川又ー雁坂の冬季ルートリベンジならず【それでも貴方は美しい】
- GPS
- 56:00
- 距離
- 19.8km
- 登り
- 1,733m
- 下り
- 1,722m
コースタイム
- 山行
- 5:55
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 7:25
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:50
天候 | 12日 曇り時々小雪 13日曇り時々晴れ 14日雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
これからの気候により、岩道場までの積雪は変化。 突出峠取り付きあたりから、積雪に留意。 1600m地点から地蔵岩、ルート上の積雪は15〜30cm程度。 (だるま坂周辺は注意、下りではアイゼンが無難) (注)東側、止峰1865mの尾根を乗り越した辺りから、豆焼沢及びその枝沢等ルンゼのトラバースあり。 まだ雪は深く、上層20cmパウダー&下層(20〜80cm)シャーベットの雪。 ステップを刻んでも、踏み抜くこと多数あり。 10本以上のアイゼン・ピッケル装備推奨。 |
その他周辺情報 | 3月22日?まで大滝温泉はポンプ改修工事の為休館中。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
雨具
ゲイター
ネックウォーマー
バラクラバ
毛帽子
着替え
靴
ザック
アイゼン
ピッケル
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
水筒(保温性)
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
常備薬
ロールペーパー
保険証
携帯
タオル
ツェルト
ポール
テント
テントマット
シェラフ
|
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感想
奥秩父を歩くようになってからか、はたまたただの飽きなのか。
山のヤの字も知らず高原地図を1枚買い、7月1日から1週間北アルプスに向かったのは今はもう懐かしい。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-175828.html
山々に向かう、気概がないような気がしてならない。
それでも、冬の静かな山は、色々と満たしてくれる。
蒼々と繁る森と苔、また色々と満たしてくれる。
最近は奥多摩・奥武蔵・奥秩父、これで十分満足してしまっているのもある。
馳せる山はある。
あるはずなのだが。
交通機関を乗り継いで、遠くへ行くのが面倒でならない。
今期冬の訪れと、悶々と・・・草々とした気持ちの中で足が重い。
そんな中向かった、先月の川又ー雁坂峠ルートだった。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-802709.html
ルートミス、落ちてしまった体力。
冬が・・・終わってしまう。
強引に休暇を取り、計画した3月5日からの川又ー雁坂峠ー和名倉の重曹計画。
雨の予報で中止するも、また強引に翌週に計画を練り直した。
http://www.yamareco.com/modules/diary/13235-detail-116113(日記参照)
3月12日
前回同様、1時間速く御花畑に到着。
山菜うどんを注文し、七味をたっぷり入れて温まる。
寒気が入ってくると思いきや、温かく霧雨の秩父だった。
まだ時間があるので、140号沿いにあるコンビニまで歩く。
自分の中で、ウォシュレットは神!大事、大事なのだ。
駅まで戻り、人だかりに気付く。
なんなんだ・・・この人ごみは。
様々な風体の人たちが、ごったがえしている。
宿の名前が入った送迎バスが、10台以上。
ゴルフバックを抱えた人の多さ、なにかイベントでもあるのかな?
薬師の湯行きバスも、ハイカーたちで一杯だ。
タクシーに乗り込み、出発していく人。
電車へ乗り込む人たち。
それらの人たちを縫うように、中津川行きのバス停へ向かう。
そして、誰もいない。(笑)
出発時刻5分前頃、やっとバスが到着。
一般の人1名、登山客が4名、古いナップサック風の山の人っぽい方1名。
3名の登山客は、雨の大輪バス停で降りて行った。
川又では、単独の女性となんか怪しい青年が降りた。
40L程のザックにテントマット、UL仕様であろうか?。
声を掛けると、栃本から入山するらしい。
適当にテントと言っているが、軽量装備の中身が凄く気になった。
立ち姿ひとつにしても、ベテランの雰囲気が漂う。
そして怪しい若者は、バス停脇の東屋に入ったり、栃本方面へ行きかけ戻ってきたり、ウロウロしている。
ポーターのショルダーバック1つ、街着で軽装。
傘も差さずに、何をいったいウロウロしているのだろう?
