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Yamareco

記録ID: 8214004
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県久米南町 誕生寺〜天津山〜時切稲荷神社 史跡&文化財

2025年05月26日(月) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
05:18
距離
12.1km
登り
305m
下り
305m
歩くペース
ゆっくり
1.51.6
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:57
休憩
1:22
合計
5:19
距離 12.1km 登り 305m 下り 305m
9:41
1
誕生寺駐車場
9:42
9:47
0
誕生寺駐車場東端
9:47
22
誕生寺山門
10:09
10:48
20
誕生寺方丈と庭園
11:08
11:25
4
誕生寺宝物館
11:29
3
誕生寺山門(2回目)
11:32
11:36
5
娑婆堂
11:41
11:43
17
加茂神社
12:00
12:03
58
稲岡神社
13:01
13:06
61
14:07
14:11
25
誕生寺池
14:36
14:39
18
時切稲荷神社
14:57
3
誕生寺境内
15:00
誕生寺駐車場
文化財観賞や旬の動植物観察を楽しむコース
歩行距離12km、歩行時間4時間、歩行数17,600歩、消費カロリー1,100Kcal
天候 曇り時々晴れ
過去天気図(気象庁) 2025年05月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
 誕生寺の駐車場に自動車を停めました。20台程駐車可能です。誕生寺毘沙門堂<写真76>の東と境内の北側にも駐車場があり、どちらも十数台駐車可能です。また、稲岡神社<写真90,91>の西に未舗装の駐車場があり、10台程駐車可能です。
 なお、天津山頂上<写真102,103>から北に轍(わだち)のある未舗装道路が延びていますが、車1台分の幅しかなく一部ぬかるみがあったので車でのアプローチはおすすめはしません。
コース状況/
危険箇所等
 危険箇所やヤブコギはありません。志茂の前?周辺<写真98〜100>は道ではなく適当に歩きました。土道なのは、志茂の前?<写真98>南西の稲荷神社参道入口から志茂の前?と天津山頂上<写真102,103>を経てコガクウツギ<写真104>撮影地点の少し南まで、大沢田池<写真110>への道、時切稲荷神社<写真121〜124>参道、各寺社の境内だけです。志茂の前?<写真98>南西の稲荷神社参道入口から尾根に出るまでは苔むした粘土に落ち葉が積もった道なので、濡れているときはおすすめしません。ここ以外は雨の日に傘を差して運動靴でも歩けます。
 なお、帰宅後に連れにマダニが1匹ついていました。志茂の前?周辺<写真98〜100>にいたのかもしれません。

