前夜の夕食は各自でということで。有り合わせの野菜とコンビーフのカレー
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前夜の夕食は各自でということで。有り合わせの野菜とコンビーフのカレー
朝食は必然的に残り物のカレー弁当、適当な場所がなく結局スタート地点の待合所をお借りして、いただきます!
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朝食は必然的に残り物のカレー弁当、適当な場所がなく結局スタート地点の待合所をお借りして、いただきます!
それではくぬぎむらかたスタート、下りです。
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9/29 10:16
それではくぬぎむらかたスタート、下りです。
スギとシラカシの間には屋の神の石祠
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スギとシラカシの間には屋の神の石祠
シュウカイドウ
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9/29 10:33
シュウカイドウ
新柵山南登山口、まずは多武峯へ
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9/29 10:40
新柵山南登山口、まずは多武峯へ
「多武峯の文化財」説明板、武藤家(元修験慈眼坊)所蔵の『役行者絵巻』(鬼神を従える役行者の場面)
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9/29 10:45
「多武峯の文化財」説明板、武藤家(元修験慈眼坊)所蔵の『役行者絵巻』(鬼神を従える役行者の場面)
多武峯神社沿革、「武州タ武峯」(日本三大多武峯の一つ)、御祭神は大職冠藤原鎌足公、慶雲三年(706)大和国多武峯談山より公の遺霊を当山に遷し藤原家の守護神として祭る。
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多武峯神社沿革、「武州タ武峯」(日本三大多武峯の一つ)、御祭神は大職冠藤原鎌足公、慶雲三年(706)大和国多武峯談山より公の遺霊を当山に遷し藤原家の守護神として祭る。
後に福聚寺観音堂(聖観音)が建立され、藤原家は京都聖護院を本山とする天台宗系の本山派修験の慈眼坊となり、関東一円の大先達越生山本坊の配下となり、外秩父地方の副先達を務めた。
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9/29 10:52
後に福聚寺観音堂(聖観音)が建立され、藤原家は京都聖護院を本山とする天台宗系の本山派修験の慈眼坊となり、関東一円の大先達越生山本坊の配下となり、外秩父地方の副先達を務めた。
明治二年修験道廃止、神仏分離により観音堂は多武峯神社となり、慈眼坊は武藤姓に改め神職となった。石鳥居の前には手水鉢と石燈籠でもあった痕跡
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明治二年修験道廃止、神仏分離により観音堂は多武峯神社となり、慈眼坊は武藤姓に改め神職となった。石鳥居の前には手水鉢と石燈籠でもあった痕跡
参道の左に「・鳥の森」の小さな杭のある道がありました。どうやら「野鳥の森」という周遊路があったようです。
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9/29 10:53
参道の左に「・鳥の森」の小さな杭のある道がありました。どうやら「野鳥の森」という周遊路があったようです。
思ったよりもあっけなく瓦の階段がありました。
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思ったよりもあっけなく瓦の階段がありました。
多武峯神社、社殿は幾度となく焼失し現在のものは大正十五年()に再建されたそう。正面には龍の彫刻、そして両脇にも興味深い彫刻がありました。
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9/29 10:59
多武峯神社、社殿は幾度となく焼失し現在のものは大正十五年()に再建されたそう。正面には龍の彫刻、そして両脇にも興味深い彫刻がありました。
「韓信の股くぐり」でしょうか、
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9/29 11:01
「韓信の股くぐり」でしょうか、
これは蹴鞠で脱げた中大兄皇子の靴を中臣鎌足が差し出す場面、その後二人は親密な関係となり、多武峯に登って乙巳の変、蘇我入鹿暗殺の密談を行ったそうです(談山)、これはまさに当地にうってつけですね!
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9/29 11:01
これは蹴鞠で脱げた中大兄皇子の靴を中臣鎌足が差し出す場面、その後二人は親密な関係となり、多武峯に登って乙巳の変、蘇我入鹿暗殺の密談を行ったそうです(談山)、これはまさに当地にうってつけですね!
