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Yamareco

記録ID: 959406
全員に公開
ハイキング
中国

岡山県和気町 佐伯天神山〜9月風物詩&歴史ファン人気の山城跡〜

2016年09月11日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
03:59
距離
7.1km
登り
413m
下り
412m
歩くペース
ゆっくり
1.61.7
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:00
休憩
0:56
合計
3:56
距離 7.1km 登り 427m 下り 415m
8:06
14
スタート地点(和気美しい森)
8:20
2
天神山頂上
8:22
8:26
3
軍用石
8:29
8:37
15
太鼓の丸城
8:52
19
本丸&水の手分岐
9:11
9:23
7
標高150mの池
9:30
23
天神山登山口(田土)
9:53
10:00
1
天石門別神社
10:01
32
天神山登山口(河本)
10:33
10:42
7
天神地蔵
10:49
10:50
4
三の丸
10:54
10:56
8
桜の馬場
11:04
11:06
18
本丸
11:24
15
本丸&水の手分岐
11:39
11:50
5
太鼓の丸城
11:55
7
天神山頂上
12:02
ゴール地点(和気美しい森)
9月の風物詩と戦国時代の歴史を辿る天神山コース
歩行距離7km、歩行時間3時間、歩行数12,700歩
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2016年09月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
 佐伯天神山の南東に「和気美しい森」があり、ビジターセンター前にある駐車場を利用しました。なお、田土の天神山城跡登山口<写真30>と河本の登山口<写真37>には、コミュニティ広場(河本コミュニティハウスの駐車場)を利用してくださいとの看板があります。
コース状況/
危険箇所等
 道の大半は整備されて、岩場が多い稜線も巻き道がついていたりして歩きやすいですが、本丸&水の手分岐<写真22>から田土集落の天神山登山口<写真30>に至るコースは、水の手の天神山案内図<写真23>までが階段状の道の上に土や石、落ち葉が積もって一部見えにくく荒れていました。滑りやすい所もありますが、濡れていなければ下りでも大丈夫です。
 軍用石<写真10>にオオスズメバチの新女王蜂がいました。もう働き蜂が襲ってくる可能性は低いと思います。5月中旬から8月末くらいは注意が必要でしょう。
その他周辺情報  今回出発点とした「和気美しい森」にはビジターセンター(3部屋)、バンガロー(3部屋)、キャンプサイトなどの宿泊施設があります。登山後にシャワー(1回100円)を浴びることもできます。さらに、「和気美しい森」を下った所に温水プールもある和気鵜飼谷(うがいだに)温泉があります。
01和気美しい森駐車場
天神山頂上(標高409m)まで距離約500m、標高390mにある施設です。写真左に見えているビジターセンターで天神山城跡の簡単な資料を入手できます。
01和気美しい森駐車場
天神山頂上(標高409m)まで距離約500m、標高390mにある施設です。写真左に見えているビジターセンターで天神山城跡の簡単な資料を入手できます。
02太鼓丸城案内図
和気美しい森から天神山(太鼓丸城跡)までの簡単なイラストマップが掲示されています。佐伯天神山頂上三角点<写真09>周辺を本丸とした太鼓の丸城は、この山に築かれた最初の城です。ここから少し草が生えた土の道になります。
02太鼓丸城案内図
和気美しい森から天神山(太鼓丸城跡)までの簡単なイラストマップが掲示されています。佐伯天神山頂上三角点<写真09>周辺を本丸とした太鼓の丸城は、この山に築かれた最初の城です。ここから少し草が生えた土の道になります。
03ヒメアカネ♀
