今日は、関東ふれあいの道の番外編。勝手にサブルートを設定した。スタートは田代坂上BS。愛川町の半原の田代地区。中津川にかかる馬渡橋の手前だ。
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2/16 9:07
今日は、関東ふれあいの道の番外編。勝手にサブルートを設定した。スタートは田代坂上BS。愛川町の半原の田代地区。中津川にかかる馬渡橋の手前だ。
早速何やら説明板だ。横須賀の海軍のために、このすぐ近くの水源から引いていたわけだ。
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2/16 9:12
早速何やら説明板だ。横須賀の海軍のために、このすぐ近くの水源から引いていたわけだ。
展示されていた送水管。ここ半原からの導水は2015年に廃止された。(横須賀水道はのちほどまた出てくる)
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2/16 9:12
展示されていた送水管。ここ半原からの導水は2015年に廃止された。(横須賀水道はのちほどまた出てくる)
あの山が、先週登って来た経ヶ岳。ここから見ると独立峰に見える。
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2/16 9:18
あの山が、先週登って来た経ヶ岳。ここから見ると独立峰に見える。
少し先にあった看板。糸の町。
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2/16 10:06
少し先にあった看板。糸の町。
江戸時代から絹の撚糸が盛んだった。小さな繊維工場がたくさんある。
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2/16 9:20
江戸時代から絹の撚糸が盛んだった。小さな繊維工場がたくさんある。
塩川滝の入り口。ここは観光地っぽい。
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2/16 9:26
塩川滝の入り口。ここは観光地っぽい。
よく整備されてはいるが、森の奥に入っていく感じ。なかなか趣がある。
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2/16 9:34
よく整備されてはいるが、森の奥に入っていく感じ。なかなか趣がある。
今日のテーマは八菅修験。この滝が、三〇箇所の行所の第5番目。
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2/16 9:35
今日のテーマは八菅修験。この滝が、三〇箇所の行所の第5番目。
青瀧権現と飛瀧権現の石碑。神亀年間(724〜729年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が、ここに清滝権現を祀ったという伝承があるそうだ。
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2/16 9:38
青瀧権現と飛瀧権現の石碑。神亀年間(724〜729年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が、ここに清滝権現を祀ったという伝承があるそうだ。
ゴツイ赤い階段がない方がいいんだが、、、
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2/16 9:40
ゴツイ赤い階段がない方がいいんだが、、、
鉄橋は滝のすぐそばに続いていて、、、
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2/16 9:39
鉄橋は滝のすぐそばに続いていて、、、
滝の全景が写せないのだった。
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2/16 9:38
滝の全景が写せないのだった。
下に降りても良かったのだが。
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2/16 9:38
下に降りても良かったのだが。
鳥居と祠がある。
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2/16 9:42
鳥居と祠がある。
塩川神社。
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2/16 9:43
塩川神社。
これって堰堤だな。砂防ダムと神社と観光施設をうまく両立させていることに感心した。
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2/16 9:46
これって堰堤だな。砂防ダムと神社と観光施設をうまく両立させていることに感心した。
さて、中津川沿いの釣り施設を見やりながら進むと、、
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2/16 9:56
さて、中津川沿いの釣り施設を見やりながら進むと、、
案内用の石碑。今回、こんな感じの石碑が多かった。数百年は持つだろうから石碑にするのは見識だ。「法華峰を源流とする沢」と書いてあった。法華峰って何だろう。
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2/16 9:57
案内用の石碑。今回、こんな感じの石碑が多かった。数百年は持つだろうから石碑にするのは見識だ。「法華峰を源流とする沢」と書いてあった。法華峰って何だろう。
関東ふれあいの道に合流。ほんの少しだけ、コース番号17「北条武田合戦場のみち」を行く。
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2/16 10:08
関東ふれあいの道に合流。ほんの少しだけ、コース番号17「北条武田合戦場のみち」を行く。
バス停の名前になっている半僧坊。今日のテーマと違うので、すぐ引き返そうと思っていたら、声がかかる。「今日は風が強くで落ち葉が舞ってごめんなさい」、とは掃除していた方。
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2/16 10:09