 志茂の前?<写真98>南西の稲荷神社参道入口から志茂の前?と天津山頂上<写真102,103>を経てコガクウツギ<写真104>撮影地点の少し南までは、一部、苔むした粘土に落ち葉が積もった道なので、濡れているときはおすすめしません。
 舗装道路を東に進んでいると、左側にコンクリート道があり入口から少し奥の右端に小さな赤い鳥居が見えました。道はすぐに土道になり、山之城旧跡「志茂の前」の道標<写真101>が現れました。直進のほうがきれいな道でしたが、矢印の方向へ進むと、最初は低いササがまばらに茂っていましたが、すぐにきれいになりました。竹が四方八方に倒れた箇所は平坦で、小さな建物跡のような気もしました。さらに進むと少し開けた平坦地<写真98>に出ました。この周辺が志茂の前だろうと思いますが、説明板などはなく、帰宅後に調べてもよくわかりませんでした。
 再び分岐<写真101>まで戻ると、直進はヤブになりそうだったので、左折して斜面を登りました。最初は苔むした粘土に落ち葉が積もった道で少し急でしたが、尾根に出ると歩きやすくなり、無事、天津山頂上<写真102,103>に到着しました。
 天津山頂上<写真102,103>からは北に延びる砂利道っぽい土道を進みました。轍(わだち)がありますが、一部、ぬかるみがあるので自動車でのアプローチはおすすめしません。西に延びる地形図の破線の道を下りようと思っていましたが、分岐(コガクウツギ<写真104>撮影地点)まで来ると、少し開けており右折方向は入口にロープが張られてヤブでした。結局、直進して砂利と土の道を南下しました。標高300mを切ると舗装道路になりました。
その他周辺情報 農園スイーツmoimoはサツマイモを使ったスイーツの専門店で、金・土・日・月の10〜17時(売り切れ御免)営業です。
01シロバナシラン…誕生寺駐車場の東端に花が何種類か咲いていました。真っ白のシランは初めて見ました。
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01シロバナシラン…誕生寺駐車場の東端に花が何種類か咲いていました。真っ白のシランは初めて見ました。
02シラン「桃林」…黄色に濃いピンクの斑点が入ります。これも初めて見ましたが、シラン<写真20>にはいくつか品種があるようです。
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02シラン「桃林」…黄色に濃いピンクの斑点が入ります。これも初めて見ましたが、シラン<写真20>にはいくつか品種があるようです。
03フランスギク…花の直径は4〜5cmです。マーガレットに似ていますが、幅1cm程の細長い葉でわかります。この時期にはマーガレットのほうはほぼ終わりでしょう。今回はここ以外にも3回程見かけました。
03フランスギク…花の直径は4〜5cmです。マーガレットに似ていますが、幅1cm程の細長い葉でわかります。この時期にはマーガレットのほうはほぼ終わりでしょう。今回はここ以外にも3回程見かけました。
04白アヤメ…葉の幅は2cm程で茎の途中から何枚も出ており、アヤメとは違う植物のように思えました。「白アヤメ」の名前で流通している観賞用植物によく似ています。
04白アヤメ…葉の幅は2cm程で茎の途中から何枚も出ており、アヤメとは違う植物のように思えました。「白アヤメ」の名前で流通している観賞用植物によく似ています。
05シロバナムラサキツユクサ…ムラサキツユクサ<写真06>の白バージョンです。初めて見ました。花数は少なくこれからのようです。
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05シロバナムラサキツユクサ…ムラサキツユクサ<写真06>の白バージョンです。初めて見ました。花数は少なくこれからのようです。
06ムラサキツユクサ…直径3cm程の花はオオムラサキツユクサに似ていますが、萼に毛が少なく、まとまって先端についているくらいです。
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06ムラサキツユクサ…直径3cm程の花はオオムラサキツユクサに似ていますが、萼に毛が少なく、まとまって先端についているくらいです。
07ヤグルマギク…直径2.5cm程の花です。昔はヤグルマソウと呼ばれていましたが、同名の植物があるため改称されました。ここまでが誕生寺駐車場の東端です。花を観賞していたら、駐車場から出るのに5分かかりました😅
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07ヤグルマギク…直径2.5cm程の花です。昔はヤグルマソウと呼ばれていましたが、同名の植物があるため改称されました。ここまでが誕生寺駐車場の東端です。花を観賞していたら、駐車場から出るのに5分かかりました😅
08久米南町汚水管マンホールの蓋…久米南町のキャラクターであるカッピーのソフトボールバージョン(ハープを持ったバージョンもあります)と町花のツツジのデザインです。直径40cm程の小さな蓋でした。
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08久米南町汚水管マンホールの蓋…久米南町のキャラクターであるカッピーのソフトボールバージョン(ハープを持ったバージョンもあります)と町花のツツジのデザインです。直径40cm程の小さな蓋でした。
09誕生寺山門…国指定重要文化財で、正徳6年(1716年)の棟札があります。境内の石畳などが工事中のようで、令和8年2月27日までとの掲示がありました。工事の音は聞こえますが、建物は手つかずで参拝に支障はありません。
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09誕生寺山門…国指定重要文化財で、正徳6年(1716年)の棟札があります。境内の石畳などが工事中のようで、令和8年2月27日までとの掲示がありました。工事の音は聞こえますが、建物は手つかずで参拝に支障はありません。
10逆木の公孫樹…誕生寺七不思議のひとつです。勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山へと旅立つ際、杖にしていた岡山県奈義町の菩提寺のイチョウの枝を上下逆に地に挿したところ、根が天に向かって伸びたといわれています。この逆木(さかき)の公孫樹(いちょう)は、樹高は10mですが、幹周は約4mとなかなかの太さです。説明板では県指定となっていますが、現在は久米南町指定天然記念物です。実は、伝説では同じ木のはずの菩提寺のイチョウは雄木、これは雌木なので、町指定に降格になったのかも😅動画も撮りました。
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10逆木の公孫樹…誕生寺七不思議のひとつです。勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山へと旅立つ際、杖にしていた岡山県奈義町の菩提寺のイチョウの枝を上下逆に地に挿したところ、根が天に向かって伸びたといわれています。この逆木(さかき)の公孫樹(いちょう)は、樹高は10mですが、幹周は約4mとなかなかの太さです。説明板では県指定となっていますが、現在は久米南町指定天然記念物です。実は、伝説では同じ木のはずの菩提寺のイチョウは雄木、これは雌木なので、町指定に降格になったのかも😅動画も撮りました。
11誕生寺御影堂(本堂)…国指定重要文化財で、元禄8年(1695年)に建立されました。こちらは棟札<写真61>が3枚あり、宝物館に入ってすぐ右側に見られます。御影堂(みえいどう)内部は撮影禁止です。誕生寺七不思議のひとつである石仏大師などがありました。
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11誕生寺御影堂(本堂)…国指定重要文化財で、元禄8年(1695年)に建立されました。こちらは棟札<写真61>が3枚あり、宝物館に入ってすぐ右側に見られます。御影堂(みえいどう)内部は撮影禁止です。誕生寺七不思議のひとつである石仏大師などがありました。
12御影堂向拝の下の彫刻…立派な竜の彫刻です。
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12御影堂向拝の下の彫刻…立派な竜の彫刻です。
13御影堂向拝の下の木鼻…右は獅子、左は蹄とひげがあるので麒麟(きりん)でしょう。見上げて向拝周辺を動画に撮りました。
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13御影堂向拝の下の木鼻…右は獅子、左は蹄とひげがあるので麒麟(きりん)でしょう。見上げて向拝周辺を動画に撮りました。
14御影堂向拝の下の『誕生律寺』の扁額…寛政4年(1792年)に誕生律寺となりました。戒律を学び実践する寺院です。扁額の縁に葵紋と菊花紋章が描かれています。浄土宗の信徒だった徳川家康が葵紋の使用を許可しました。菊花紋章は、特に江戸時代に浄土宗の総本山知恩院の住職を皇族が代々務めていたためのようです。
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14御影堂向拝の下の『誕生律寺』の扁額…寛政4年(1792年)に誕生律寺となりました。戒律を学び実践する寺院です。扁額の縁に葵紋と菊花紋章が描かれています。浄土宗の信徒だった徳川家康が葵紋の使用を許可しました。菊花紋章は、特に江戸時代に浄土宗の総本山知恩院の住職を皇族が代々務めていたためのようです。
15御影堂の宝珠…誕生寺七不思議のひとつです。御影堂<写真11>の屋根の中央にあります。この形は珍しいのだそうです。
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15御影堂の宝珠…誕生寺七不思議のひとつです。御影堂<写真11>の屋根の中央にあります。この形は珍しいのだそうです。
16御影堂屋根上の鬼瓦…鳥の彫刻はくちばしが曲がっていますが冠羽がなさそうなので、浄土の六鳥のひとつで説法を解くとされる舎利(しゃり)でしょうか。
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16御影堂屋根上の鬼瓦…鳥の彫刻はくちばしが曲がっていますが冠羽がなさそうなので、浄土の六鳥のひとつで説法を解くとされる舎利(しゃり)でしょうか。
17誕生寺阿弥陀堂(瑞応殿)…平成15年に再建されました。なんと、自動ドアです。中に入ると消毒液があり、コロナ対策もバッチリ。金ピカの阿弥陀如来様がおられました。
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17誕生寺阿弥陀堂(瑞応殿)…平成15年に再建されました。なんと、自動ドアです。中に入ると消毒液があり、コロナ対策もバッチリ。金ピカの阿弥陀如来様がおられました。
18摩尼車(まにぐるま)…阿弥陀堂(瑞応殿)<写真17>前です。チベット発祥の仏具で、一周回すと、これに刻まれた経典を一度読んだのと同じ功徳があるとされています。
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18摩尼車(まにぐるま)…阿弥陀堂(瑞応殿)<写真17>前です。チベット発祥の仏具で、一周回すと、これに刻まれた経典を一度読んだのと同じ功徳があるとされています。
19誕生寺方丈前の唐門&鐘楼…寺務所で方丈・庭園拝観料一人300円を払いました。拝観券のQRコードを読み取ると音声ガイドが流れますが、忘れていました😅拝観時間は9〜16時です。
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19誕生寺方丈前の唐門&鐘楼…寺務所で方丈・庭園拝観料一人300円を払いました。拝観券のQRコードを読み取ると音声ガイドが流れますが、忘れていました😅拝観時間は9〜16時です。
20シラン…普通、シランといえばこの色一色で無地の花です。傷んだのもありますがまだ見頃でした。サツキは咲き始めのようでした。この先でスリッパに履き替えて方丈に入りました。
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20シラン…普通、シランといえばこの色一色で無地の花です。傷んだのもありますがまだ見頃でした。サツキは咲き始めのようでした。この先でスリッパに履き替えて方丈に入りました。
21誕生寺方丈内部「人肌のれん木」…誕生寺七不思議のひとつです。勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山に旅立つ際、母の秦氏君に与えたイチョウのれん木(れんぎ:中四国の方言ですりこぎのこと)です。上人の肌の温かさを保ち続けているといわれています。説明書きに「参拝者はこれに触れて・・・」とあったので、そっと触ってみました。温かくも冷たくもなく、ビミョーでした。信心がないもので、すみません😅
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21誕生寺方丈内部「人肌のれん木」…誕生寺七不思議のひとつです。勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山に旅立つ際、母の秦氏君に与えたイチョウのれん木(れんぎ:中四国の方言ですりこぎのこと)です。上人の肌の温かさを保ち続けているといわれています。説明書きに「参拝者はこれに触れて・・・」とあったので、そっと触ってみました。温かくも冷たくもなく、ビミョーでした。信心がないもので、すみません😅
22初代椋の霊木…法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来てこの椋の枝に掛かったという伝説があります。これはその一部で、実物は1m少々あったように思います。こちらも触ってみましたが、人肌のれん木<写真21>と同じような温度に思えました。
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22初代椋の霊木…法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来てこの椋の枝に掛かったという伝説があります。これはその一部で、実物は1m少々あったように思います。こちらも触ってみましたが、人肌のれん木<写真21>と同じような温度に思えました。
23誕生寺方丈「蝦蟇(がま)の間」…各部屋の名前は、安政2年(1855年)頃に法橋義信(長安義信)によって描かれた襖絵の題材をもとにつけられているようです。「蟇仙人図」と題した絵には、蝦蟇仙人と鉄拐の二人の仙人、3本足のヒキガエルなどが描かれています。