アカネ属(いわゆる赤トンボ)の中で一番小さいトンボです。正面から見ると黒い縦筋模様が上部でつながっているのが特徴です。雄は成熟すると腹部のみ真っ赤になります。
03ヒメアカネ♀
アカネ属(いわゆる赤トンボ)の中で一番小さいトンボです。正面から見ると黒い縦筋模様が上部でつながっているのが特徴です。雄は成熟すると腹部のみ真っ赤になります。
04根小屋
浦上家の家臣団その他の従属する人々の居住地があったと思われます。
04根小屋
浦上家の家臣団その他の従属する人々の居住地があったと思われます。
05土塁
人工的に山肌を削平し設けた区画(曲輪 くるわ)の周囲の土を盛り上げ、敵の攻撃から城の内部を防御するために設けられたのでしょう。この少し北西に土を盛り上げたように見える所がありました。
1
05土塁
人工的に山肌を削平し設けた区画(曲輪 くるわ)の周囲の土を盛り上げ、敵の攻撃から城の内部を防御するために設けられたのでしょう。この少し北西に土を盛り上げたように見える所がありました。
06堀切
曲輪(くるわ)を区画したり分断するため、峰や尾根を堀で切った山城特有の防御手段です。これを設けることにより尾根筋からの連続性を意図的になくすことができ、敵の侵入を阻むことができます。
06堀切
曲輪(くるわ)を区画したり分断するため、峰や尾根を堀で切った山城特有の防御手段です。これを設けることにより尾根筋からの連続性を意図的になくすことができ、敵の侵入を阻むことができます。
07郭
郭(くるわ)とは曲輪(くるわ)の別称だと思いますが、軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された空間です。
07郭
郭(くるわ)とは曲輪(くるわ)の別称だと思いますが、軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された空間です。
08堀切
堀切の看板の反対側です。ここは明確に堀切の跡が残っていました。
08堀切
堀切の看板の反対側です。ここは明確に堀切の跡が残っていました。
09佐伯天神山頂上三角点
標高408.9mの佐伯天神山頂上三角点です。景色を望むことはできません。周辺は平らなので、城を築くにはちょうどよかったのでしょう。西に本丸が造られるまではこの周辺が本丸で、太鼓の丸城といいました。少し西に進むと道の両側に石が続いていたので、歩きながら「石門」まで動画を撮りました。
1
09佐伯天神山頂上三角点
標高408.9mの佐伯天神山頂上三角点です。景色を望むことはできません。周辺は平らなので、城を築くにはちょうどよかったのでしょう。西に本丸が造られるまではこの周辺が本丸で、太鼓の丸城といいました。少し西に進むと道の両側に石が続いていたので、歩きながら「石門」まで動画を撮りました。
10軍用石
石門の近くにありました。上ってくる敵に向かって落とすためのものだといわれていますが、なかなかの大きさです。動かすのは大変でしょう。人力ではなくテコの力で?ここから歩きながら動画を撮りました。
10軍用石
石門の近くにありました。上ってくる敵に向かって落とすためのものだといわれていますが、なかなかの大きさです。動かすのは大変でしょう。人力ではなくテコの力で?ここから歩きながら動画を撮りました。
11軍用石より吉井川流域
軍用石の上から吉井川流域田原地区が見えます。オオスズメバチの新女王蜂がいましたが、こちらには近づいてきませんでした。やはり女王蜂はおとなしいです。
11軍用石より吉井川流域
軍用石の上から吉井川流域田原地区が見えます。オオスズメバチの新女王蜂がいましたが、こちらには近づいてきませんでした。やはり女王蜂はおとなしいです。
12軍用石碑
軍用石の石碑が立っていました。なぜプレートではなく石碑なのか謎です。両側に石が埋まった道はまだ続きます。
12軍用石碑
軍用石の石碑が立っていました。なぜプレートではなく石碑なのか謎です。両側に石が埋まった道はまだ続きます。
13太鼓の丸城石垣
太鼓の丸城跡近くに城垣らしき石垣がありました。ここに来るまでにたくさんの障害物を通過しなければなりません。すごいディフェンスです。ここから太鼓の丸城跡の看板まで歩きながら動画を撮りました。