バス停には所沢ナンバー(だったかな?)の車が1台。
さて、この人はどちらへ向かったか・・・。
気温はー2℃表示、雨はアラレになっていた。
車道を進み。登山道入口へ。
階段に雪は無く、その先の薄い雪化粧にトレースはなかった。
地面の感触を感じながら、1ヶ月ぶりの場所を確かめながら進んで行った。
11時半に水元到着、順調だ。
小休止し、前回のルートミス地点を過ぎ九十九を登る。
登りきった辺りから、白一色の世界が広がった。
針のように結晶化した雪模様が、ナルニア国物語のなんだっけ・・・敵側の女王の国を連想させた。
ガラケーでは、この美しさを画像に収めることはできないが。
時に感動的な画像を見せてくれる人はいるが、俺はそっち側の人ではない。
明日にはもう見られない、「今、この瞬間」を目に収めれれば良い。
前回ルートミスした地点に、新しい道標が「雁坂→」と付いていた。
雪が溶ければ、これも必要なくなるのかもしれないが。
冬目線での目印が少ない中で、これは嬉しい配慮だと思う。
自分のミスが、時には役立つこともある。(笑)
雁坂小屋の石さんがレコを見てくれて、その後に樺小屋へ向かうという常連さんに頼んで設置してくれました。
雁坂小屋が小屋開けした折には、お礼を兼ねてお邪魔させていただきます。
12時半雁道場を通過し、黒文字橋分岐に到着。
前回と違い順調で、予定より早い到着だった。
月曜に、この付近で幕営予定だが・・・。
月曜の天候はかなりの雪になると見ていたし、樺小屋から雁坂の予定もどうなるか。
ルートミスした周辺を散策する予定だったので、先に少し偵察をすることにした。
30分で戻る。
よし!と、黒文字橋ルートへ空荷で降下開始と高度計をチェック。
200m近く標高を下げたところで、作業道と交差する。
そこから少し下がり、800mの杭と百葉箱が見える。
作業道との交差まで戻り、西側へ時間一杯まで進む。
13時・・・少し行けば作業道の終わりと、沢まで行けるのではないか?と思ったが、予定通り引き換えした。
交差まで戻った時に、あ・・・と思ったのだが。
丸い「防火」かなんかの丸い看板。
作業道との分岐に、高い頻度で設置されていることに気付いた。
ルートへ戻り、順調に突出峠も通過し17時10分に樺小屋へ到着した。
道中は雪のアートが目に楽しませ、静かな山に小鳥の囀りと自分の雪を食む足音を満喫した。
小雪が舞うが、まだ十分に明るい。
小屋の中も明るく、驚いたことにピカピカに掃除されていた。
あの道標を付けてくれた人だろうか?感謝に耐えない。
ストーブの灰も綺麗に処理され、床は雑巾がけしたように光っていた。
小屋内は0℃以上あり、温かかった。
早々に3.5Lの水を作り、明るいうちに夕飯も終了。
肉ワンタンを忘れてきて、具なしラーメンになってしまったが・・・。
明日の準備をしながら、焼酎で静かな夜を過ごした。
13日
4時前に目が覚め、ダラダラとコーヒーを飲み煙草を楽しむ。
昨夜の残り汁に、アルファ米投入。
6時半、予定より30分早く出発した。
ワカンやテント、必要の無い荷物は小屋にデポした。
今思えば、随分と無防備でお気楽に出発していたのだ。
装備の軽さも手伝い、丁度よい雪の深さで無邪気に楽しんで登って行った。
あー・・・ここがだるま坂かぁと、通過し地蔵岩に到着したのが8時過ぎ。
小屋まであと2.5km、予定通り順調だった。
上空では、風の音が唸っているが、ここは静かだ。
地蔵岩へ登ると、突風が吹き荒れていた。
「うおっ・・・これは・・・」