バス停の名前になっている半僧坊。今日のテーマと違うので、すぐ引き返そうと思っていたら、声がかかる。「今日は風が強くで落ち葉が舞ってごめんなさい」、とは掃除していた方。
引き返すわけにいかなくなって、参拝する。立派な山門だ。
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2/16 10:10
引き返すわけにいかなくなって、参拝する。立派な山門だ。
正式には勝楽寺。半僧坊って聞いたことあると思ったが、思い出した。遠州奥山って、母親の実家の近く。子どもの頃よく行ったのだ。ここにも「法華峰」の名だ。なんの山だろう。(解答は感想欄へ)
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2/16 10:09
正式には勝楽寺。半僧坊って聞いたことあると思ったが、思い出した。遠州奥山って、母親の実家の近く。子どもの頃よく行ったのだ。ここにも「法華峰」の名だ。なんの山だろう。(解答は感想欄へ)
勝楽寺の本堂。
2
2/16 10:11
勝楽寺の本堂。
隣に、半僧坊。調べてみたら、勧請されたのは1890年(明治23年)。えっ? 鎌倉の建長寺にも半僧坊があるが、これも1890年。
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2/16 10:12
隣に、半僧坊。調べてみたら、勧請されたのは1890年(明治23年)。えっ? 鎌倉の建長寺にも半僧坊があるが、これも1890年。
こちらのは田代半僧坊という。半僧坊信仰が全国に広まったのは明治時代なんだとか。へえ。遠州奥山の方広寺の山火事の際、鎮守「半僧坊」が類焼を免れて評判になったんだとか。
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2/16 10:13
こちらのは田代半僧坊という。半僧坊信仰が全国に広まったのは明治時代なんだとか。へえ。遠州奥山の方広寺の山火事の際、鎮守「半僧坊」が類焼を免れて評判になったんだとか。
門には二つの名前が並んでいた。
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2/16 10:17
門には二つの名前が並んでいた。
さて、八菅修験の第4の行所はすぐ近くだ。地名を知るには公民館が便利。平山公民館とある。第4の行所は「平山多和宿」とだけわかっている。多和宿とは不明。
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2/16 10:20
さて、八菅修験の第4の行所はすぐ近くだ。地名を知るには公民館が便利。平山公民館とある。第4の行所は「平山多和宿」とだけわかっている。多和宿とは不明。
公民館の向いには、石仏があった。
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2/16 10:20
公民館の向いには、石仏があった。
刻字が読み取れない。炎が光背みたいなので不動明王かな。
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2/16 10:21
刻字が読み取れない。炎が光背みたいなので不動明王かな。
公民館の隣には、琴平神社。このあたりが、第4の行所にふさわしい感じだ。
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2/16 10:21
公民館の隣には、琴平神社。このあたりが、第4の行所にふさわしい感じだ。
しばらく行くと採石場だ。フェンスから覗いたもの。ここに尾形山があったという。第3の行所。
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2/16 10:26
しばらく行くと採石場だ。フェンスから覗いたもの。ここに尾形山があったという。第3の行所。
しばらく行くと、日月神社。あまり聞かない名前だ。全国にもあまりないようだ。
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2/16 10:33
しばらく行くと、日月神社。あまり聞かない名前だ。全国にもあまりないようだ。
関東ふれあいの道は、この角田橋を渡っていくが、ここでお別れで、中津川の右岸を下流に進む。
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2/16 10:40
関東ふれあいの道は、この角田橋を渡っていくが、ここでお別れで、中津川の右岸を下流に進む。
しばらく歩くと、右側に八菅山が見えてくる。
1
2/16 10:47
しばらく歩くと、右側に八菅山が見えてくる。
また、公民館。
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2/16 10:51
また、公民館。
幣山公民館とある。幣山とは地名なのだ。
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2/16 10:51
幣山公民館とある。幣山とは地名なのだ。
左側(八菅山と逆側)に石神社がある。
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2/16 10:54
左側(八菅山と逆側)に石神社がある。
ここが、八菅修験第2の行所。
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2/16 10:54
ここが、八菅修験第2の行所。
石神社。
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2/16 10:55
石神社。
これが断崖絶壁ぎりぎりに建っている。
1
2/16 10:56
これが断崖絶壁ぎりぎりに建っている。
「是より登山制禁 文久二年(1862) 幣山」とある石碑。
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2/16 10:57
「是より登山制禁 文久二年(1862) 幣山」とある石碑。
登山? そうなんです。こんなところで登山なのです。
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2/16 10:57