13太鼓の丸城石垣
太鼓の丸城跡近くに城垣らしき石垣がありました。ここに来るまでにたくさんの障害物を通過しなければなりません。すごいディフェンスです。ここから太鼓の丸城跡の看板まで歩きながら動画を撮りました。
14太鼓の丸城跡
太鼓の丸城の狼煙台があった所です。南北47m、最大幅17mほどの太鼓丸は、南端が自然地形の影響で一段下がっている他は、基本的に単郭構造となっています。
14太鼓の丸城跡
太鼓の丸城の狼煙台があった所です。南北47m、最大幅17mほどの太鼓丸は、南端が自然地形の影響で一段下がっている他は、基本的に単郭構造となっています。
15天神山城鳥瞰図
太鼓の丸城跡中央部には山城の鳥瞰図が掲示されています。これはビジターセンターで得られる資料と同様のものです。ここでも巨岩がたくさん見られたため、足元に気を付けながら動画を撮りました。
15天神山城鳥瞰図
太鼓の丸城跡中央部には山城の鳥瞰図が掲示されています。これはビジターセンターで得られる資料と同様のものです。ここでも巨岩がたくさん見られたため、足元に気を付けながら動画を撮りました。
16太鼓の丸城跡より田土集落
巨岩群の端までくると、800枚にも及ぶ棚田が黄色く色づきかけているのがよく見えます。美しい景観でしたので動画に撮りました。
16太鼓の丸城跡より田土集落
巨岩群の端までくると、800枚にも及ぶ棚田が黄色く色づきかけているのがよく見えます。美しい景観でしたので動画に撮りました。
17太鼓の丸城跡より佐伯集落
旧佐伯町の中心部です。江戸時代には吉井川を高瀬舟が往来し、大正12年には片上鉄道(現在はサイクリングロード)が開通するなど商工業の中心でしたが、2006年に和気町に吸収合併されました。ここから石が埋まった道を下ります。
17太鼓の丸城跡より佐伯集落
旧佐伯町の中心部です。江戸時代には吉井川を高瀬舟が往来し、大正12年には片上鉄道(現在はサイクリングロード)が開通するなど商工業の中心でしたが、2006年に和気町に吸収合併されました。ここから石が埋まった道を下ります。
18切り株に生えたキノコ
佐伯天神山の南の和気アルプスはこの時期は入山禁止令が出るほどマツタケなどのキノコがたくさん生育しているのですが、ここはキノコの少ない山です。この辺りから石はなくなり、少しザラついた滑りやすい土の道になりました。
1
18切り株に生えたキノコ
佐伯天神山の南の和気アルプスはこの時期は入山禁止令が出るほどマツタケなどのキノコがたくさん生育しているのですが、ここはキノコの少ない山です。この辺りから石はなくなり、少しザラついた滑りやすい土の道になりました。
19上の石門
普段は通路ですが、いざ戦となれば閉じられる門の役割を果たしたのでしょう。動画を撮りましたが、石群はすぐに終わりました。地形図では下の石門<写真20>との間に破線の道がありますが、わかりませんでした。
19上の石門
普段は通路ですが、いざ戦となれば閉じられる門の役割を果たしたのでしょう。動画を撮りましたが、石群はすぐに終わりました。地形図では下の石門<写真20>との間に破線の道がありますが、わかりませんでした。
20下の石門
石が埋まった間を少し下りた所です。上の門<写真19>と共に二重の門として防御したのでしょう。ここから「石門」の看板の所まで歩きながら動画を撮りました。石が埋まった道は、途中からザラついた滑りやすい土の道に変わりました。
20下の石門
石が埋まった間を少し下りた所です。上の門<写真19>と共に二重の門として防御したのでしょう。ここから「石門」の看板の所まで歩きながら動画を撮りました。石が埋まった道は、途中からザラついた滑りやすい土の道に変わりました。
21亀の甲
敵がもし塁をよじ登ってきた際には、山積み(甲羅積み)された石を落としたのでしょう。ここの石は軍用石<写真10>よりもかなり小さく手ごろな大きさでした。
21亀の甲
敵がもし塁をよじ登ってきた際には、山積み(甲羅積み)された石を落としたのでしょう。ここの石は軍用石<写真10>よりもかなり小さく手ごろな大きさでした。