そしてこちらがその鎌足公のお墓と伝わる五輪塔です。まさに今年が「乙巳」の年、また青蛇の年でもあるということで、青蛇乙巳年コレクション!ちょっとこじつけが過ぎたかなぁ。
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そしてこちらがその鎌足公のお墓と伝わる五輪塔です。まさに今年が「乙巳」の年、また青蛇の年でもあるということで、青蛇乙巳年コレクション!ちょっとこじつけが過ぎたかなぁ。
武蔵野の地酒『帝松』ですね!乙巳の変に始まる大化の改新、中大兄皇子は晴れて帝になられるのでした。大和から遠く離れた武蔵野の山奥にある古代ロマンのお話でした。
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武蔵野の地酒『帝松』ですね!乙巳の変に始まる大化の改新、中大兄皇子は晴れて帝になられるのでした。大和から遠く離れた武蔵野の山奥にある古代ロマンのお話でした。
「大多武ノ峰」の山名テープがありました。その先に道があるので進んでみます。
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「大多武ノ峰」の山名テープがありました。その先に道があるので進んでみます。
はっきりした道形があります。隣の小ピークに行く道のようです。2本の太いケーブルがあります。
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はっきりした道形があります。隣の小ピークに行く道のようです。2本の太いケーブルがあります。
「多武峰野鳥の森…都幾川村」の看板が落ちていました。
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「多武峰野鳥の森…都幾川村」の看板が落ちていました。
僅かに残るテープに従ってここから南面に回り込んでみます。
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9/29 11:25
僅かに残るテープに従ってここから南面に回り込んでみます。
結構な岸壁が現れ、期待でウズウズしてきます。
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結構な岸壁が現れ、期待でウズウズしてきます。
何を期待しているかというと椀貸し伝説のある「竜宮の穴」です。
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9/29 11:29
何を期待しているかというと椀貸し伝説のある「竜宮の穴」です。
簡単に見つかるかなと思ったらそれらしい穴はありません。以前Nimaさんも探索しましたが見つからないようでした。
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簡単に見つかるかなと思ったらそれらしい穴はありません。以前Nimaさんも探索しましたが見つからないようでした。
おそらく神社直下となる尾根に乗りました。ここはさらにトラバースを続けます。
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9/29 11:34
おそらく神社直下となる尾根に乗りました。ここはさらにトラバースを続けます。
再び大きな岩壁が現れました。
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再び大きな岩壁が現れました。
見上げます
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9/29 11:45
見上げます
やはり穴の様なものは見当たらず
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やはり穴の様なものは見当たらず
岩壁の縁にそって登って行くと、
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岩壁の縁にそって登って行くと、
これ?でも“穴”には見えませんね。
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これ?でも“穴”には見えませんね。
さらに進むと鳥居近くの参道に出ました。かつては周回路があったようですね。
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さらに進むと鳥居近くの参道に出ました。かつては周回路があったようですね。
先程の分岐、北側の周回路に行ってみました。こちらは巻き道?として活きています。
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9/29 11:55
先程の分岐、北側の周回路に行ってみました。こちらは巻き道?として活きています。
最初に下った神社からの尾根に出ました。穴探しは一時中断してて小ピーク(304峰)を目指します。
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最初に下った神社からの尾根に出ました。穴探しは一時中断してて小ピーク(304峰)を目指します。
穏やかな鞍部、その先にピークの山影が見えています。
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9/29 12:10
穏やかな鞍部、その先にピークの山影が見えています。
下から石塔が見えたので、一瞬“御嶽”かも?とテンション⤴でしたが“富士嶽”でした(笑)
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下から石塔が見えたので、一瞬“御嶽”かも?とテンション⤴でしたが“富士嶽”でした(笑)
「小多武ノ峰」のプレート
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「小多武ノ峰」のプレート
「富士嶽浅間大神 明治三十九年十二月(1906) 掬行高林謹書 好行壽峨建/中講義 大野貞一郎刻」
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「富士嶽浅間大神 明治三十九年十二月(1906) 掬行高林謹書 好行壽峨建/中講義 大野貞一郎刻」
再び神社方面に戻る尾根筋(正面)の峠?、左の道へ行ってみます。林業関連の仕事道のようです。
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再び神社方面に戻る尾根筋(正面)の峠?、左の道へ行ってみます。林業関連の仕事道のようです。
先程たどった岩壁の下方の道、小岩がたくさん溜まっています。
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先程たどった岩壁の下方の道、小岩がたくさん溜まっています。
想定の尾根筋に乗ったら今度は登ります。
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9/29 12:36
想定の尾根筋に乗ったら今度は登ります。
やはり先程トラバースした所に来ました。今度は神社方面に登ってみます。ダメだったら戻ろうと思いましたが、
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9/29 12:44
やはり先程トラバースした所に来ました。今度は神社方面に登ってみます。ダメだったら戻ろうと思いましたが、
案外登りやすい感じでした。
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案外登りやすい感じでした。
神社直下にこんな所が、お椀を借りるには近くで便利そうですが…穴じゃないしなぁ
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9/29 12:51
神社直下にこんな所が、お椀を借りるには近くで便利そうですが…穴じゃないしなぁ
諦めて参道を降ります。
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9/29 12:53
諦めて参道を降ります。
穴!これは小動物の穴かな
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9/29 12:54
穴!これは小動物の穴かな
カバ岳?