呑気に景色なんか眺めていられない。
画像だけ収め、早々に降りた。
ランパックのピーナッツを半分だけ食べ、小休止。
あと4時間も歩けば、雁坂小屋だな・・・と余裕であった。
そういえば、石さんがだるま坂辺りとかこの先どうとか教えてくれていたが・・・。
そう・・・。
もっと真剣に考えるべきだったのだ。
山をよく知る人が、この先は少し厄介と言ったのだ。
「少し厄介」を意味を。
そして忘れていた、この先は初見ルートだったことを。
前回下りで通過した時は、雁坂嶺から尾根をバリルートで降りてきたのだ。
地蔵岩の先に合流したが、そこから先は初めて通る道だったのだ。
完全に、ここまで同様の道が続くと思い込んでいた。
無防備に出発し、雪で垂れ下がる木々に毒づきなから雪を落として進む。
順調だった足も、雪が深くなり踏みぬくことが多くなった。
膝まで踏みぬき、何度ももがくようになっていた。
2度3度とステップを踏めば、大丈夫なようだったがペースはどんどん落ちていく。
まぁ、時間はあるし余裕だろ。
そんな、感じで進む。
鎖場が現れ、雪が流れている場所が多くなってきた。
踏み抜けば腿まで埋まり、ワカンを置いてきたことを少し後悔した。
が、正直なところ、トラバース系のルートでワカンを使った経験が少ない。
しっかり平に踏まないと、谷側傾斜に落ちそうで怖い。
クラストしてたり、下層に氷があった事を考えると怖くて使えないのだ。
恐々とトラバースしても、少し平らな移動が続くと警戒心を忘れた。
逆に、木々の間隔が広い道に、ルートが合っているか不安になった。
そして進めば進むほど、状況は悪化していくばかりだった。
雪が流れている場所は多くなり、トラバース幅は広くなり傾斜もきつくなっていった。
雪は深くなり、下層の雪は重かった。
何度もステップを踏み、持ち上げる足が重い。
いくつかの鎖場を通過し、橋を渡った先に雁坂小屋が見えた。
まだ。。。あんなに遠いのか。
そう思った。
豆焼沢上部であろうトラバースを終え、小屋まで1km程度だろうと。
トラバースでは必要以上にステップを踏んだので、足がガクガクだ。
11時半を過ぎたところで、あと2時間半くらいかな?と。
目の前のルートが不明瞭で、斜面傾斜がきついように見える。
雪が深い場所が続くようで、なぜピッケルを出していないんだ!と後悔した。
足が、重いしパンパンだった。
ここでまた気付く、シャリバテが近い。
エネルギー不足である。
場所が悪すぎて、装備換装を躊躇う。
足場を作って、ピッケルを出すか。
慎重に進んで、平らな場所まで出てしまうか。
一度戻って、整えるか。
埋まった足と、荒い息遣い。
じっと考える。
ちくしょー・・・ガチ登山じゃねぇか。
靴紐が緩く感じる・・・。
仕切りなおして、気持ちを切り替えないと落ちる・・・。
見た感じ。尾根はあと2・3度乗り越すだろう。
慎重にステップを刻めば、問題はない。
ピッケルは出したほうがよいな、行動食もしっかり摂って小休止も。
14時〜15時には、小屋へ到着するだろう。
行ける・・・行けるんだが・・・足が前へ出ない。
明日もここを通る、明日は雪だ。
今夜はどうか?予想では、明日の午前中まではそれほど崩れないはずだ。
しかし、気温が高すぎる。
現在も0℃、ずっと0℃なのだ。
ここ30分くらいで、急に雪が腐った。
下がれば凍る。
トレースも消えるかもしれない。
帰路の事を考える・・・雨・・雪・・視界不良・・風・・クラスト。
時間は十分あるが、それでいいのだろうか?