22本丸&水の手分岐
地形図上には記載されていない道ですが、ここから水の手<写真24>まで擬木の階段状の道があります。途中から石が増え始め、たまに階段がわからないほど土や石、落ち葉が積もっていました。最後は小石がゴロゴロした上をしばらく歩きました。なかなかワイルドでした(*_*;
22本丸&水の手分岐
地形図上には記載されていない道ですが、ここから水の手<写真24>まで擬木の階段状の道があります。途中から石が増え始め、たまに階段がわからないほど土や石、落ち葉が積もっていました。最後は小石がゴロゴロした上をしばらく歩きました。なかなかワイルドでした(*_*;
23水の手の天神山案内図
アスファルト道に出てきた所です。この案内図によると、今下りてきた馬越(ばがし)ルート以外に、百貫井戸経由で三の丸<写真48>と桜の馬場<写真52>の間に出てくるルートもあったようです。
23水の手の天神山案内図
アスファルト道に出てきた所です。この案内図によると、今下りてきた馬越(ばがし)ルート以外に、百貫井戸経由で三の丸<写真48>と桜の馬場<写真52>の間に出てくるルートもあったようです。
24水の手
ここは文字通り水場だったのでしょう。案内板にも「清冷なる故、城中の人々是を飲む」と明記されていました。水深は浅く、水を汲むのは難しそうです。苔が生えたアスファルト道を下ります。
24水の手
ここは文字通り水場だったのでしょう。案内板にも「清冷なる故、城中の人々是を飲む」と明記されていました。水深は浅く、水を汲むのは難しそうです。苔が生えたアスファルト道を下ります。
25標高150mの池
棚田に利用された池と思われますが、この辺りに5つほどあり、中でもこの池がもっとも大きいようでした。
25標高150mの池
棚田に利用された池と思われますが、この辺りに5つほどあり、中でもこの池がもっとも大きいようでした。
26佐伯天神山337m峰
池<写真25>から佐伯天神山の337m峰が展望できます。天神山城の本丸などの中心部はこの見えているゾーンにあります。
26佐伯天神山337m峰
池<写真25>から佐伯天神山の337m峰が展望できます。天神山城の本丸などの中心部はこの見えているゾーンにあります。
27佐伯天神山409m峰
池<写真25>から三角点のある佐伯天神山の409m峰も見えます。東西にフラット峰が広がっているので、このアングルから見ると、平坦な山に見えます。ここから動画を撮りました。
27佐伯天神山409m峰
池<写真25>から三角点のある佐伯天神山の409m峰も見えます。東西にフラット峰が広がっているので、このアングルから見ると、平坦な山に見えます。ここから動画を撮りました。
28トノサマガエル
背中の暗色斑紋はつながっていませんが、背中線があるため、トノサマガエルだと思います。まさかの人間との出会いにフリーズしてしまいました。池の畔にはキャッと鳴いて水に飛び込むカエルがたくさんいました。こちらはヌマガエルでしょうか。
28トノサマガエル
背中の暗色斑紋はつながっていませんが、背中線があるため、トノサマガエルだと思います。まさかの人間との出会いにフリーズしてしまいました。池の畔にはキャッと鳴いて水に飛び込むカエルがたくさんいました。こちらはヌマガエルでしょうか。
29ザクロと巻積雲
現在国産ザクロの流通はほとんど見られません。10月には食べごろになるのでしょう。ザクロの木の背景の巻積雲(うろこ雲)がザクロの実を際立たせていました。
29ザクロと巻積雲
現在国産ザクロの流通はほとんど見られません。10月には食べごろになるのでしょう。ザクロの木の背景の巻積雲(うろこ雲)がザクロの実を際立たせていました。
30天神山城跡登山口
これだけ、情緒あふれる田土の天神山城跡登山口ですが、なぜか、ここから登る人は少数です。
1
30天神山城跡登山口
これだけ、情緒あふれる田土の天神山城跡登山口ですが、なぜか、ここから登る人は少数です。
31イシガケチョウ
羽の模様が石垣のようなのでこの名が付いています。おそらく吸い戻し行動だと思われます。動画にも撮りました。
31イシガケチョウ