23誕生寺方丈「蝦蟇(がま)の間」…各部屋の名前は、安政2年(1855年)頃に法橋義信(長安義信)によって描かれた襖絵の題材をもとにつけられているようです。「蟇仙人図」と題した絵には、蝦蟇仙人と鉄拐の二人の仙人、3本足のヒキガエルなどが描かれています。
24片目の魚…保延7年(1141年)、勢至丸(法然上人の幼名)が父を襲った明石定明(さだあきら)の右目を射たところ、定明は誕生寺境内を流れる片目川で目を洗い逃げました。以来、この川に片目の魚が出現するようになったといわれています。魚の写っている側は目がないように見えますが、反対側には黒く大きな目がありました。
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24片目の魚…保延7年(1141年)、勢至丸(法然上人の幼名)が父を襲った明石定明(さだあきら)の右目を射たところ、定明は誕生寺境内を流れる片目川で目を洗い逃げました。以来、この川に片目の魚が出現するようになったといわれています。魚の写っている側は目がないように見えますが、反対側には黒く大きな目がありました。
25法然上人座像…宝暦11年(1761年)の作です。浄土宗総本山である知恩院の御影堂にある法然上人像を模したものでしょうか。
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25法然上人座像…宝暦11年(1761年)の作です。浄土宗総本山である知恩院の御影堂にある法然上人像を模したものでしょうか。
26椋の御影…誕生寺七不思議のひとつです。法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋<写真22>の枝に掛かったという伝説があります。その椋が枯れた時、木から上人のお姿が昇天し、その跡が残っているといわれています。ガラス越しに真っ黒の木を見てもいまいちよくわかりませんでした。
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26椋の御影…誕生寺七不思議のひとつです。法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋<写真22>の枝に掛かったという伝説があります。その椋が枯れた時、木から上人のお姿が昇天し、その跡が残っているといわれています。ガラス越しに真っ黒の木を見てもいまいちよくわかりませんでした。
27ギヤマン食器…天正7年(1579年)に浄厳院で行われた安土問答(浄土宗と日蓮宗との論争)の際、秀吉から拝受したと伝わっています。信長に忖度したのか、浄土宗側の勝ちと判定されたため、勝者への褒美として与えられたのかもしれません。
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27ギヤマン食器…天正7年(1579年)に浄厳院で行われた安土問答(浄土宗と日蓮宗との論争)の際、秀吉から拝受したと伝わっています。信長に忖度したのか、浄土宗側の勝ちと判定されたため、勝者への褒美として与えられたのかもしれません。
28平櫛田中作「大黒恵比寿」…平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は国立劇場に常設されていた「鏡獅子」で有名な木彫家です。これは彼の作品を原型とした鋳物のようで、似たようなのがネット販売中😅隣にやはり金ピカの恵比寿像があり、セットのようです。ちなみに、「鏡獅子」は岡山県井原(いばら)市にある平櫛田中美術館に里帰り中です。
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28平櫛田中作「大黒恵比寿」…平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は国立劇場に常設されていた「鏡獅子」で有名な木彫家です。これは彼の作品を原型とした鋳物のようで、似たようなのがネット販売中😅隣にやはり金ピカの恵比寿像があり、セットのようです。ちなみに、「鏡獅子」は岡山県井原(いばら)市にある平櫛田中美術館に里帰り中です。
29誕生寺方丈「老松と鶴の間」…40歳で優れた絵師に与えられる法橋(ほっきょう)という称号を得た長安義信は、当時の誕生寺住職と同郷(兵庫県赤穂市)のよしみで、何度かここを訪問しています。その縁でこれらが描かれたようです。
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29誕生寺方丈「老松と鶴の間」…40歳で優れた絵師に与えられる法橋(ほっきょう)という称号を得た長安義信は、当時の誕生寺住職と同郷(兵庫県赤穂市)のよしみで、何度かここを訪問しています。その縁でこれらが描かれたようです。
30勢至丸像…唐獅子の間にありました。父を夜襲で亡くした9歳のときの勢至丸(法然上人の幼名)像です。
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30勢至丸像…唐獅子の間にありました。父を夜襲で亡くした9歳のときの勢至丸(法然上人の幼名)像です。
31誕生寺方丈「唐獅子の間」…この部屋が最も広く、2部屋分ありました。
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31誕生寺方丈「唐獅子の間」…この部屋が最も広く、2部屋分ありました。
32華頂宮尊超法親王御遺品…華頂宮とも称される尊超法親王は、有栖川宮家(ありすがわのみやけ)出身で浄土宗総本山知恩院の住職を務めました。その関係で遺品がここにあるようです。
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32華頂宮尊超法親王御遺品…華頂宮とも称される尊超法親王は、有栖川宮家(ありすがわのみやけ)出身で浄土宗総本山知恩院の住職を務めました。その関係で遺品がここにあるようです。
33駕籠(かご)…これも尊超法親王の遺品でしょうか。
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33駕籠(かご)…これも尊超法親王の遺品でしょうか。
34誕生寺方丈「表上段の間」…奥の掛け軸の「白幡二・・・」は、法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋<写真22>の枝に掛かったという伝説を元にしたものでしょう。
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34誕生寺方丈「表上段の間」…奥の掛け軸の「白幡二・・・」は、法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋<写真22>の枝に掛かったという伝説を元にしたものでしょう。
35板戸…説明はなく、通路に5枚立てかけてありました。部屋の仕切りだったのかもしれません。
35板戸…説明はなく、通路に5枚立てかけてありました。部屋の仕切りだったのかもしれません。
36誕生寺方丈「表上段の間」(奥側)…拝観券に記載された間取り図には、表上段の間が2部屋あります。これは奥の小さいほうの部屋です。
36誕生寺方丈「表上段の間」(奥側)…拝観券に記載された間取り図には、表上段の間が2部屋あります。これは奥の小さいほうの部屋です。
37誕生寺方丈「鷹の間」…写っていませんが、左側の襖の鷹の左に「温(ぬく)め鳥」(猛禽類が冬の夜に足を温めるために捕まえる小鳥で、翌朝には逃がす)が描かれていましたが、あまりにも上手に描かれたので生を受けて飛び去ったといわれています。
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37誕生寺方丈「鷹の間」…写っていませんが、左側の襖の鷹の左に「温(ぬく)め鳥」(猛禽類が冬の夜に足を温めるために捕まえる小鳥で、翌朝には逃がす)が描かれていましたが、あまりにも上手に描かれたので生を受けて飛び去ったといわれています。
38誕生寺方丈「人物の間」…「竹林賢人の図」と題し、竹林の七賢が描かれています。
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38誕生寺方丈「人物の間」…「竹林賢人の図」と題し、竹林の七賢が描かれています。
39誕生寺方丈廊下の彫刻…なぜかここにだけ廊下に欄間のようなものがありました。
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39誕生寺方丈廊下の彫刻…なぜかここにだけ廊下に欄間のようなものがありました。
40釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)四拾一編…江戸後期から明治初めにかけて万亭応賀により書かれた釈迦の伝記のような読み物の41巻です。
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40釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)四拾一編…江戸後期から明治初めにかけて万亭応賀により書かれた釈迦の伝記のような読み物の41巻です。
41法然上人御筆御名号…法然上人は慈眼房叡空の弟子として法然房源空という名を授けられました。「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれているのだろうと思いますが、よく見えませんでした。
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41法然上人御筆御名号…法然上人は慈眼房叡空の弟子として法然房源空という名を授けられました。「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれているのだろうと思いますが、よく見えませんでした。
42誕生寺方丈「虎の間」越しに唐門…左のふすまに虎が描かれていますが、かなり色が薄くなっていました。中央奥に入口の唐門<写真19>が見えています。上に岡山県津山市出身で昭和14年に内閣総理大臣となった平沼騏一郎の書が飾られています。
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42誕生寺方丈「虎の間」越しに唐門…左のふすまに虎が描かれていますが、かなり色が薄くなっていました。中央奥に入口の唐門<写真19>が見えています。上に岡山県津山市出身で昭和14年に内閣総理大臣となった平沼騏一郎の書が飾られています。
43十界図…迷える者が輪廻転生する六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)と悟りの世界である四聖(仏、菩薩、縁覚、声聞)を描いたもので、下のほうが六道のようです。鎌倉時代の割には色がきれいに残っています。
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43十界図…迷える者が輪廻転生する六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)と悟りの世界である四聖(仏、菩薩、縁覚、声聞)を描いたもので、下のほうが六道のようです。鎌倉時代の割には色がきれいに残っています。
44龍彫如意…作者の木食上人は木食応其(もくじきおうご)ではなく、木喰仏の作者の木喰(もくじき)上人のほうでしょうか。如意は読経や説法の際に手に持つ道具です。
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44龍彫如意…作者の木食上人は木食応其(もくじきおうご)ではなく、木喰仏の作者の木喰(もくじき)上人のほうでしょうか。如意は読経や説法の際に手に持つ道具です。
45桃太郎像…右の桃太郎像は片手で鬼を掲げています。鬼は高い高いされてもちっともうれしくなさそうです😁
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45桃太郎像…右の桃太郎像は片手で鬼を掲げています。鬼は高い高いされてもちっともうれしくなさそうです😁
46誕生寺方丈より庭園南側…ガラス戸を開けて外に出てみました。片目川が流れています。水が少し白濁しているのが気になりましたが、前日の雨のせいのようです。この少し北から廊下を歩きながら動画を撮り、戻って方丈内を一周しながら再び動画を撮りました。
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46誕生寺方丈より庭園南側…ガラス戸を開けて外に出てみました。片目川が流れています。水が少し白濁しているのが気になりましたが、前日の雨のせいのようです。この少し北から廊下を歩きながら動画を撮り、戻って方丈内を一周しながら再び動画を撮りました。
47誕生寺方丈より庭園越しに鐘楼…正確にはトイレなどがある建物と方丈との間の廊下です。唐門<写真19>の横にある鐘楼の鐘が見えました。結局、方丈と庭園の拝観だけで40分かかりました。
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47誕生寺方丈より庭園越しに鐘楼…正確にはトイレなどがある建物と方丈との間の廊下です。唐門<写真19>の横にある鐘楼の鐘が見えました。結局、方丈と庭園の拝観だけで40分かかりました。
48旅立ちの法然さまの像…保延7年(1141年)、夜襲により父をなくした勢至丸(法然上人の幼名)は、遺言に従い岡山県奈義(なぎ)町にある菩提寺の住職である叔父の下で修業し、15歳で比叡山行きを決意、母・秦氏君に別れを告げるため生家に戻りました。いざ旅立とうとする法然上人像の近くに我が子の無事を祈る母君の像があります。
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48旅立ちの法然さまの像…保延7年(1141年)、夜襲により父をなくした勢至丸(法然上人の幼名)は、遺言に従い岡山県奈義(なぎ)町にある菩提寺の住職である叔父の下で修業し、15歳で比叡山行きを決意、母・秦氏君に別れを告げるため生家に戻りました。いざ旅立とうとする法然上人像の近くに我が子の無事を祈る母君の像があります。
49守護大仏…延享2年(1745年)開眼の仏像で、平成26年に法然上人没後800年の記念に勢至堂<写真55>境内からここに移されました。
