労していたが心は達成感で満ちていた。空を見上げるときれいな夕焼けが広がっていた。
(参考文献)
「古道巡礼」高桑信一 〜越後下田の砥石道〜
「知られざる山々」羽田寿志
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