記録ID: 7902536
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キャンプ等、その他
関東
松の廊下事件ウォーキング
2025年03月15日(土) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:13
- 距離
- 11.3km
- 登り
- 35m
- 下り
- 26m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
平川門。御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。また、死者や罪人をここから運び出したことから「不浄門」の異名を持っています。浅野内匠頭はこの門から罪人として江戸城から出されました。大名に対する扱いではないですね。
松之大廊下跡。松之大廊下は江戸城内、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下でした。廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことが名称の由来です。
伝奏屋敷跡。勅使饗応役(伝奏馳走役)に命ぜられた大名はこの屋敷に詰めて高家の指示を仰ぎつつ勅使の接待にあたりました。浅野内匠頭や赤穂藩士はここに詰めていましたが即日退去を命じられました。
吉良上野介が生まれたとき、吉良邸は鍛冶橋のこのあたりに屋敷がありました。元禄11年に発生した大火で焼失してしまったので、呉服橋門内に移転しました。事件後の元禄14年9月に呉服橋門内の屋敷を返上して本所に屋敷替えとなりました。
浅野内匠頭の切腹場所である、田村右京大夫の屋敷跡。元禄14年3月14日 (旧暦)(1701年4月21日)の午後6時頃に切腹しました。刃傷事件発生から約7時間後のことです。徳川綱吉の浅はかさがよくわかります。
大石良雄等自刃ノ跡。肥後国熊本藩3代藩主・細川綱利の中屋敷跡。大石内蔵助ら17名が御預けとなりここで切腹しました。
残りの10名は毛利綱元邸に御預けとなり切腹しました。現在の六本木ヒルズの地です。
残りの10名は毛利綱元邸に御預けとなり切腹しました。現在の六本木ヒルズの地です。
感想
昨日の3月14日は、元禄14年に松の廊下事件が発生した日です。
元禄赤穂事件の発端となったこの松の廊下事件は、元禄14年・旧暦3月14日の午前11時ごろ、新暦では1701年4月21日に浅野内匠頭が江戸城内松の廊下で吉良上野介に斬りかかったものでした。
本日はその事件発生場所である松の廊下跡から歩き始め、浅野内匠頭や赤穂義士の切腹場所等の関係場所を訪ねつつ、浅野内匠頭と赤穂四十七士の墓所である泉岳寺まで歩いてきました。
墓所ではお線香をあげて赤穂義士たちの霊を弔ってきました。
今年の12月には、討ち入り後に赤穂義士が本所の吉良邸から泉岳寺まで、吉良上野介の首を捧げつつ歩いた道を辿ってみたいと思います。
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