登山? そうなんです。こんなところで登山なのです。
痩せ尾根みたいでしょう。
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2/16 10:57
痩せ尾根みたいでしょう。
足を滑らすと、川に真っ逆さまなのです。ここまでとした。
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2/16 10:58
足を滑らすと、川に真っ逆さまなのです。ここまでとした。
この岩場に巨木の組合せ。
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2/16 11:01
この岩場に巨木の組合せ。
タブノキですね。
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2/16 11:01
タブノキですね。
石神社の遠景。向こう側はすぐ中津川。川岸にあり、森となっている。
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2/16 11:05
石神社の遠景。向こう側はすぐ中津川。川岸にあり、森となっている。
少し戻って八菅山の登山口に向かうと、石仏が並んでいた。「〇〇方室禅定尼」とある。戒名みたいだ。
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2/16 11:10
少し戻って八菅山の登山口に向かうと、石仏が並んでいた。「〇〇方室禅定尼」とある。戒名みたいだ。
こちらは庚申塔。
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2/16 11:08
こちらは庚申塔。
登山口への道標があり、路地に入る。
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2/16 11:11
登山口への道標があり、路地に入る。
幣山の集落を行くと、、、
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2/16 11:11
幣山の集落を行くと、、、
鹿フェンス。これは開けられる。
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2/16 11:12
鹿フェンス。これは開けられる。
鹿フェンスの中にあった案内板。この地図が違うようだ。石神社の前の車道を左折してからはずっと真っすぐだった。
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2/16 11:13
鹿フェンスの中にあった案内板。この地図が違うようだ。石神社の前の車道を左折してからはずっと真っすぐだった。
登山道は倒木だらけ。
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2/16 11:14
登山道は倒木だらけ。
今日唯一の登山道。
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2/16 11:15
今日唯一の登山道。
かなりの急登だ。
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2/16 11:15
かなりの急登だ。
道標や、、、
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2/16 11:20
道標や、、、
柵が整備されている。
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2/16 11:21
柵が整備されている。
ウラジロガシ。
1
2/16 11:24
ウラジロガシ。
尾根に出て来たな。いい感じの森。
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2/16 11:29
尾根に出て来たな。いい感じの森。
中津川の対岸が見える。あちら側にも森の丘だ。
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2/16 11:29
中津川の対岸が見える。あちら側にも森の丘だ。
中央やや下が石神社だろう。ここからは見えないが、石神社の直下に中津川が流れている。
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2/16 11:29
中央やや下が石神社だろう。ここからは見えないが、石神社の直下に中津川が流れている。
尾根の車道に出てきた。右側がゴルフ場になっている。ずっと森と登山道が続けばよかったのに。
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2/16 11:34
尾根の車道に出てきた。右側がゴルフ場になっている。ずっと森と登山道が続けばよかったのに。
ここにも説明版。「修験道の一端を体験してみてください」とある。
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2/16 11:34
ここにも説明版。「修験道の一端を体験してみてください」とある。
うーん、ゴルフ場。
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2/16 11:38
うーん、ゴルフ場。
ゴルフ場のお陰で展望はいいけど。奥が大山、手前が荻野高取山だろう。手前の尾根を左に辿ると飯山白山。そして、、、
2
2/16 11:39
ゴルフ場のお陰で展望はいいけど。奥が大山、手前が荻野高取山だろう。手前の尾根を左に辿ると飯山白山。そして、、、
ずっと右に、これが経ヶ岳だろう。
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2/16 11:41
ずっと右に、これが経ヶ岳だろう。
歩いていた道路にこんな立札があった。道路も含めてゴルフ場という訳か。
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2/16 11:46
歩いていた道路にこんな立札があった。道路も含めてゴルフ場という訳か。
その向かいに対抗するようにこの立札。ハイキングのためだから通ってもいいよ、ということか。
1
2/16 11:47