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9/29 12:58
カバ岳?
「天狗の泊まり木 大桧跡」
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「天狗の泊まり木 大桧跡」
路傍の彼岸花
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9/29 13:03
路傍の彼岸花
刀禰の頭かな
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刀禰の頭かな
南登山口から
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南登山口から
超久しぶりの新柵山、昔は淋しい道でしたが現在はトレランコースになっているようです。
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9/29 13:26
超久しぶりの新柵山、昔は淋しい道でしたが現在はトレランコースになっているようです。
「西平」490.2 m三等三角点
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9/29 13:27
「西平」490.2 m三等三角点
新柵峠
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9/29 13:36
新柵峠
刀禰の頭482m、山名の由来が気になりますね。
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9/29 13:43
刀禰の頭482m、山名の由来が気になりますね。
「八木成・木のむら」分岐からまずは光岩へ
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9/29 13:51
「八木成・木のむら」分岐からまずは光岩へ
これですね、夕陽でも当たるのかな
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9/29 13:54
これですね、夕陽でも当たるのかな
八木成への道をしばらく下ると、三境の滝への分岐がありました。この滝も以前Nimaさんが紹介されていましたね。
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9/29 14:03
八木成への道をしばらく下ると、三境の滝への分岐がありました。この滝も以前Nimaさんが紹介されていましたね。
椚村、平村、大野村の境にある三境の滝、水量は少なめでしたが、滝音は聴こえていました。滝の裏の岩窟の中には、
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9/29 14:07
椚村、平村、大野村の境にある三境の滝、水量は少なめでしたが、滝音は聴こえていました。滝の裏の岩窟の中には、
青石に大きな<カンマーン>(不動明王)、その下の願主銘にビックリ!何と「近江國愛智郡青山村…」とあります。滋賀県えち郡?
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9/29 14:17
青石に大きな<カンマーン>(不動明王)、その下の願主銘にビックリ!何と「近江國愛智郡青山村…」とあります。滋賀県えち郡?
背面には「奉勤(一七目)念佛 元禄六年癸酉三月一七日(1693)願主」おそらくこの滝場を含む多武峯の修験道場は名の知れた行場で遠方からも行者が訪れていたのでしょう。
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9/29 14:21
背面には「奉勤(一七目)念佛 元禄六年癸酉三月一七日(1693)願主」おそらくこの滝場を含む多武峯の修験道場は名の知れた行場で遠方からも行者が訪れていたのでしょう。
岩窟内部からの眺め、水量が少ないので写真ではよくわかりませんが、一応裏見の滝ですね。
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9/29 14:25
岩窟内部からの眺め、水量が少ないので写真ではよくわかりませんが、一応裏見の滝ですね。
滝修行のグリャミ
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9/29 14:28
滝修行のグリャミ
なかなか気を感じるよい所でした。
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9/29 14:33
なかなか気を感じるよい所でした。
下った道を戻って分岐に帰っていました。尾根道を進んで行くと、
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9/29 14:52
下った道を戻って分岐に帰っていました。尾根道を進んで行くと、
越沢稲荷と大スギ、今日はグリチャミがパワーをいただいています!
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9/29 15:04
越沢稲荷と大スギ、今日はグリチャミがパワーをいただいています!
有名なバス停、時刻はニャンコ語?で読めません(笑)
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9/29 15:05
有名なバス停、時刻はニャンコ語?で読めません(笑)
ちょっと下った所に浅間神社
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9/29 15:09
ちょっと下った所に浅間神社
参道のこの石段は怖くて降りられませんでした。迂回路で下ります。
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9/29 15:10
参道のこの石段は怖くて降りられませんでした。迂回路で下ります。
「山に鍛」野鍛冶さんの奉納でしょうか。山仕事には必需品ですよね!
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9/29 15:11
「山に鍛」野鍛冶さんの奉納でしょうか。山仕事には必需品ですよね!