羽の模様が石垣のようなのでこの名が付いています。おそらく吸い戻し行動だと思われます。動画にも撮りました。
32ムクゲ
暑さで人や植物が元気のなくなる季節に、次々と大きな花を咲かせるムクゲは、盛夏を彩る代表的な花木といえますが、9月もまだがんばって咲いていました。真っ白な品種は初めて見ました。田土川の畔にたくさんいたハグロトンボのオスが腹部を上下に振って威嚇行動?をとっていたので、動画に撮ってみました。
32ムクゲ
暑さで人や植物が元気のなくなる季節に、次々と大きな花を咲かせるムクゲは、盛夏を彩る代表的な花木といえますが、9月もまだがんばって咲いていました。真っ白な品種は初めて見ました。田土川の畔にたくさんいたハグロトンボのオスが腹部を上下に振って威嚇行動?をとっていたので、動画に撮ってみました。
33クサギの実
クサギ(臭木)は、その名の通りイヤな匂いがあるため、園芸植物とはなっていませんが、鳥のフンで種が運ばれ、薮への先駆植物となるようです。花は終わりかけており、実はできはじめでした。クサギに絡みついたクズの花は見頃でした。
33クサギの実
クサギ(臭木)は、その名の通りイヤな匂いがあるため、園芸植物とはなっていませんが、鳥のフンで種が運ばれ、薮への先駆植物となるようです。花は終わりかけており、実はできはじめでした。クサギに絡みついたクズの花は見頃でした。
34天石門別神社
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神です。元々この宮は天神山山嶺にあって、通称天津社と呼ばれていましたが、1533年、浦上宗景がこの地に築城する為、この山麓の地に移し天神様と称したといわれています。狛犬の右側に対になるように和気清麻呂像<写真36>があるのが気になります。
34天石門別神社
天石門別神(あまのいわとわけのかみ)は、日本神話に登場する神です。元々この宮は天神山山嶺にあって、通称天津社と呼ばれていましたが、1533年、浦上宗景がこの地に築城する為、この山麓の地に移し天神様と称したといわれています。狛犬の右側に対になるように和気清麻呂像<写真36>があるのが気になります。
35天石門別神社本殿&稲荷社
神紋に梅鉢があることから、学問の神、菅原道真も祭神として祀られているようです。さらにお稲荷様も祀られていました。
35天石門別神社本殿&稲荷社
神紋に梅鉢があることから、学問の神、菅原道真も祭神として祀られているようです。さらにお稲荷様も祀られていました。
36天石門別神社の
     和気清麻呂像
和気清麻呂公は奈良末期から平安時代初期に活躍した貴族で、宇佐八幡宮神託事件の際に道鏡の不穏な動きを察知し、流刑に処せられながらも皇統を守ったとされる人で、現在皇居の周辺に像が設置された唯一の貴族です。今の和気町出身です。足元のイノシシは、道鏡の刺客たちから清麻呂公を守りながら宇佐八幡宮まで道案内した神のお使いです。
36天石門別神社の
     和気清麻呂像
和気清麻呂公は奈良末期から平安時代初期に活躍した貴族で、宇佐八幡宮神託事件の際に道鏡の不穏な動きを察知し、流刑に処せられながらも皇統を守ったとされる人で、現在皇居の周辺に像が設置された唯一の貴族です。今の和気町出身です。足元のイノシシは、道鏡の刺客たちから清麻呂公を守りながら宇佐八幡宮まで道案内した神のお使いです。
37天神山城址登山口
アスファルト道から少し上った所にあります。河本にある一般的な天神山城址登山口です。ここから落ち葉が積もった急登を過ぎ、岩盤の上を歩きます。一部、ロープがありますが、使わなくても大丈夫でした。
37天神山城址登山口
アスファルト道から少し上った所にあります。河本にある一般的な天神山城址登山口です。ここから落ち葉が積もった急登を過ぎ、岩盤の上を歩きます。一部、ロープがありますが、使わなくても大丈夫でした。
38妙見山系&吉井川景観
岩盤の上から眺めると、吉井川が大きく蛇行するポイントに妙見山系が広がっています。なかなか見られない光景です。
38妙見山系&吉井川景観
岩盤の上から眺めると、吉井川が大きく蛇行するポイントに妙見山系が広がっています。なかなか見られない光景です。
39武者おとし上の石畳