その向かいに対抗するようにこの立札。ハイキングのためだから通ってもいいよ、ということか。
ゴルフ場に隣接して、愛川町の「八菅山いこいの森」という公園みたいになっている。あの展望台に登ってみよう。
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2/16 11:52
ゴルフ場に隣接して、愛川町の「八菅山いこいの森」という公園みたいになっている。あの展望台に登ってみよう。
町田方面。飯山白山でも思ったのだが、3本のグリーンベルトが気になる。(一番手前は相模川の河岸段丘だと、この後歩いていってわかった)
2
2/16 12:18
町田方面。飯山白山でも思ったのだが、3本のグリーンベルトが気になる。(一番手前は相模川の河岸段丘だと、この後歩いていってわかった)
ビル群は、神奈川県内陸工業団地。相模陸軍飛行場跡地にできた県内有数の工業団地だ。愛川町になる。
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2/16 12:19
ビル群は、神奈川県内陸工業団地。相模陸軍飛行場跡地にできた県内有数の工業団地だ。愛川町になる。
ここには、今は無き八菅修験の史跡が残っている。
2
2/16 12:17
ここには、今は無き八菅修験の史跡が残っている。
教城坊とは、本坊52院の一つなのだろうか。
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2/16 12:17
教城坊とは、本坊52院の一つなのだろうか。
宝篋印塔だな。
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2/16 12:23
宝篋印塔だな。
こちらは、覚養院という坊だという。
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2/16 12:22
こちらは、覚養院という坊だという。
こんなのもあったが、遺構はないようだった。
2
2/16 12:26
こんなのもあったが、遺構はないようだった。
こんなのも。
2
2/16 12:35
こんなのも。
平安末期とは、意外に古いな。
2
2/16 12:35
平安末期とは、意外に古いな。
公園みたいになってしまい、森とは言えないが、立派な照葉樹林だったようだ。何本かは残されている。スダジイ。
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2/16 12:22
公園みたいになってしまい、森とは言えないが、立派な照葉樹林だったようだ。何本かは残されている。スダジイ。
そして、これが、、、
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2/16 12:32
そして、これが、、、
コバンモチだ。枝が紫。四国で見たことあるが、関東では初めて見た。説明によると、このあたりに多く自生しているとのこと。
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2/16 12:31
コバンモチだ。枝が紫。四国で見たことあるが、関東では初めて見た。説明によると、このあたりに多く自生しているとのこと。
今は、八菅神社となっている七社権現の長方形の本堂。
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2/16 12:33
今は、八菅神社となっている七社権現の長方形の本堂。
参道。ここが奥の院になるようだ。(まだ山の上)
1
2/16 12:39
参道。ここが奥の院になるようだ。(まだ山の上)
八菅修験ハイキングコースの説明板。
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2/16 12:38
八菅修験ハイキングコースの説明板。
三〇箇所の行所の位置図を拡大。今日は1から5までを回った。先週は8。
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2/16 12:38
三〇箇所の行所の位置図を拡大。今日は1から5までを回った。先週は8。
由緒。修験は神仏分離令で帰農とある。
2
2/16 12:40
由緒。修験は神仏分離令で帰農とある。
またクロガネモチだ。
1
2/16 12:41
またクロガネモチだ。
クロガネモチって、こんな巨木になるんだ。
2
2/16 12:41
クロガネモチって、こんな巨木になるんだ。
えらく長く続く参道の階段を降りてきた。
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2/16 12:46
えらく長く続く参道の階段を降りてきた。
八菅山の説明。
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2/16 12:48
八菅山の説明。
正面の鳥居。逆コースの方がよかったな。
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2/16 12:48
正面の鳥居。逆コースの方がよかったな。
神社の周りは、かなり広く森で覆われていた。
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2/16 12:51
神社の周りは、かなり広く森で覆われていた。
中津川の対岸に渡る。
1
2/16 12:53
中津川の対岸に渡る。
左が八菅山、右側も山となっている。中津川の流れが抉ってきたのだろう。
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2/16 12:54
左が八菅山、右側も山となっている。中津川の流れが抉ってきたのだろう。
対岸の山を登ると広い平地となっていて、住宅街が続いている。愛川町立中津小学校に旧中津村役場跡石碑があった。中津村は愛川町に吸収合併された。
1
2/16 13:00
対岸の山を登ると広い平地となっていて、住宅街が続いている。愛川町立中津小学校に旧中津村役場跡石碑があった。中津村は愛川町に吸収合併された。
こちらは一見、山とは思えないが、中津川側は断崖絶壁になっている。
1
2/16 13:04
こちらは一見、山とは思えないが、中津川側は断崖絶壁になっている。
この断崖絶壁に沿って中津往還が通っている。目的地に着いた。