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49守護大仏…延享2年(1745年)開眼の仏像で、平成26年に法然上人没後800年の記念に勢至堂<写真55>境内からここに移されました。
50観音堂…寛永8年(1631年)、津山城初代城主森忠政の寄進により建てられました。江戸で誕生寺の御本尊の御開帳を行った際、江戸での供養を禁じられていた八百屋お七の遺族から位牌と形見の振袖を託された誕生寺の僧侶が、ここで供養を行ったそうです。そのため、お七観音とも呼ばれています。ちなみに、放火するようお七をそそのかした吉三郎は、供養の旅に出たものの、御津町(現岡山市北区)で没し、持っていたお七の遺骨とともに葬られました。旧御津町には二人の墓があります。
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50観音堂…寛永8年(1631年)、津山城初代城主森忠政の寄進により建てられました。江戸で誕生寺の御本尊の御開帳を行った際、江戸での供養を禁じられていた八百屋お七の遺族から位牌と形見の振袖を託された誕生寺の僧侶が、ここで供養を行ったそうです。そのため、お七観音とも呼ばれています。ちなみに、放火するようお七をそそのかした吉三郎は、供養の旅に出たものの、御津町(現岡山市北区)で没し、持っていたお七の遺骨とともに葬られました。旧御津町には二人の墓があります。
51両幡の椋(三代目)&石造五輪塔…法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋の枝に掛かったという伝説があります。初代<写真22>は方丈に展示されており、現在の木は三代目だそうです。石造五輪塔は岡山県の重要文化財で、応永32年(1425年)の作です。
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51両幡の椋(三代目)&石造五輪塔…法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋の枝に掛かったという伝説があります。初代<写真22>は方丈に展示されており、現在の木は三代目だそうです。石造五輪塔は岡山県の重要文化財で、応永32年(1425年)の作です。
52無垢橋…国の登録有形文化財です。誕生寺境内を流れる片目川に架かっています。大正9年(1920年)築造で、木製の橋に似たデザインになっています。
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52無垢橋…国の登録有形文化財です。誕生寺境内を流れる片目川に架かっています。大正9年(1920年)築造で、木製の橋に似たデザインになっています。
53勢至堂入口…奥に見えている勢至堂<写真55>に法然上人の両親の墓があります。
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53勢至堂入口…奥に見えている勢至堂<写真55>に法然上人の両親の墓があります。
54石造宝篋印塔…岡山県指定重要文化財です。銘はありませんが、様式から南北朝時代のものと考えられています。
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54石造宝篋印塔…岡山県指定重要文化財です。銘はありませんが、様式から南北朝時代のものと考えられています。
55勢至堂…勢至菩薩を中央に安置し両脇に法然上人の両親の墓があります。扉の隙間から中に入ると、お賽銭箱もありました。
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55勢至堂…勢至菩薩を中央に安置し両脇に法然上人の両親の墓があります。扉の隙間から中に入ると、お賽銭箱もありました。
56森大膳亮重政と大野木の墓…津山城初代城主森忠政の息子・重政とその養母で柴田勝家の娘である大野木の墓がありました。右奥が重政のほうです。どちらも見上げる高さでした。ちなみに、重政の墓は岡山県鏡野町真経にあるほうが最初で、ここに改葬されました。
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56森大膳亮重政と大野木の墓…津山城初代城主森忠政の息子・重政とその養母で柴田勝家の娘である大野木の墓がありました。右奥が重政のほうです。どちらも見上げる高さでした。ちなみに、重政の墓は岡山県鏡野町真経にあるほうが最初で、ここに改葬されました。
57法然上人産湯の井戸…天正6年(1578年)、当時の住職が片目川で光る石像を発見、光が消えるなどの異変は凶兆ではと御本尊をこの中に隠しました。翌年、宇喜多一門に襲撃されましたが、御本尊は無事でした。のぞきこんだところ、聖なる蚊がお出ましに。バチ当たり二人は献血もせず逃げました😅
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57法然上人産湯の井戸…天正6年(1578年)、当時の住職が片目川で光る石像を発見、光が消えるなどの異変は凶兆ではと御本尊をこの中に隠しました。翌年、宇喜多一門に襲撃されましたが、御本尊は無事でした。のぞきこんだところ、聖なる蚊がお出ましに。バチ当たり二人は献血もせず逃げました😅
58五輪塔群…こちらは岡山県の重要文化財ではなさそうです。いかにも古そうでした。
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58五輪塔群…こちらは岡山県の重要文化財ではなさそうです。いかにも古そうでした。
59誕生寺奥の院「浄土院六角堂」…法然上人の両親の菩提所です。
59誕生寺奥の院「浄土院六角堂」…法然上人の両親の菩提所です。
60六角堂…コンクリート道を少し上って見下ろしました。ここからだと六角形なのがわかりやすいです。
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60六角堂…コンクリート道を少し上って見下ろしました。ここからだと六角形なのがわかりやすいです。
61誕生寺宝物館内部御影堂の棟札…拝観料300円は入ってすぐの箱に入れます。右側に御影堂(本堂)<写真11〜16>の棟札がありました。これがあるため御影堂は国の重要文化財に指定されています。棟札は展示されないことのほうが多いので、テンションが上がりました。
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61誕生寺宝物館内部御影堂の棟札…拝観料300円は入ってすぐの箱に入れます。右側に御影堂(本堂)<写真11〜16>の棟札がありました。これがあるため御影堂は国の重要文化財に指定されています。棟札は展示されないことのほうが多いので、テンションが上がりました。
62熊谷直実の浮世絵…『平家物語』の「敦盛最期」の段で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)は、これを機に出家し、建久4(1193)年に法然上人の命を受け、生家の跡に誕生寺を建立したとされています。
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62熊谷直実の浮世絵…『平家物語』の「敦盛最期」の段で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)は、これを機に出家し、建久4(1193)年に法然上人の命を受け、生家の跡に誕生寺を建立したとされています。
63熊谷蓮生念仏鉦…直実が法然上人自作の木像を携え、これを打ち鳴らしながら歩いたといわれています。
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63熊谷蓮生念仏鉦…直実が法然上人自作の木像を携え、これを打ち鳴らしながら歩いたといわれています。
64法然上人誕生絵図…表装の裏に各地を行脚した名僧・厭求 (えんぐ)が貞享4年(1687年)に描いて献上したとあるそうですが、説明書きには「元禄2(1697)年久米南町誕生寺蔵」の文字が😅
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64法然上人誕生絵図…表装の裏に各地を行脚した名僧・厭求 (えんぐ)が貞享4年(1687年)に描いて献上したとあるそうですが、説明書きには「元禄2(1697)年久米南町誕生寺蔵」の文字が😅
65法然上人御真筆…「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれています。この2点と方丈に展示されている法然上人御筆御名号<写真41>の計3点は、いずれも「源空」の文字が異なるように見えるのですが😅
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65法然上人御真筆…「南無阿弥陀仏」の六字名号が書かれています。この2点と方丈に展示されている法然上人御筆御名号<写真41>の計3点は、いずれも「源空」の文字が異なるように見えるのですが😅
66木造清涼寺様釈迦像…岡山県指定重要文化財です。縄目状の頭髪や流水状の衣文が特徴の清涼寺様式の仏像です。ちなみに、同文化財の木造阿弥陀如来立像は胎内から「法然上人御誕生所本尊」と刷り込んだ印仏が多数発見され、誕生寺の旧本尊と判明しています。そちらには気づかなかったのですが、普段は非公開なのでしょうか。
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66木造清涼寺様釈迦像…岡山県指定重要文化財です。縄目状の頭髪や流水状の衣文が特徴の清涼寺様式の仏像です。ちなみに、同文化財の木造阿弥陀如来立像は胎内から「法然上人御誕生所本尊」と刷り込んだ印仏が多数発見され、誕生寺の旧本尊と判明しています。そちらには気づかなかったのですが、普段は非公開なのでしょうか。
67綱吉公朱印状…誕生寺の50石の境内地において年貢などを免除する旨を記載した朱印状で、元禄12年(1699年)に徳川綱吉より受け取ったものです。
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67綱吉公朱印状…誕生寺の50石の境内地において年貢などを免除する旨を記載した朱印状で、元禄12年(1699年)に徳川綱吉より受け取ったものです。
68涅槃図仏陀釈尊入滅…方丈の襖絵の作者・法橋義信(長安義信)の作品です。
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68涅槃図仏陀釈尊入滅…方丈の襖絵の作者・法橋義信(長安義信)の作品です。
69土佐光起の屏風…江戸時代の絵師で土佐派を再興したことで知られる土佐光起の屏風です。
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69土佐光起の屏風…江戸時代の絵師で土佐派を再興したことで知られる土佐光起の屏風です。
70大和絵…土佐光起・光成親子の作品です。
70大和絵…土佐光起・光成親子の作品です。
71櫓時計…岡山県指定重要文化財です。三つ葉葵の紋が入っており、底部には尾張徳川家のお抱え時計師・津田助左衛門の銘があります。時計部の扉には天保12年(1841年)に兵庫屋ナツという女性が寄進したと書かれています。
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71櫓時計…岡山県指定重要文化財です。三つ葉葵の紋が入っており、底部には尾張徳川家のお抱え時計師・津田助左衛門の銘があります。時計部の扉には天保12年(1841年)に兵庫屋ナツという女性が寄進したと書かれています。
72櫓時計内部…この歯車が一回転すると鐘が鳴ります。
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72櫓時計内部…この歯車が一回転すると鐘が鳴ります。
73地蔵菩薩像…作者の万米上人は満米(まんべい、まんまい)上人と同一人物でしょうか。平安時代前期の僧侶らしいのですが、このお地蔵様は奈良時代😅
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73地蔵菩薩像…作者の万米上人は満米(まんべい、まんまい)上人と同一人物でしょうか。平安時代前期の僧侶らしいのですが、このお地蔵様は奈良時代😅
74豊太閤愛用茶釜…天正7年(1579年)に浄厳院で行われた安土問答(浄土宗と日蓮宗との論争)の際、方丈に展示されているギヤマン食器<写真27>とともに秀吉から拝受したものです。なぜ一緒に展示しなかったのでしょうか。
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74豊太閤愛用茶釜…天正7年(1579年)に浄厳院で行われた安土問答(浄土宗と日蓮宗との論争)の際、方丈に展示されているギヤマン食器<写真27>とともに秀吉から拝受したものです。なぜ一緒に展示しなかったのでしょうか。
75秦氏君御鏡…誕生寺七不思議のひとつです。法然上人の母・秦氏君が息子との別れを悲しみ流した涙の跡があり、以降、人の顔を映さなくなったと伝わっています。内部を一周しながら動画を撮り、見落としたことに気づきました。宝物館滞在時間は15分でした。
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75秦氏君御鏡…誕生寺七不思議のひとつです。法然上人の母・秦氏君が息子との別れを悲しみ流した涙の跡があり、以降、人の顔を映さなくなったと伝わっています。内部を一周しながら動画を撮り、見落としたことに気づきました。宝物館滞在時間は15分でした。
76誕生寺毘沙門堂…ご本尊の毘沙門天像は、毘沙門天信仰の総本山・信貴山朝護孫子寺よりいただいたものと伝わっています。ここまでが誕生寺境内です。方丈<写真19〜47>や宝物館<写真61〜75>も含め拝観に1時間40分かかりました。山行の出発点のはずが、もう終わった気分😅
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76誕生寺毘沙門堂…ご本尊の毘沙門天像は、毘沙門天信仰の総本山・信貴山朝護孫子寺よりいただいたものと伝わっています。ここまでが誕生寺境内です。方丈<写真19〜47>や宝物館<写真61〜75>も含め拝観に1時間40分かかりました。山行の出発点のはずが、もう終わった気分😅
77娑婆堂六字名号碑…これほど高い六字名号碑は初めて見ました。日本三大練り供養のひとつで岡山県指定重要無形民俗文化財の誕生寺二十五菩薩練供養の会場のひとつです。毎年4月第3日曜日に仮装した二十五菩薩が極楽浄土(誕生寺御影堂)<写真11>を出発、現世(娑婆堂)の法然上人の親(毎年交互に供養)の像を極楽浄土にお連れします。