上から監視し、城に近付いたり、よじ登ろうとする敵兵に石を落としたり投げたりしたのでしょうか?岩盤や石埋まりが続きます。
39武者おとし上の石畳
上から監視し、城に近付いたり、よじ登ろうとする敵兵に石を落としたり投げたりしたのでしょうか?岩盤や石埋まりが続きます。
40見張り所
確かに上りの尾根上では数少ないビューポイントでもあります。
40見張り所
確かに上りの尾根上では数少ないビューポイントでもあります。
41見張り所から巨石群
麓からも岩石群がよく見えるのですが、近くで見ると迫力があります。
41見張り所から巨石群
麓からも岩石群がよく見えるのですが、近くで見ると迫力があります。
42見張り所から石壁
尾根の西側は石壁がいくつかあり、敵の侵入経路が限られていたのでしょう。次第に岩盤は少なくなり、砂利がゴロゴロした道に変わりました。何ヶ所か南側に下れそうな所がありましたが、すぐ下の道路に石を落とすといけないので、引き返しました。
42見張り所から石壁
尾根の西側は石壁がいくつかあり、敵の侵入経路が限られていたのでしょう。次第に岩盤は少なくなり、砂利がゴロゴロした道に変わりました。何ヶ所か南側に下れそうな所がありましたが、すぐ下の道路に石を落とすといけないので、引き返しました。
43天神地蔵
大きな岩の下に、小さなお地蔵さんが座り、そこに御賽銭が置かれていました。こんな場所までお参りにくる人もいるのでしょうか…ここもビュースポットです。
43天神地蔵
大きな岩の下に、小さなお地蔵さんが座り、そこに御賽銭が置かれていました。こんな場所までお参りにくる人もいるのでしょうか…ここもビュースポットです。
44妙見山系&吉井川景観
天神地蔵<写真43>の南側です。<写真38>とほぼ同じ方向ですが、高度が上がっているので、さらに遠くまで、吉井川を中心とした景観が広がります。
44妙見山系&吉井川景観
天神地蔵<写真43>の南側です。<写真38>とほぼ同じ方向ですが、高度が上がっているので、さらに遠くまで、吉井川を中心とした景観が広がります。
45アベマキの未熟な実
生長とともにコルク層が発達し、樹皮の表面が裂け、厚く隆起します。コナラやミズナラと同様に、秋にどんぐりが落下します。クヌギに似ていますが、葉の裏は白く見えます。
45アベマキの未熟な実
生長とともにコルク層が発達し、樹皮の表面が裂け、厚く隆起します。コナラやミズナラと同様に、秋にどんぐりが落下します。クヌギに似ていますが、葉の裏は白く見えます。
46下の段
石が埋まった道を進むとありました。隠曲輪で西方より侵入してきた敵を上から攻撃する郭です。五十騎一備(戦闘単位)の桝形です。ここを過ぎると石は少なく歩きやすくなりました。
46下の段
石が埋まった道を進むとありました。隠曲輪で西方より侵入してきた敵を上から攻撃する郭です。五十騎一備(戦闘単位)の桝形です。ここを過ぎると石は少なく歩きやすくなりました。
47西櫓台
佐伯平野の見張りと本丸・竜ヶ鼻城との連絡場とされていました。
47西櫓台
佐伯平野の見張りと本丸・竜ヶ鼻城との連絡場とされていました。
48三の丸
天神山城は連郭式で、本丸と二の丸、三の丸を並列して並べたものです。この場合、三の丸から攻められた場合は防御力がありますが、本丸の脇や背後が露出してしまうのが難点です。
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48三の丸
天神山城は連郭式で、本丸と二の丸、三の丸を並列して並べたものです。この場合、三の丸から攻められた場合は防御力がありますが、本丸の脇や背後が露出してしまうのが難点です。
49吉井川&佐伯平野
三の丸<写真48>の東屋からは、吉井川の向こうに旧佐伯町の平野部が見えます。
49吉井川&佐伯平野
三の丸<写真48>の東屋からは、吉井川の向こうに旧佐伯町の平野部が見えます。
50鍛冶場
城の拡張工事に必要な器具の製造、修理、武具・武器の確保のために鍛冶職人を常駐させていたといわれています。周辺はこんもりしており、小さな祠がありました。
50鍛冶場