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2/16 13:06
この断崖絶壁に沿って中津往還が通っている。目的地に着いた。
古民家山十邸。明治16年(1883年)に建築された中津地区の豪農熊坂半兵衛の居宅。寺みたいな門構えだ。
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2/16 13:07
古民家山十邸。明治16年(1883年)に建築された中津地区の豪農熊坂半兵衛の居宅。寺みたいな門構えだ。
「ひな人形とつるし雛」展をやっていた。地元の手芸サークルによるものらしい。
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2/16 13:07
「ひな人形とつるし雛」展をやっていた。地元の手芸サークルによるものらしい。
入母屋破風の玄関。
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2/16 13:07
入母屋破風の玄関。
六室ある。
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2/16 13:10
六室ある。
広いね。
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2/16 13:12
広いね。
囲炉裏。
2
2/16 13:18
囲炉裏。
庭園。
2
2/16 13:12
庭園。
いろいろな展示もあった。ここら一帯が産地だった蚕。
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2/16 13:16
いろいろな展示もあった。ここら一帯が産地だった蚕。
これは何だろう。
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2/16 13:09
これは何だろう。
修験の遺物だ。八菅修験が栄えていたことを偲ばせる。
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2/16 13:09
修験の遺物だ。八菅修験が栄えていたことを偲ばせる。
そして大川周明。この豪華な家は、昭和19年、大川周明の所有となったという。亡くなる昭和32年までここに住んでいたようだ。これまたすごい人物が登場したものだ。満州事変を始め時代を動かした彼は、戦後の晩年をここでどう過ごしたのだろう。
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2/16 13:11
そして大川周明。この豪華な家は、昭和19年、大川周明の所有となったという。亡くなる昭和32年までここに住んでいたようだ。これまたすごい人物が登場したものだ。満州事変を始め時代を動かした彼は、戦後の晩年をここでどう過ごしたのだろう。
中津川左岸の断崖絶壁の上をさらに進む。
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2/16 13:21
中津川左岸の断崖絶壁の上をさらに進む。
いくつか、降りる坂があった。
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2/16 13:22
いくつか、降りる坂があった。
そして露頭がある。これは砂岩でさわると崩れる。
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2/16 13:26
そして露頭がある。これは砂岩でさわると崩れる。
中津川が削る前は、海底だったわけだ。
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2/16 13:26
中津川が削る前は、海底だったわけだ。
近藤坂を下りていく。
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2/16 13:27
近藤坂を下りていく。
この坂は、車でも行けそうだ。登山道みたいな坂もあるらしい。
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2/16 13:30
この坂は、車でも行けそうだ。登山道みたいな坂もあるらしい。
中津川に出てきた。川向こうは尾山耕地といって、休耕田だが、トンボなど昆虫類の貴重種がみられ有名らしい。
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2/16 13:31
中津川に出てきた。川向こうは尾山耕地といって、休耕田だが、トンボなど昆虫類の貴重種がみられ有名らしい。
江ノ島とも関係がある。(この話は、次回を予定)
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2/16 13:36
江ノ島とも関係がある。(この話は、次回を予定)
左が八菅山。右の山の上が、先ほどの古民家山十邸。
2
2/16 13:42
左が八菅山。右の山の上が、先ほどの古民家山十邸。
八菅山の入り口に戻ってきて、次は、、、
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2/16 13:43
八菅山の入り口に戻ってきて、次は、、、
鳶尾山だ。日本で最初の一等三角点の一つ。
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2/16 13:43
鳶尾山だ。日本で最初の一等三角点の一つ。
八菅神社の鳥居の前で、左折。
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2/16 13:52
八菅神社の鳥居の前で、左折。
また、森だとウキウキしていたら、、、
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2/16 13:57
また、森だとウキウキしていたら、、、
橋がない。左に曲がっている道を行きたいのに。
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2/16 13:59
橋がない。左に曲がっている道を行きたいのに。
架け替え工事だと。