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77娑婆堂六字名号碑…これほど高い六字名号碑は初めて見ました。日本三大練り供養のひとつで岡山県指定重要無形民俗文化財の誕生寺二十五菩薩練供養の会場のひとつです。毎年4月第3日曜日に仮装した二十五菩薩が極楽浄土(誕生寺御影堂)<写真11>を出発、現世(娑婆堂)の法然上人の親(毎年交互に供養)の像を極楽浄土にお連れします。
78娑婆堂内部六地蔵&賽の河原図…中央がご本尊の地蔵菩薩、左右の計6体が六道を表した六地蔵です。上に賽の河原の彫刻があります。
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78娑婆堂内部六地蔵&賽の河原図…中央がご本尊の地蔵菩薩、左右の計6体が六道を表した六地蔵です。上に賽の河原の彫刻があります。
79念佛橋…飛び越えられそうな長さの橋です。『平家物語』の「敦盛最期」の段で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)は、建久4(1193)年に法然上人の生家に寺を建立するようにとの命を受けました。この橋の上で目指す生家を目にしたうれしさに号泣し、高らかに念仏を唱えたのがこの橋の名前の由来です。
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79念佛橋…飛び越えられそうな長さの橋です。『平家物語』の「敦盛最期」の段で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)は、建久4(1193)年に法然上人の生家に寺を建立するようにとの命を受けました。この橋の上で目指す生家を目にしたうれしさに号泣し、高らかに念仏を唱えたのがこの橋の名前の由来です。
80テイカカズラ…直径2cm程の花はケテイカカズラに似ていますが、花筒の細い部分が太い部分よりも長いです。つぼみもありますが花数が多く見応えがありました。
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80テイカカズラ…直径2cm程の花はケテイカカズラに似ていますが、花筒の細い部分が太い部分よりも長いです。つぼみもありますが花数が多く見応えがありました。
81八重咲きの平戸ツツジ…直径5cm程の花です。最後の1輪でした。
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81八重咲きの平戸ツツジ…直径5cm程の花です。最後の1輪でした。
82加茂神社拝殿…835年に加茂大社として創建され、法然上人の先祖である漆間(うるま)家に代々崇敬されていたため、誕生寺の鎮守の神として元和3年(1617年)に誕生寺の住職が再興しました。
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82加茂神社拝殿…835年に加茂大社として創建され、法然上人の先祖である漆間(うるま)家に代々崇敬されていたため、誕生寺の鎮守の神として元和3年(1617年)に誕生寺の住職が再興しました。
83加茂神社本殿…ご祭神は大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。
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83加茂神社本殿…ご祭神は大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。
84「誕生寺之道」道標…この道は昔から誕生寺の参道だったのでしょう。
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84「誕生寺之道」道標…この道は昔から誕生寺の参道だったのでしょう。
85JR津山線誕生寺駅ホームより南側…誕生寺駅の駅舎は木造ですが、あまり古くはなさそうでした。無人駅で待合室もこじんまりとしており、ホームからのどかな風景を楽しんですぐに引き返しました。
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85JR津山線誕生寺駅ホームより南側…誕生寺駅の駅舎は木造ですが、あまり古くはなさそうでした。無人駅で待合室もこじんまりとしており、ホームからのどかな風景を楽しんですぐに引き返しました。
86「左 誕生寺道」道標…新旧の道標のコラボです。
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86「左 誕生寺道」道標…新旧の道標のコラボです。
87稲岡神社一の鳥居越しに二の鳥居…手前の一の鳥居はまさかの金属製😮それよりも、右隣のサツマイモスイーツ専門店「農園スイーツmoimo」(もいも)が気になりました。営業は金・土・日・月の10〜17時(売り切れ御免)で、ちょうど営業中でした。誕生寺で時間を食い過ぎて急いでいたのでスルーしましたが、もったいなかったかも。
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87稲岡神社一の鳥居越しに二の鳥居…手前の一の鳥居はまさかの金属製😮それよりも、右隣のサツマイモスイーツ専門店「農園スイーツmoimo」(もいも)が気になりました。営業は金・土・日・月の10〜17時(売り切れ御免)で、ちょうど営業中でした。誕生寺で時間を食い過ぎて急いでいたのでスルーしましたが、もったいなかったかも。
88ムシトリナデシコ…直径1.5cm程の花は中心部のヒラヒラした鱗片と長い萼筒が特徴です。茎の上部の節の下から出る粘液に虫がくっつくことがありますが、食虫植物ではありません。この周辺だけでした。
88ムシトリナデシコ…直径1.5cm程の花は中心部のヒラヒラした鱗片と長い萼筒が特徴です。茎の上部の節の下から出る粘液に虫がくっつくことがありますが、食虫植物ではありません。この周辺だけでした。
89シャクヤク…ボタンに似た花の直径は15cm程でした。先端の葉は3裂しますが、それ以外は対生に見えます。この1輪だけでした。
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89シャクヤク…ボタンに似た花の直径は15cm程でした。先端の葉は3裂しますが、それ以外は対生に見えます。この1輪だけでした。
90稲岡神社拝殿…斉明元年(655年)、熊野本宮大社を勧請して南王子権現と称したと伝えられています。また、法然上人の生家・漆間(うるま)家が仁平元年(1151年)にこの周辺(美作国稲岡南荘)を熊野坐(くまのにいます)神社(現熊野本宮大社)に寄進したそうです。明治元年に稲岡神社と改称しました。
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90稲岡神社拝殿…斉明元年(655年)、熊野本宮大社を勧請して南王子権現と称したと伝えられています。また、法然上人の生家・漆間(うるま)家が仁平元年(1151年)にこの周辺(美作国稲岡南荘)を熊野坐(くまのにいます)神社(現熊野本宮大社)に寄進したそうです。明治元年に稲岡神社と改称しました。
91稲岡神社本殿&境内社…ご祭神は神武天皇などです。左の境内社は赤い鳥居があるので稲荷神社でしょう。
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91稲岡神社本殿&境内社…ご祭神は神武天皇などです。左の境内社は赤い鳥居があるので稲荷神社でしょう。
92コウゾリナ…直径2cm程の花はブタナ<写真94>などに似ていますが、総苞や茎が毛深いです。群生している箇所もいくつかありました。
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92コウゾリナ…直径2cm程の花はブタナ<写真94>などに似ていますが、総苞や茎が毛深いです。群生している箇所もいくつかありました。
93ガマズミ…直径1cm足らずの花はコバノガマズミやミヤマガマズミなどに似ています。葉柄は2cm前後とコバノガマズミよりも長く、ミヤマガマズミとは違い赤みを帯びません。
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93ガマズミ…直径1cm足らずの花はコバノガマズミやミヤマガマズミなどに似ています。葉柄は2cm前後とコバノガマズミよりも長く、ミヤマガマズミとは違い赤みを帯びません。
94ブタナ…直径2cm程の黄色い花を咲かせます。茎はひょろひょろと長く伸び、葉は地面に張り付くように広がります。綿毛は初めて見ましたが、直径3.5cm程と花の割には大きめでした。
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94ブタナ…直径2cm程の黄色い花を咲かせます。茎はひょろひょろと長く伸び、葉は地面に張り付くように広がります。綿毛は初めて見ましたが、直径3.5cm程と花の割には大きめでした。
95ノイバラ…直径2cm程の花はミヤコイバラに似ていますが、托葉はより深く裂け腺毛はほとんどありません。今回確認したのはどれもノイバラのほうで、まだ見頃でした。今年は遅れているようです。
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95ノイバラ…直径2cm程の花はミヤコイバラに似ていますが、托葉はより深く裂け腺毛はほとんどありません。今回確認したのはどれもノイバラのほうで、まだ見頃でした。今年は遅れているようです。
96スイカズラ…咲き始めは白く、次第に黄色になります。いい香りがするので見つけやすいです。この日は何度も見かけました。ここは上から垂れ下がるように咲いており見事だったので、見上げて動画も撮りました。
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96スイカズラ…咲き始めは白く、次第に黄色になります。いい香りがするので見つけやすいです。この日は何度も見かけました。ここは上から垂れ下がるように咲いており見事だったので、見上げて動画も撮りました。
97モチツツジ…本州では岡山県の旭川沿いが西限とされています。直径数cmの花は平戸ツツジに似ていますが、萼などに腺毛が多く触るとベタベタします。そろそろ終わりかと思いきや、コガクウツギ<写真104>撮影地点ではかなり咲いていました。
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97モチツツジ…本州では岡山県の旭川沿いが西限とされています。直径数cmの花は平戸ツツジに似ていますが、萼などに腺毛が多く触るとベタベタします。そろそろ終わりかと思いきや、コガクウツギ<写真104>撮影地点ではかなり咲いていました。
98志茂の前?…入口から少し奥の右端に小さな赤い鳥居のある道に入り、山之城旧跡「志茂の前」分岐<写真101>で矢印の方向へ進むと、少し開けた平坦地に出ました。左側が少し高くなっています。道はこの辺りでヤブになりそうでした。ここが志茂の前でしょうか。
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98志茂の前?…入口から少し奥の右端に小さな赤い鳥居のある道に入り、山之城旧跡「志茂の前」分岐<写真101>で矢印の方向へ進むと、少し開けた平坦地に出ました。左側が少し高くなっています。道はこの辺りでヤブになりそうでした。ここが志茂の前でしょうか。
99石垣…周辺を適当に歩いてみると、高さ数十cmの石垣がありました。山城の石垣にしては低く石が小さいです。
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99石垣…周辺を適当に歩いてみると、高さ数十cmの石垣がありました。山城の石垣にしては低く石が小さいです。
100石垣&平坦地…この周辺には低い段差のある平坦地がいくつもあり、やはり何か建物があったように思えました。道標<写真101>の山之城は地名(現山ノ城)ですが、本当に山城があった可能性は十分あります。志茂の前は山城手前の集落か何かで「シロノマエ」の音が変化して「シモノマエ」になったのかもしれません。
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100石垣&平坦地…この周辺には低い段差のある平坦地がいくつもあり、やはり何か建物があったように思えました。道標<写真101>の山之城は地名(現山ノ城)ですが、本当に山城があった可能性は十分あります。志茂の前は山城手前の集落か何かで「シロノマエ」の音が変化して「シモノマエ」になったのかもしれません。
101山之城旧跡「志茂の前」分岐…ここまで引き返してきました。直進はヤブになりそうだったので、左折して斜面を登りました。最初は苔むした粘土に落ち葉が積もった道で少し急でしたが、尾根に出ると歩きやすくなりました。
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101山之城旧跡「志茂の前」分岐…ここまで引き返してきました。直進はヤブになりそうだったので、左折して斜面を登りました。最初は苔むした粘土に落ち葉が積もった道で少し急でしたが、尾根に出ると歩きやすくなりました。
102天津神社本殿&拝殿…予想通り、ここに出てきました。天津山(あまつやま)頂上です。展望は効きませんが、開けておりゆっくり休憩できます。天津(あまつ)神社は、鎌倉幕府打倒のため挙兵したものの鎮圧された越後平氏の城資盛の一族が、落ち延びてきて朝日山に明見大明神をお祀りしたのがはじまりとされています。
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102天津神社本殿&拝殿…予想通り、ここに出てきました。天津山(あまつやま)頂上です。展望は効きませんが、開けておりゆっくり休憩できます。天津(あまつ)神社は、鎌倉幕府打倒のため挙兵したものの鎮圧された越後平氏の城資盛の一族が、落ち延びてきて朝日山に明見大明神をお祀りしたのがはじまりとされています。
103稲荷神社…天津(あまつ)神社<写真102>の境内社です。上ってきた道はこの神社の参道だったのでしょう。赤い鳥居は稲荷神社の印ですが、ここに鎮座しているのをすっかり忘れていたので、別の場所に通じているのではないかと少し心配していました。