正直、怖い。
怖い思いをするために来たんじゃないんだ。
行ける自信はあるのだが、気持ちが追従してこない。
平日のマイナールート、携帯は圏外。
計画書に書いた言葉を思い出す。
「行程に遅れが出た場合は撤退」
言い訳にはちょうど良いじゃないか・・・そう思った。
少し情けない気がしたが、気持ちは既に帰りたがっているのは事実だった。
慎重に方向転換し、来た道を戻った。
平らな場所で、荷物を降ろしホッとした。
ブランクもあるだろうし、なにしろ筋力が足りない。
落ちたなぁ・・・体力と思いながら、お湯をすする。
ステップを踏んだルートは歩きやすく、とりあえず地蔵岩まで必死に戻った。
再度荷物を降ろし、やっと安堵のため息をついた。
ミルクティーを入れ、行動食を摂る。
参った・・・足が動かない。
足をマッサージしながら、毎度の浅はかさを笑う。
むしろ、珍しく突っ込まなかったなぁと思った。
ゆっくりと休憩した後、15時過ぎには樺小屋へ帰還。
あともう1泊どうするかとも思ったのだが、相変わらず気温が高い0℃だ。
とりあえず、百葉箱の辺りまで行って判断するとして、帰路は黒文字橋ルートで降りてみようと思った。
十分な水を作り、悠々自適に焼酎で夕暮れを過ごしながら時間の経過を楽しむ。
明るい内にと、明日の準備と小屋内を簡単に掃除。
あんかけラーメンと残り汁おじや。
とにかく、よく食べ19時前には就寝した。
14日
3時半起床。
今朝は緩く戻したアルファ米に、梅うかりのお粥。
軽く食べ、またもダラダラと寝袋に入ったりコーヒーを飲んだり過ごす。
5時半過ぎ、明るくなり始めたところで出発する。
棘のなくなった樹氷が、また目を楽しませてくれる。
小雪が舞う中、下で雨ならと着込んだ雨具が暑い。
7時過ぎに、黒文字橋分岐に到着。
時間十分と、呑気に休憩を長く取った。
7時半、黒文字橋ルートへ突入。
気温はやはり0℃、ミゾレっぽい雪になっていた。
もう1泊かぁ・・・随分と時間を持て余すなぁ。
というか、気分は家路につきたくなってなっていた。
9時半のバスに間に合うだろうし、明日凍りついたテントを撤収するのも面倒に感じてしまっていた。
でも・・・トレーニングがてら、もう少し歩いた方が・・・うーん。
と悩んでいるようで、そそくさと降り始めているのはわかっていた。
百葉箱に到着したが、迷わず下山開始。
初見ルートに、心躍る。
不明瞭だったらどうしようと思ったが、雪が少ないお陰で地面に設置されている道標で明瞭だった。
しかし・・・何故、地面?
10cmも積もったら、道迷い必須である。
九十九では、相変わらず作業道と交差する。
尾根を少し舐めるところも、尾根に目が行ってしまう。
降雪期・・・登りで使うのはやめておこう。
うっそうとした植林帯が急に開けて明るくなり、少し下ると舗装の林道が目に飛び込んできた。
そして0mの杭発見、ここがスタート地点だ。
九十九で林道を降り、140号と合流。
時間を見れば、8時半を過ぎていた。
バス・・・間に合うのか?
焦って、140号を急いだ。
雨混じりのミゾレ、濡れた雨具・・・蒸し暑い。
はぁ・・・はぁと汗をかきながら、まずは水元の登山道入口を目指す。
途中、茶屋の自動販売機を見つけるが、後ろ髪を引かれながらスルー。
9時に登山道通過し、ひと安心。
バスに乗る前に身支度をしたかったので、緩めず急いだ。
9時15分、バス停到着。
アイゼンやストックを収納し、ザックカバーも収納。
雨具を脱ぎ、ギリギリで乗り込んだ。
前回の運転手さんで、「またキマシター!」と。
終点の大滝温泉まで談笑に花が咲き、春頃また来るかもですと告げて別れた。
待合所で待つこと10分、西武観光バスに乗り継ぎ。
残念なことに、三峰口駅止まり。
温泉・・・。
検索すると
乗り継ぎが非常によく、途中下車するのを躊躇った。
結局・・・入った温泉は・・・バスクリンの湯だったとさ・・・。
編集誤記
至らない・・・相変わらず、色々と至らない。
そして、懲りない。(笑)
ついつい複雑に考え、理屈をこねる自分。
悩んだ時は、基本に返る。
そして、単純に考える。
外的要素で、気分を簡単に削がれてしまう自分。
でも、やっぱり山に入ると楽しくてしかたがない。
出発するまでのプロセスで、外野からの些細な言葉ひとつで萎えてしまう。
山が好きなら、それで良いんだ。
そう再確認できました。
奥秩父・・・やっぱ大好きだわ。
なんでだろ・・・。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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川又〜雁坂(突出ルート)、私も昨シーズン苦労しました!