城の拡張工事に必要な器具の製造、修理、武具・武器の確保のために鍛冶職人を常駐させていたといわれています。周辺はこんもりしており、小さな祠がありました。
51百貫井戸分岐
裏側には、浦上宗次建之との記載があります。百貫井戸までは150mぐらいとのことですが、今は草が茂り井戸の水が見えないようです。
51百貫井戸分岐
裏側には、浦上宗次建之との記載があります。百貫井戸までは150mぐらいとのことですが、今は草が茂り井戸の水が見えないようです。
52大手門跡&桜の馬場
連郭式山城最大の曲輪で、西側に帯曲輪・腰曲輪・犬走りなどがあります。中央北側に大手門があったようです。
52大手門跡&桜の馬場
連郭式山城最大の曲輪で、西側に帯曲輪・腰曲輪・犬走りなどがあります。中央北側に大手門があったようです。
53カゴノキ
鹿子の木というだけあって、バンビのような模様でした。これは樹皮が簡単にめくれるので、こうした模様となっているのでしょう。
53カゴノキ
鹿子の木というだけあって、バンビのような模様でした。これは樹皮が簡単にめくれるので、こうした模様となっているのでしょう。
54カゴノキのジグソーパズル
はがれた樹皮を元の場所に当てはめてみました。まるでジグソーパズルのようで楽しめます。
54カゴノキのジグソーパズル
はがれた樹皮を元の場所に当てはめてみました。まるでジグソーパズルのようで楽しめます。
55長屋の段
倉庫があり、鉄砲櫓(やぐら)、食料櫓、武器櫓などがあったようです。段差が見られます。
55長屋の段
倉庫があり、鉄砲櫓(やぐら)、食料櫓、武器櫓などがあったようです。段差が見られます。
56二の丸
本丸<写真58>の近くに設けられていました。三の丸<写真48>が突破されたら、二の丸で防ぐのでしょう。
56二の丸
本丸<写真58>の近くに設けられていました。三の丸<写真48>が突破されたら、二の丸で防ぐのでしょう。
57空堀
水がなく、断面がV字形です。本丸防衛のための堀割です。
57空堀
水がなく、断面がV字形です。本丸防衛のための堀割です。
58本丸
天神山337m峰に設けられています。ここに城主の浦上宗景が居たのでしょう。戦になった場合はここが本陣となります。宇喜多直家に攻められ、落城しました。
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58本丸
天神山337m峰に設けられています。ここに城主の浦上宗景が居たのでしょう。戦になった場合はここが本陣となります。宇喜多直家に攻められ、落城しました。
59天津社跡
天文2年(1533年)本丸築城の時に、山麓に遷宮しました。それが今の天石門別神社<写真34>です。
59天津社跡
天文2年(1533年)本丸築城の時に、山麓に遷宮しました。それが今の天石門別神社<写真34>です。
60飛騨の丸
浦上宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡です。ほとんど未加工の石を積んだ野面積み(のづらづみ)です。
60飛騨の丸
浦上宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡です。ほとんど未加工の石を積んだ野面積み(のづらづみ)です。
61ヤブツバキの実
花の後にできる直径3〜5cmの実は、熟すと下部が裂け、種子が散布されます。種子から採取される椿油は、動脈硬化予防に役立つオレイン酸を多量に含んでいます。こげ茶色になり少し割れているものがたくさんありました。
61ヤブツバキの実
花の後にできる直径3〜5cmの実は、熟すと下部が裂け、種子が散布されます。種子から採取される椿油は、動脈硬化予防に役立つオレイン酸を多量に含んでいます。こげ茶色になり少し割れているものがたくさんありました。
62竪堀案内
空堀の一種で、山の斜面に直角に作った空堀のことをいいます。
62竪堀案内
空堀の一種で、山の斜面に直角に作った空堀のことをいいます。
63竪堀?
<写真62>の道標に従って、少し下りてみました。急な斜面に空堀らしき地形を確認しましたが、確信はありません。まだ道は続いているようでしたが、ここで引き返しました。
63竪堀?