車道の下りた所に青石の「大日如来」が祀られていました。
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9/29 15:14
車道の下りた所に青石の「大日如来」が祀られていました。
すぐそこがゴールです。うどん屋さんの営業は14時までとのことです。
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9/29 15:14
すぐそこがゴールです。うどん屋さんの営業は14時までとのことです。
情報共有、それから5日(日)はトレランレースがあるようです。
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9/29 15:27
情報共有、それから5日(日)はトレランレースがあるようです。
下方から見た浅間神社の石段
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9/29 15:28
下方から見た浅間神社の石段
立派な聖徳太子碑がありました。さすが林業と建具の街ですね!
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9/29 15:32
立派な聖徳太子碑がありました。さすが林業と建具の街ですね!
椚平シュウカイドウはネットで守られていました。食糧難の時には茎を食べたということで、今では鹿さんの大好物のようです。
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9/29 15:39
椚平シュウカイドウはネットで守られていました。食糧難の時には茎を食べたということで、今では鹿さんの大好物のようです。
所変わって東秩父村のふれあい広場(中学校隣)の曼殊沙華、サンスクリット語で「天界の花」、おめでたい事の前兆に天からひらひらと降ってくるそうです。
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9/29 16:23
所変わって東秩父村のふれあい広場(中学校隣)の曼殊沙華、サンスクリット語で「天界の花」、おめでたい事の前兆に天からひらひらと降ってくるそうです。
白花も点在、仏教では曼殊沙華は白い柔らかな花とされ、それを見たものの悪行を払うとも信じられているそうです。
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9/29 16:24
白花も点在、仏教では曼殊沙華は白い柔らかな花とされ、それを見たものの悪行を払うとも信じられているそうです。
白い曼殊沙華はヒガンバナとショウキズイセンの自然交配種と考えられていて、交配力は弱いとのことです。
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9/29 16:26
白い曼殊沙華はヒガンバナとショウキズイセンの自然交配種と考えられていて、交配力は弱いとのことです。
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9/29 16:28
♪曼殊沙華〜
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9/29 16:30
♪曼殊沙華〜
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9/29 16:30
県道を挟んだ向かいに興味深い看板がありました。
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9/29 16:36
県道を挟んだ向かいに興味深い看板がありました。
こちらは摩利支天が祀られているそうです。
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9/29 16:37
こちらは摩利支天が祀られているそうです。
秩父高原牧場から少し三沢側に下った所からのダイヤモンド両神山
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9/29 17:15
秩父高原牧場から少し三沢側に下った所からのダイヤモンド両神山
お椀貸し伝説の竜宮の穴探索お疲れ様でした!何とも探検心をくすぐる伝説ですよね😄!自分も以前探しに行きましたが、結局見つからずこれは伝説のままで残しておくのがいいのかな?と思った次第です!
三境の滝の不動明王は近江に関係があるというのも面白いですね!先日訪れたときがわにも大洗の磯前神社が祀られていたり、当時の人の往来を伺わせますね!
椚村体験館のひもかわうどん、涼しくなってきたのでまた食べに行きたくなりました😄!
ではでは〜😊
竜宮の穴はてっきりあの大岩壁にあると思ったら、それらしい穴はなかったですよねぇ、また別の場所なんですかねぇ。
現在では地元の方でもめったに行かないような奥武蔵の秘境に遠方の方の足跡を見つけるとビックリします。当然移動手段も情報収集も現在とは比べ物にはならないと思いますが、その時代なりのネットワークがあったのでしょうね。間違いなく脚力は現代人よりも勝っていたでしょうね。
ほんとカレーうどんにもいい季節になって来たので近いうちに再訪したいと思います。
それでは。 godohan
こんにちは。
いやー驚きました。武蔵の国にも多武峰があるのですね。
大和の多武峰は談山神社があり、小学校の遠足はじめ何度も訪れた里山です。勿論藤原鎌足を祀っています。
特に秋の紅葉時期は十三重塔まわりは絶景で美しさは格別ですよ。
この武蔵の多武峰も由緒あるお寺→神社のようで中大兄皇子と藤原鎌足の彫刻などがあるとは。
貴重な情報有難うございました。是非行かなくっちゃ。
大和の多武峯も談山神社も知らない私でさえ、どうしてこんな離れた場所に?と不思議に思ったのですが、元祖?の多武峯を御存知(しかもお近くに住まわれていた)のyamatake01さん がお訪ねになったらさらに感慨深いものがあるでしょうね。そうは言っても奥武蔵なので風光明媚という訳にはいかないのであまり期待しすぎると何ですが、あれはあれ、これはこれの良さをわかっていただけると思います。 それでは。 godohan
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