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103稲荷神社…天津(あまつ)神社<写真102>の境内社です。上ってきた道はこの神社の参道だったのでしょう。赤い鳥居は稲荷神社の印ですが、ここに鎮座しているのをすっかり忘れていたので、別の場所に通じているのではないかと少し心配していました。
104コガクウツギ…ガクウツギよりも小さな葉の長さは5cm以下です。岡山県にはガクウツギは分布していません。ここは少し開けており、地形図では直進すると西に延びる道がありますが、実際にはそちらは右折方向で入口にロープが張られてヤブでした。結局、直進して砂利と土の道を進みました。
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104コガクウツギ…ガクウツギよりも小さな葉の長さは5cm以下です。岡山県にはガクウツギは分布していません。ここは少し開けており、地形図では直進すると西に延びる道がありますが、実際にはそちらは右折方向で入口にロープが張られてヤブでした。結局、直進して砂利と土の道を進みました。
105オオキンケイギク…キバナコスモスに似た花はたまに八重咲きもあります。ここは一重と両方群生していました。きれいですが、生態系に影響を及ぼす特定外来生物なので、駆除の対象です。今回は車で移動中に川沿いでオオキンケイギク駆除の説明板を見かけました。
105オオキンケイギク…キバナコスモスに似た花はたまに八重咲きもあります。ここは一重と両方群生していました。きれいですが、生態系に影響を及ぼす特定外来生物なので、駆除の対象です。今回は車で移動中に川沿いでオオキンケイギク駆除の説明板を見かけました。
106ウツギ…萼や葉裏に毛が多いです。岡山県では中部に分布するヒメウツギは葉裏に毛がなく、マルバウツギは分布していません。咲き始めが多く、この木はよく咲いているほうでした。動画も撮りました。
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106ウツギ…萼や葉裏に毛が多いです。岡山県では中部に分布するヒメウツギは葉裏に毛がなく、マルバウツギは分布していません。咲き始めが多く、この木はよく咲いているほうでした。動画も撮りました。
107ユキノシタ…ジンジソウやダイモンジソウとは違い、上部3枚の小さな花弁にピンク色の斑点があります。ここだけでした。
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107ユキノシタ…ジンジソウやダイモンジソウとは違い、上部3枚の小さな花弁にピンク色の斑点があります。ここだけでした。
108イモカタバミ…ムラサキカタバミ<写真112>に似ていますが、花の中心部は濃い紅色でおしべの葯は黄色です。
108イモカタバミ…ムラサキカタバミ<写真112>に似ていますが、花の中心部は濃い紅色でおしべの葯は黄色です。
109天津山…振り返ると南東方面に先程登った天津山(あまつやま)<写真102,103>が見えました。
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109天津山…振り返ると南東方面に先程登った天津山(あまつやま)<写真102,103>が見えました。
110大沢田池…カイツブリの鳴き声が聞こえたので土道を進んでみましたが、気配を感じて隠れたのか見つかりませんでした。水面にはアメンボの仲間がたくさんいました。
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110大沢田池…カイツブリの鳴き声が聞こえたので土道を進んでみましたが、気配を感じて隠れたのか見つかりませんでした。水面にはアメンボの仲間がたくさんいました。
111コウホネ…道の左側に小さな池があったので見下ろしてみました。コウホネは水面に直径4cm前後の黄色い花を咲かせます。3輪だけでしたが、池全体に生えているのでこれからもっと増えそうです。
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111コウホネ…道の左側に小さな池があったので見下ろしてみました。コウホネは水面に直径4cm前後の黄色い花を咲かせます。3輪だけでしたが、池全体に生えているのでこれからもっと増えそうです。
112ムラサキカタバミ…イモカタバミ<写真108>に似ていますが、花の中心部は黄緑色でおしべの葯は白です。
112ムラサキカタバミ…イモカタバミ<写真108>に似ていますが、花の中心部は黄緑色でおしべの葯は白です。
113イワガラミ…ツルアジサイと同様に木や岩に絡みついてよじ登ります。装飾花の白い萼片は1つしかないのでわかりやすいです。民家の生垣の一部のようになっており、樹高1m程で素直にまっすぐ上に伸びていました。
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113イワガラミ…ツルアジサイと同様に木や岩に絡みついてよじ登ります。装飾花の白い萼片は1つしかないのでわかりやすいです。民家の生垣の一部のようになっており、樹高1m程で素直にまっすぐ上に伸びていました。
114ノアザミ合体…岡山県内でこの時期に見られるのはノアザミだけです。総苞片は合着し、触るとベタベタします。今回は群生とはいえませんが、かなりよく見かけました。この株は下の花がかなり大きく見えますが、2輪がくっついていました。
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114ノアザミ合体…岡山県内でこの時期に見られるのはノアザミだけです。総苞片は合着し、触るとベタベタします。今回は群生とはいえませんが、かなりよく見かけました。この株は下の花がかなり大きく見えますが、2輪がくっついていました。
115コヒルガオ&ヒメウラナミジャノメ…誕生寺池の畔です。コヒルガオの直径数cmの花はヒルガオに似ていますが、葉の基部が張り出し花柄には翼があります。翅の裏側に波型の模様があり後翅裏側の蛇の目模様が5つのヒメウラナミジャノメを動画に撮りました。
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115コヒルガオ&ヒメウラナミジャノメ…誕生寺池の畔です。コヒルガオの直径数cmの花はヒルガオに似ていますが、葉の基部が張り出し花柄には翼があります。翅の裏側に波型の模様があり後翅裏側の蛇の目模様が5つのヒメウラナミジャノメを動画に撮りました。
116キツネアザミ…直径1cm少々の花はこれ以上開きません。花の形ですぐにわかります。
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116キツネアザミ…直径1cm少々の花はこれ以上開きません。花の形ですぐにわかります。
117誕生寺池越しに筒ノ宮山…北西方面です。中央に筒ノ宮山、左に514m峰が見えました。
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117誕生寺池越しに筒ノ宮山…北西方面です。中央に筒ノ宮山、左に514m峰が見えました。
118津山往来の里程標柱…明治6年(1873年)以降に起点から1里ごとに設置された標柱を里程標柱といいます。津山石(擬灰岩)製の道標を「津山元標」といい、津山往来には7基が設置されました。これは「距津山元標四里」とあり、津山から4里の距離にあることがわかります。
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118津山往来の里程標柱…明治6年(1873年)以降に起点から1里ごとに設置された標柱を里程標柱といいます。津山石(擬灰岩)製の道標を「津山元標」といい、津山往来には7基が設置されました。これは「距津山元標四里」とあり、津山から4里の距離にあることがわかります。
119モモイロヒルザキツキミソウ…直径4〜5cmの花です。開花中は白でしぼむとピンクになるのをヒルザキツキミソウといい区別することがあります。
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119モモイロヒルザキツキミソウ…直径4〜5cmの花です。開花中は白でしぼむとピンクになるのをヒルザキツキミソウといい区別することがあります。
120セイヨウミヤコグサ…ミヤコグサに似ていますが、花は1か所に4つ以上つくことが多く、茎にも毛が目立ちます。草丈20〜25cmもあり、用水路に倒れかかっていました。
120セイヨウミヤコグサ…ミヤコグサに似ていますが、花は1か所に4つ以上つくことが多く、茎にも毛が目立ちます。草丈20〜25cmもあり、用水路に倒れかかっていました。
121時切稲荷神社鳥居…この東にも土の細道の入口が2か所ありましたが、参道かどうかわからなかったのでスルーしました。お稲荷様なので赤い鳥居が並んでいます。拝殿まで石段や木段を上りながら動画を撮りました。
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121時切稲荷神社鳥居…この東にも土の細道の入口が2か所ありましたが、参道かどうかわからなかったのでスルーしました。お稲荷様なので赤い鳥居が並んでいます。拝殿まで石段や木段を上りながら動画を撮りました。
122時切稲荷神社拝殿…時切稲荷(とききりいなり)は「とっきりさま」と呼ばれ、なくしものの神様として知られています。いつまでにと期限を決めて見つかるようにお願いすると、なくしものが出てくるそうです。復縁をお願いする人もいるようで、ここで無理だったら諦めるのだとか。お守りの購入は年3回のお祭りのときのみ可能で、御朱印は誕生寺<写真09〜76>でいただけます。
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122時切稲荷神社拝殿…時切稲荷(とききりいなり)は「とっきりさま」と呼ばれ、なくしものの神様として知られています。いつまでにと期限を決めて見つかるようにお願いすると、なくしものが出てくるそうです。復縁をお願いする人もいるようで、ここで無理だったら諦めるのだとか。お守りの購入は年3回のお祭りのときのみ可能で、御朱印は誕生寺<写真09〜76>でいただけます。
123狐塚…神使はキツネなので、小さなこんもりの上にミニサイズの赤い鳥居と祠がありました。すぐ南の本殿周辺にもっと大きなこんもりがあり、社伝によれば古墳だそうですが、岡山県の埋蔵文化財地図ではさらに少し北に丸山塚古墳があり上に鉄塔が立っているとされています。
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123狐塚…神使はキツネなので、小さなこんもりの上にミニサイズの赤い鳥居と祠がありました。すぐ南の本殿周辺にもっと大きなこんもりがあり、社伝によれば古墳だそうですが、岡山県の埋蔵文化財地図ではさらに少し北に丸山塚古墳があり上に鉄塔が立っているとされています。
124伏見稲荷大社遥拝所…天正15年(1586年)以前に伏見稲荷大社から分霊したので遥拝所があります。お稲荷様は法然上人の母・秦氏君の先祖である秦氏の氏神様なので、時切稲荷神社は誕生寺の鎮守社として当初はこの西の本丸城跡に鎮座、大正時代に現在地に遷座されました。
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124伏見稲荷大社遥拝所…天正15年(1586年)以前に伏見稲荷大社から分霊したので遥拝所があります。お稲荷様は法然上人の母・秦氏君の先祖である秦氏の氏神様なので、時切稲荷神社は誕生寺の鎮守社として当初はこの西の本丸城跡に鎮座、大正時代に現在地に遷座されました。
125笛吹川歌碑公園ツルマンネングサ…誕生寺第三駐車場の北を巻いて細道を西に進みましたが、通り抜けたほうがよかったようです。私有地に入りかけ焦りましたが、なんとか公園入口から中へ。片目川の北側の舗装遊歩道沿いを歩いていると、川沿いに群生していました。直径1cm程の花は似たのが多いのですが、葉が平たいのでわかりやすいです。
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125笛吹川歌碑公園ツルマンネングサ…誕生寺第三駐車場の北を巻いて細道を西に進みましたが、通り抜けたほうがよかったようです。私有地に入りかけ焦りましたが、なんとか公園入口から中へ。片目川の北側の舗装遊歩道沿いを歩いていると、川沿いに群生していました。直径1cm程の花は似たのが多いのですが、葉が平たいのでわかりやすいです。
126カキツバタ…水辺に生え、アヤメなどに似ていますが、白い模様がすっきりしています。ノハナショウブはもっと花期が遅く、花色は紫色で模様は黄色です。ちょうど見頃だったので動画も撮りました。
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126カキツバタ…水辺に生え、アヤメなどに似ていますが、白い模様がすっきりしています。ノハナショウブはもっと花期が遅く、花色は紫色で模様は黄色です。ちょうど見頃だったので動画も撮りました。
127オヘビイチゴ…直径2cm程の花は、キジムシロやミツバツチグリなど似た花が多いのですが、これは長い葉柄の先端に5枚セットの葉がつくのでわかりやすいです。カキツバタ<写真126>の奥に群生していました。
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127オヘビイチゴ…直径2cm程の花は、キジムシロやミツバツチグリなど似た花が多いのですが、これは長い葉柄の先端に5枚セットの葉がつくのでわかりやすいです。カキツバタ<写真126>の奥に群生していました。
128開運橋より笛吹川歌碑公園…長寿橋を渡り川の南側へ、途中から土道を歩き東屋で舗装遊歩道に出ました。開運橋から振り返り西方面を望みました。東屋の向こうがカキツバタ<写真126>撮影地点です。園内はサツキが咲き始め、ウツギ<写真106>はよく咲いていました。入口にあったパンフレットには、斎藤茂吉や正岡子規などの文学者や犬養毅など岡山ゆかりの有名人の歌碑の位置が記載されていました。すべてスルーしましたが😅
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128開運橋より笛吹川歌碑公園…長寿橋を渡り川の南側へ、途中から土道を歩き東屋で舗装遊歩道に出ました。開運橋から振り返り西方面を望みました。東屋の向こうがカキツバタ<写真126>撮影地点です。園内はサツキが咲き始め、ウツギ<写真106>はよく咲いていました。入口にあったパンフレットには、斎藤茂吉や正岡子規などの文学者や犬養毅など岡山ゆかりの有名人の歌碑の位置が記載されていました。すべてスルーしましたが😅