<写真62>の道標に従って、少し下りてみました。急な斜面に空堀らしき地形を確認しましたが、確信はありません。まだ道は続いているようでしたが、ここで引き返しました。
64馬屋の段
本丸で通常使用する馬屋で、戦争のときは、三の丸<写真48>に臨時につきます。
64馬屋の段
本丸で通常使用する馬屋で、戦争のときは、三の丸<写真48>に臨時につきます。
65南櫓台
少しこんもりした所です。太鼓の丸と本丸との連絡と、城外と城内をみまもる目的がありました。連れはズルズル滑りながら急でザラついた土の踏み跡を下りました。
65南櫓台
少しこんもりした所です。太鼓の丸と本丸との連絡と、城外と城内をみまもる目的がありました。連れはズルズル滑りながら急でザラついた土の踏み跡を下りました。
66南櫓
隠曲輪で敵が城内に侵入してきた際に、堀切の敵を上から攻撃する曲輪です。ザラついた土の道を下り、本丸&水の手分岐<写真22>からは、一度下った道を上って和気美しい森駐車場<写真01>に戻ります。
66南櫓
隠曲輪で敵が城内に侵入してきた際に、堀切の敵を上から攻撃する曲輪です。ザラついた土の道を下り、本丸&水の手分岐<写真22>からは、一度下った道を上って和気美しい森駐車場<写真01>に戻ります。
67太鼓の丸城跡石の輪くぐり
再び太鼓の丸城跡<写真14>に戻ってきました。岩の多い所なので、展望だけでなく、休憩にも遊び?にも適しています。
67太鼓の丸城跡石の輪くぐり
再び太鼓の丸城跡<写真14>に戻ってきました。岩の多い所なので、展望だけでなく、休憩にも遊び?にも適しています。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 軍手 雨具 スパッツ 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 アタックザック ザックカバー 地形図 コンパス ファスナー付クリアーファイル 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

 先週、佐伯天神山の向かいの山や麓の集落を歩いていた際に、佐伯天神山に興味が湧き、戦国時代の象徴である山城跡がたくさん残っている歴史(戦国時代)ファン垂涎の地であることを知り、今回の山行につながりました。
 山城跡は想像以上に大きく、最初に南の「土塁」<写真05>が見えてから、北端の「下の段」<写真46>までおよそ1.5km近くはありそうでした。1531年(享禄4年)に浦上宗景がこの地に移って天神山城を築いてから、浦上与次郎(宗景の嫡男)が宇喜多直家に毒殺され、落城するまでの45年あまりの間、戦国時代を象徴する下剋上の舞台となりました。山城は、防御に有利な地形に築くことが望ましく、佐伯天神山のように険しい山はその条件を満たしますが、そこに住むには不便であり、守るべき対象である人の居住地は麓<写真16、17>にあり、山城から少し離れています。したがって、山城はあくまで防御専用として造られることが多かったのでしょう。城主や兵士は、平時には麓に住民と共に住み、敵が来襲すると、例えば田土集落に住む者は水の手<写真24>で水を汲み、食料と一緒に馬で上がり、本丸&水の手分岐<写真22>を経由して、太鼓の丸城<写真14>に立て籠もったのでしょう。そんな古の時代に思いを馳せながら、一つ一つ歴史の足跡を辿りました。

 佐伯天神山の麓の田土集落では9月のこの時期は棚田<写真16>が美しい時期を迎え、さらに、この時期に旬を迎える様々な植物が生育し、蝶やトンボなどの動物も活発に動き、9月の風物詩を楽しむことができます。また、田土方面からの佐伯天神山の景観<写真26、27>が、一般的に紹介されている河本からのそれとはまったく印象が異なります。佐伯天神山として紹介される山の写真の大半が北西麓の河本からの眺めで、傾斜の厳しい山を連想させます。実際にはこのアングルでは天神山頂上付近が写っていないことも多く、天神山の稜線が意外とフラットなことがよくわかりません。ところが、北東麓の田土方面から見ると、山城にふさわしい、取り付き点の傾斜は厳しいですが、一定の標高まで上がってくると、比較的フラットな地形であることがわかります。絵になるのは河本方面からの景観でしょうが、山城らしさを感じるのはむしろ、田土方面からの景観でした。この田土の「天神山城址登山口」<写真30>を経由するルートは、特にこの時期のお薦めコースです。

 
 


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