樺小屋手前は膝ラッセル程度で雪がガンガン降ってました。
なのに夜中に雪が雨に変わり稜線までも雨で翌朝は冬型。
本当に分厚いモナカのラッセルになりました。
樺小屋から雁坂小屋まで10時間かかりました。
小屋から雁坂峠までもラッセルで一時間以上、道の駅みとみへの下山ルートは夏道を失い適当に下りました。
途中で何度も心が折れそうになりました。
行ってみてわかったのは、豆焼沢の源頭部を横切るのはリスクが大きいので条件を選ぶし、単独だとロープも出しにくいので大変だと思います。
上からの雪崩、そして雪がしっかりしてない場合には自分が落ちる。
冬に沢の源頭部を横切るのはリスクが大きいのは当然なので、ルートとして選ぶべきではないと思いました。
一人で行くなら尾根通しで雁坂嶺に上がる方が安全だと思いました。
時間はもう少しかかるかもしれませんが。
川又ルートはずっとトラバースが続きますので、積雪の状況によってはリスクが大きいと感じました。
お疲れ様でした!
miee さん
10時間^^;それはまた、想像したくないです。(笑)
雁坂嶺からの尾根は、くだりで1回降りているんですよねぇ。
倒木が凄いですが、奥秩父らしい深い森で幻想的です。
ただ、ルートを外れると、やはり深いラッセルが待っているんですよねぇ。
職場の先輩も、雪山はルートにこだわってはいけないと言っていましたし。
言われてみれば・・・ですが、ルート選択等もう少し考慮していこうと思います。
ありがとうございました。
kameasi様
お疲れ様でした。今回も大変でしたね。
miee様も書かれていますが、この時期に突出コースは単独ではかなり厳しいです。もちろん雪の状況で変わってきますが、踏んでも踏んでも右上から雪が流れ落ちて、場合によっては体ごと下へ流されかねません。「小屋があそこに見えているのに」と思いながら5〜6m先へ進むのに小一時間かかってしまう。1週間前ならば雪もかなり減っていたかとおもいます。でも雪はサラサラで日蔭側では厳しいことに変わりはありませんが。
何人かいればまだ通ることもできなくはないのですがね。
撤退・・・・大正解です。すんなりやめて樺小屋で楽しんで。そしたらまた来ればいいんですから。
isisan さん、ありがとうございます〜。
貴重なお話が聞けて、勉強になりました。
スポーツ的にがむしゃらに、また、何かに挑戦する気概があった登山ではなかったもので気持ちがまったく乗りませんでした。
今回、一番の収穫は、経験豊富なお二人のご意見がいただけたことでした。
それを含めて、非常に有意義な登山だったと思えます。
質問箱からこちらに飛んできました。
高校生のことの無茶な奥秩父徘徊を思い出しました。
孤独感と緊張感が伝わってきました。
mieeさんもコメントしているので笑ってしまいました。
灰色の空の下、単独でラッセル。
稜線に出たら風の音。
見通し距離に30分。
私にはもうできません。
屋久島には30年前に保育園生の娘二人を連れて一家4人で歩きました。
世界遺産前ですね。
林芙美子が屋久島は366日雨が降ると記しましたが、嘘です。
その代わりビー玉クラスの雨が降ります。
ゴーと音の聞こえるほうを見ると雨のカーテン。
慌てて雨具を着込むとビー玉クラスの雨が打ち付けてきました。
苔むした登山道ではほとんど登山者に会いませんでしたが、覗いた高塚小屋は満員でした。
6人用テントを担ぎ上げましたが、蒸し暑くてシュラフには入りませんでした。
当時は軌道上には木道はなく不均等な枕木にリズムが取れず閉口しました。
それでも追い越したトロッコが幼稚園児を不憫に思ってかトロッコに乗せてくれいい思い出になりました。
当時は麓にも飲食店がなく苦労したのを覚えています。
宮本常一の「屋久島民俗誌」など伐採前の屋久島の歴史を知ってか行かれると旅に深みは出ると思います。
奥秩父に魅せられてから、まだ4年ほどですが歩いていました。(過去形なのは、現在登山があまりできないため)
繁栄と衰退、わびとさび・・・みたいな。
縄文時代から栄え、秩父民族の大頭。
鎌倉幕府終了とともに、繁栄の終わり。
高度成長期と共に栄え、また山は忘れ去られていく。
消えた人の臭いと、侘しさのたたずまいが好きです。
活字を読むタイプではないのですが、屋久島民俗誌を注文しました。
古い書籍なのに、案外安い?。
奥秩父の書籍を何冊か買いましたが、原全教氏の書籍はそこそこの値段でした。
仕事と農作業で、なかなか登山できなくなってしまいましたが。
屋久島、楽しみです。
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