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2/16 13:59
架け替え工事だと。
この丸太を渡るのは無理だな。
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2/16 14:02
この丸太を渡るのは無理だな。
梯子があるから登れそうだな。しかし、工事現場だしな。
1
2/16 13:59
梯子があるから登れそうだな。しかし、工事現場だしな。
少し先に行って。水量はないので、渡渉は簡単。ここは降りられるけど、向こう側に道がなさそう。
1
2/16 14:03
少し先に行って。水量はないので、渡渉は簡単。ここは降りられるけど、向こう側に道がなさそう。
さらに進んで。落ち着いて考える。このまま進めば、今日のスタート地点に戻れるが、それも馬鹿らしい。地図を見つめて、鳶尾山の周りを行けばいいや。
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2/16 14:06
さらに進んで。落ち着いて考える。このまま進めば、今日のスタート地点に戻れるが、それも馬鹿らしい。地図を見つめて、鳶尾山の周りを行けばいいや。
八菅神社の鳥居に戻り、鳶尾山の麓を回る(トラバースとでもいうか)。
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2/16 14:18
八菅神社の鳥居に戻り、鳶尾山の麓を回る(トラバースとでもいうか)。
これが、あの橋の工事のことだったか。鳶尾山に行けません、て書いてくれなければ判らない。
1
2/16 14:18
これが、あの橋の工事のことだったか。鳶尾山に行けません、て書いてくれなければ判らない。
右が鳶尾山。麓ぎりぎりの道を選ぶ。
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2/16 14:21
右が鳶尾山。麓ぎりぎりの道を選ぶ。
山王大権現の石碑。宝暦12年とあった。1762年。
3
2/16 14:23
山王大権現の石碑。宝暦12年とあった。1762年。
馬頭観音も並んでいた。右端には「秋葉山大権現」とあった。秋葉山ってなんだっけ。(この後、判明する)
1
2/16 14:23
馬頭観音も並んでいた。右端には「秋葉山大権現」とあった。秋葉山ってなんだっけ。(この後、判明する)
農地が広がっている。
2
2/16 14:24
農地が広がっている。
みんなの足跡によると、このあたりで、鳶尾山に登っている人がいる。シカ柵があるんだけど。
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2/16 14:32
みんなの足跡によると、このあたりで、鳶尾山に登っている人がいる。シカ柵があるんだけど。
シカ柵の扉があったが、数か所を針金で固定してあった。これでは無理だな。
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2/16 14:32
シカ柵の扉があったが、数か所を針金で固定してあった。これでは無理だな。
棚沢の集落。厚木市に入ったようだ。
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2/16 14:44
棚沢の集落。厚木市に入ったようだ。
武田氏道の道標。何か書いてあったが、摩耗して読めなかった。どうやら、北条・武田氏による「三増合戦」の際、逃げのびた武田勢が中津川の川音を海鳴りに、眼下のそば畑の花を白浪と見間違え、自害したとされる地に通ずる道らしい。
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2/16 14:47
武田氏道の道標。何か書いてあったが、摩耗して読めなかった。どうやら、北条・武田氏による「三増合戦」の際、逃げのびた武田勢が中津川の川音を海鳴りに、眼下のそば畑の花を白浪と見間違え、自害したとされる地に通ずる道らしい。
今度は、貝殻坂の道標。これも読みにくかったが、意訳すると、「新編相模国風土記稿には「登三十間。幅八尺」とあり、江戸時代にはすでにその名称から、付近から貝の化石が出土するところ云々」。(この意味も後で判明する)
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2/16 14:51
今度は、貝殻坂の道標。これも読みにくかったが、意訳すると、「新編相模国風土記稿には「登三十間。幅八尺」とあり、江戸時代にはすでにその名称から、付近から貝の化石が出土するところ云々」。(この意味も後で判明する)
ここから、もともと計画していた鳶尾山からの道。坂を下る。
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2/16 14:58
ここから、もともと計画していた鳶尾山からの道。坂を下る。
才戸。
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2/16 15:00
才戸。
また道標。石碑の道標をたくさん作ったようだ。「北は武蔵国八王子から南は大住郡矢名村(現秦野市)を つなぐ矢名街道で, この道には, 上依知とここの二ヶ所に渡しがあり, 江戸時代には, 武蔵国からの相州大山参詣道として大変なにぎわいをみせた」
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2/16 15:03
また道標。石碑の道標をたくさん作ったようだ。「北は武蔵国八王子から南は大住郡矢名村(現秦野市)を つなぐ矢名街道で, この道には, 上依知とここの二ヶ所に渡しがあり, 江戸時代には, 武蔵国からの相州大山参詣道として大変なにぎわいをみせた」
中津川を渡った。左が大山。前に横たわるは、鳶尾山。
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2/16 15:06
中津川を渡った。左が大山。前に横たわるは、鳶尾山。
あつぎ郷土博物館。最近、新装オープンされた。そういえば、今日訪ねた施設はすべて無料だった。なかなか充実した博物館だ。お客も多かった。
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2/16 15:18
あつぎ郷土博物館。最近、新装オープンされた。そういえば、今日訪ねた施設はすべて無料だった。なかなか充実した博物館だ。お客も多かった。