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 雨具 スパッツ 日よけ帽子(フード付き) 雨用帽子 ザックカバー(防水用) 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 タオルハンカチ カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(地図アプリ使用) eTrex22x(GPSナビゲーター) 虫よけスプレー

感想

【法然の生誕地・誕生寺】
 今回の出発点とした誕生寺は、浄土宗開祖である法然上人の生家跡に建つ寺院です。学校の教科書で鎌倉仏教の宗派の一つとして浄土宗を学びましたので、法然の名前は昔から知っていました。法然は阿弥陀仏を信仰し、念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることによって死後は誰でも極楽浄土へ行けると説きました。この教えは民衆に広く受け入れられ、浄土宗は今年開宗851年、現在も信徒は大勢おられます。

 誕生寺は法然上人の命を受けた熊谷直実(くまがいなおざね)により建久4年(1193年)に創建されたといわれています。直実は源平合戦の一の谷の戦いで平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取ったことで知られる鎌倉時代の武将で、自分の息子と同年代の若者を討たなければならなかった後悔の念から出家して法然上人の弟子となりました。
 なお、現在境内の石畳などが工事中のようで、令和8年2月27日までとの掲示がありました。工事の音は聞こえますが、建物は手つかずで参拝に支障はありません。
 国指定重要文化財の山門<写真09>を通り抜けると、法然上人のお手植えと伝えられるイチョウ<写真10>が茂っていました。この木は誕生寺七不思議のひとつで、15歳の勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山へと旅立つ際、杖にしていた岡山県奈義町の菩提寺のイチョウの枝を上下逆に地に挿したところ、根が天に向かって伸びたといわれています。実は、この菩提寺のイチョウも法然上人のお手植えとされています。保延7年(1141年)、夜襲により父をなくした9歳の勢至丸は、遺言に従い岡山県奈義(なぎ)町にある菩提寺の住職である叔父の下に向かいました。道中で杖に用いていた奈義町の阿弥陀堂の大イチョウ(岡山県天然記念物)の枝を菩提寺の境内に挿したところ、根付いたのが菩提寺の大イチョウ(国の天然記念物)であるとの言い伝えがあります。平成25年の鑑定の結果、この2本の木のDNAが一致、大きな話題となりました。誕生寺のイチョウも同じ木のはずですが、奈義町のイチョウ2本は雄木、誕生寺のは雌木。まあ、伝説ですから😅