興味を惹いたのが、先ほど通ってきた「貝殻坂」で発掘された貝。ヒノスガイという海の浅瀬の貝。伊豆半島の衝突で丹沢が隆起し、石が流れて浅瀬になった時のものとの説明があった。300万年前。
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2/16 15:31
興味を惹いたのが、先ほど通ってきた「貝殻坂」で発掘された貝。ヒノスガイという海の浅瀬の貝。伊豆半島の衝突で丹沢が隆起し、石が流れて浅瀬になった時のものとの説明があった。300万年前。
あと、地神信仰に基づく地神が神奈川県と静岡県東部で顕著に見られる、という説明。
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2/16 15:49
あと、地神信仰に基づく地神が神奈川県と静岡県東部で顕著に見られる、という説明。
それから、企画展が秋葉信仰。そうだ、さっき見かけた石碑の秋葉って防火の神だ。東海から関東に多いことを知った。修験とも関係が深いようだ。
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2/16 15:49
それから、企画展が秋葉信仰。そうだ、さっき見かけた石碑の秋葉って防火の神だ。東海から関東に多いことを知った。修験とも関係が深いようだ。
駅に向かおう。また、石碑か。
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2/16 16:09
駅に向かおう。また、石碑か。
うーん。
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2/16 16:10
うーん。
再び、南北に長く伸びた山がある。(相模川の河岸段丘だろう)
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2/16 16:15
再び、南北に長く伸びた山がある。(相模川の河岸段丘だろう)
登ってみよう。
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2/16 16:17
登ってみよう。
日枝神社だった。
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2/16 16:18
日枝神社だった。
回りには長坂緑地とあった。
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2/16 16:19
回りには長坂緑地とあった。
ヤブツバキ。
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2/16 16:20
ヤブツバキ。
山の上は、広々とした平地で住宅街だった。そこに変わった名前の児童公園があった。
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2/16 16:23
山の上は、広々とした平地で住宅街だった。そこに変わった名前の児童公園があった。
第六天神社とある。初めて聞いたが、珍しい神社のようだ。旧武蔵国を中心としてその周辺に存在する神社だという。
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2/16 16:24
第六天神社とある。初めて聞いたが、珍しい神社のようだ。旧武蔵国を中心としてその周辺に存在する神社だという。
第六天神社。
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2/16 16:24
第六天神社。
地形図には、でかく「横須賀水道」と記してある場所。ここを管が走っているわけだな。
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2/16 16:27
地形図には、でかく「横須賀水道」と記してある場所。ここを管が走っているわけだな。
座架依橋で相模川を渡る。左の歩道を行って大丈夫かな。
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2/16 16:33
座架依橋で相模川を渡る。左の歩道を行って大丈夫かな。
長い橋だ。
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2/16 16:35
長い橋だ。
左の河岸段丘はかなり広く住宅が広がっているが、その端は緑だ。
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2/16 16:35
左の河岸段丘はかなり広く住宅が広がっているが、その端は緑だ。
ここから座間市。正面に見えるの緑は座間丘陵だ。相模川の対岸の河岸段丘。中津川に比べると規模がでかい。
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2/16 16:45
ここから座間市。正面に見えるの緑は座間丘陵だ。相模川の対岸の河岸段丘。中津川に比べると規模がでかい。
駅に着いたら、5時を回っていた。
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2/16 17:06
駅に着いたら、5時を回っていた。
JR相模線の相武台下駅。ここに来たのは2回目である。なつかしい。あの時は、座間丘陵歩きをしたのだった。
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2/16 17:06
JR相模線の相武台下駅。ここに来たのは2回目である。なつかしい。あの時は、座間丘陵歩きをしたのだった。
(おまけ)「全ルートで地図をみる」。関ふれシリーズを始めたおかげて、赤線が繋がる快感を知った。まあ、平野部が多いんだけど。全国につなげながら広げるのもいいな。
2024年02月21日 21:20撮影
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2/21 21:20
(おまけ)「全ルートで地図をみる」。関ふれシリーズを始めたおかげて、赤線が繋がる快感を知った。まあ、平野部が多いんだけど。全国につなげながら広げるのもいいな。
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