 御影堂(みえいどう)<写真11>と呼ばれる本堂は、寺院建築では珍しい唐破風造り(からはふづくり)の向拝を持つ建物です。宇喜多直家の日蓮宗への改宗命令を拒否したため、天正7年(1579年)に2代目の本堂が破壊され、元禄8年(1695年)に約1世紀もの期間をかけて再建された現在の本堂は3代目となります。さすが、破壊王・宇喜多直家です。誕生寺の歴史にまでその名がしっかりと刻まれていました😅
 向拝の下の扁額(へんがく)<写真14>の縁には葵紋と菊花紋章が描かれており、皇室や徳川家との結びつきも感じられます。また、軒下に施された竜や麒麟といった神獣の彫刻<写真12,13>も見応えがあります。
 本堂の中には、法然上人自刻の御影がご本尊として祀られています。浄土宗を開いた43歳の時の姿だそうです。撮影禁止のため画像では紹介できませんが、たくさんある仏像や肖像などはどれも芸術性が高く、かつ美しく、目を見張るものばかりでした。

 御影堂のすぐ北西には、方丈と庭園があります。拝観時間は9〜16時で拝観料300円は寺務所で支払います。唐門<写真19>をくぐりスリッパに履き替えて、座敷をぐるりと囲む廊下を蝦蟇(がま)の間<写真23>から順に時計回りに進んで芸術的な襖絵などを鑑賞できます。
 江戸時代の狩野派の絵師・法橋義信(ほうきょうよしのぶ)によって描かれた鶴などは見応えがありました。また、初代椋の霊木<写真22>など法然上人にまつわる伝説の物なども展示されており、ゆっくり見て回りました。ガラス戸を開けて外に出ると、庭園(法楽園)<写真46,47>は緑豊かで心が安らぎました。方丈と庭園の拝観だけで40分かかりましたが、貸し切りで過ごした贅沢なひとときは最高でした。

 さらに奧に進むと、 法然上人御両親御霊廟の「勢至堂」(せいしどう)<写真55>がありました。
 先程も述べましたが、保延7年(1141年)、9歳で仏門に入った勢至丸は菩提寺の住職である叔父の下、修行に励みました。叔父・観覚得業(かんがくとくごう)は勢至丸が非凡であることを見抜き、比叡山延暦寺で修行するように勧めました。
 15歳になった勢至丸は久安3年(1147年)の春、母に別れを告げるために生家へ帰ってきました。数年前に夫・漆間時国(うるまときくに)を失い、さらに一人息子である勢至丸を送り出すことは彼女にとって耐え難い悲しみでしたが、比叡山行きを承知しました。その秋、勢至丸を思いつつ37歳の若さでこの世を去った母君の無念はいかほどだったでしょうか。両親を失った悲しみを乗り越え、万民救済の念仏門を開いた法然上人はこうして誕生したのです。
 勢至堂やその前に位置する「両幡(ふたはた)の椋(むく)」<写真51>などの伝説を知り、ますます法然上人の奥深い歴史に興味が湧きました。

 最後に訪問したのは、宝物館です。入口で拝観料300円を箱に入れ、貴重な文化財を見て回りました。
 岡山県指定重要文化財の木造清涼寺様釈迦像<写真66>はありましたが、同文化財の木造阿弥陀如来立像には気づきませんでした。普段は非公開なのでしょうか。そちらは胎内から「法然上人御誕生所本尊」と刷り込んだ印仏が多数発見され、誕生寺の旧本尊と判明しています。歴史的にとても貴重なものです。
 やはり岡山県指定重要文化財の櫓時計(やぐらどけい)<写真71,72>は、三つ葉葵の紋が入っており、底部には尾張徳川家のお抱え時計師・津田助左衛門の銘があります。ちなみに、助左衛門の銘のある時計は数例しかなく、和時計の歴史を知る上でも貴重な資料となっています。
 この他にも貴重な文化財が多数ありました。詳細は写真のコメントで説明しています。

【花と建物跡?と神社、飽きることなく楽しめる天津山周回ロード】
 2時間近くにおよぶ誕生寺拝観の後、JR津山線誕生寺駅<写真85>を経由し、稲岡神社<写真90,91>を訪問しました。この神社の一の鳥居<写真87>はなんと、金属でできていました。
 そのことよりも、この斜め背後に位置していた「農園スイーツmoimo」(もいも)の存在のほうがとても気になりました。自社栽培のサツマイモを使用したスイーツを販売している店で、金・土・日・月曜日のみ営業しているようでした。ちょうど営業中でしたが、時間が押していたのでスルーしました。帰宅後に調べてみると、“いもんぶらん”など、ネーミングからこれは絶対においしいはずとイメージできるオリジナルスイーツがいくつもあり、機会があれば寄ってみようと思いました。

 稲岡神社<写真90,91>から天津(あまつ)神社方面に延びている舗装道路を歩きました。道端にはノイバラやスイカズラなどの旬の花が咲いていました。
 途中、コンクリート道があり入口から少し奥の右端に小さな赤い鳥居が見えました。予定していた地形図の破線の道よりもかなり北西だったのでいったんはスルーしたのですが、これが歩けたらかなりの近道なので、一か八か進んでみることにしました。
 道はすぐに土道になり、山之城旧跡「志茂の前」の道標<写真101>が現れました。直進のほうがきれいな道でしたが、城跡があるのだろうかと思い、城跡大好きな自分たちは、予定になかったこの場所に向かうことにしました。
 矢印の方向へ進むと、最初は低いササがまばらに茂っていましたが、すぐにきれいになりました。竹が四方八方に倒れた箇所は平坦で、小さな建物跡のような気もしました。さらに進むと少し開けた平坦地<写真98>に出ました。周辺を適当に歩いてみると、高さ数十cmの石垣<写真99>がありました。山城の石垣にしては低く石が小さいです。他にも低い段差のある平坦地がいくつもあり、やはり何か建物があったように思えました。この周辺が志茂の前だろうと思いますが、説明板などはなく、帰宅後に調べてもよくわかりませんでした。
 再び分岐<写真101>まで戻ると、直進はヤブになりそうだったので、左折して斜面を登りました。最初は苔むした粘土に落ち葉が積もった道で少し急でしたが、尾根に出ると歩きやすくなりました。
 予想通り、道は天津山頂上まで続いており、山頂一帯が天津神社の境内<写真102,103>となっていました。上ってきた道は境内社の稲荷神社の参道だったのでしょう。
 ここからは北に延びる砂利道っぽい土道を進みました。轍(わだち)がありますが、一部、ぬかるみがあるので自動車でのアプローチはおすすめしません。西に延びる地形図の破線の道を下りようと思っていましたが、分岐(コガクウツギ<写真104>撮影地点)まで来ると、少し開けており右折方向は入口にロープが張られてヤブでした。結局、直進して砂利と土の道を南下しました。標高300mを切ると舗装道路になり、しばらく花を観賞しながらのんびり歩きました。

【なくしものの神様「とっきりさま」】
 時切稲荷(とききりいなり)神社<写真121〜124>は「とっきりさま」と呼ばれ、なくしものの神様として知られています。いつまでにと期限を決めて見つかるようにお願いすると、なくしものが出てくるそうです。復縁をお願いする人もいるようで、ここで無理だったら諦めるのだとか。
 昭和10年頃、「無理な願いを時まで切って叶えなされるありがたさ」と書かれた大正時代の絵馬が発見されたという記事が山陽新聞に掲載され、時切稲荷は一躍有名になりました。昭和初期から太平洋戦争までのピーク時には、阪神や広島方面からも参拝者が訪れ、門前の豆腐店で毎日500枚以上作られる油揚げのほとんどが神社の前にお供えされたため、宮司は毎日片付けに追われたそうです。
 かなりご利益がありそうですが、なくしたものはいまさら出てきても困るものばかりなので、他の方のお願いを叶えてあげてくださいとお願いしました。
 拝殿の前にはお守りなどがたくさん並んでいますが、普段は無人で、お守りの購入は年3回のお祭りのときのみ可能です。御朱印は誕生寺<写真09〜76>でいただけます。

 最後に笛吹川歌碑公園<写真125〜128>を訪問しました。誕生寺第三駐車場の北を巻いて細道を西に進みましたが、通り抜けたほうがよかったようです。私有地に入りかけ焦りましたが、かなりの細道からなんとか公園入口にたどり着きました。
 園内は舗装遊歩道が片目川沿いに延びており、一周することができます。サツキやウツギ、カキツバタなどを観賞し、肝心の歌碑はすべてスルーしました。入口にあったパンフレットには、斎藤茂吉や正岡子規などの文学者や犬養毅など岡山ゆかりの有名人の歌碑の位置が記載されていたので、また機会があればちゃんと探してみたいと思います。
 今回は短時間お気楽コースのはずでしたが、誕生寺でかなり時間を費やし、謎の「志茂の前」を訪問し、なかなか充実した一日になりました。



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