丹沢表尾根縦走〜仲間と一年を締めくくる塔ノ岳へ〜
- GPS
- --:--
- 距離
- 13.9km
- 登り
- 1,102m
- 下り
- 1,570m
コースタイム
天候 | ☀~ガス~☀ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
[復路]大倉BS16:10=16:23渋沢駅16:29+++16:38東海大学前駅ー16:50さざんかの湯17:30ー17:40居酒屋ー東海大学前駅+++小田原駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
■コース状況 ・行者ヶ岳の鎖場はクサリも足場もしっかりしていますが、ストックはきちんとしまい両手をフリーにして安全を確保するべきと思います。 ・また、交互通行で渋滞がしばしば発生すると聞くので早立ちがよいかも知れません。特に塔ノ岳を目指していく場合には行者の鎖場は下りとなり、逆コースの登山者が登り優先となるため、より時間がかさむことになります。 ・全般にどろんこになるのでできればスパッツがあるとズボンの裾が汚れない。 ・全コース、オーバーユースのため、階段が設えてあり歩行のリズムが取りにくい。膝に自信のない人は下りにストックを使うことが有効と思います。 |
その他周辺情報 | ■ヤビツ峠行きバス ・当日は登山者が多く、8:18発のバスは増発されて2台出ましたが、それでも数人は積み残しがでました。両方とも満員でヤビツ峠まで立ちっぱなしでした。早めに秦野駅についてバス停に並ぶのが賢明です。 ・秦野駅ーヤビツ峠:460円。交通系カードに残金があるかの要事前確認。 ■大倉バス停 ・大倉バス停には洗い場があり、靴を洗えます。 ■日帰り湯 ・渋沢駅→東海大学前駅に移動し日帰り湯「さざんか」に行きました。駅から5分ですが最後に急登があります(笑)。体力を残しておいてください(笑)。いいお湯ですが、夕方は結構混んでいました。 「秦野天然温泉さざんか」平日650円・休日750円 http://www.onsen-sazanka.com/access.html ■「お塔」のこと ・かつて塔ノ岳の頂上直下の北西斜面に高さが18mにも及ぶ巨大な岩塔(※1)があった。昔の地形図にもちゃんとその記載がある。岩には「拘留孫仏」(くるそんぶつ)転じて「黒尊仏」(くろそんぶつ)という仏さまが祀られ、それがそのまま岩塔の名前となって「孫仏岩」「尊仏岩」と呼ばれた。地元の農民はその仏像にも似た岩を尊敬の念を込めて「お塔」と呼んだ。現在の「塔ノ岳」はここから来ている。(二ノ塔・三ノ塔は、二ノ燈、三ノ燈から来ていて塔ノ岳とは関係がない)また尊仏岩の山なので「尊仏山」という別名もあり、頂上の山小屋はそれで「尊仏山荘」(※2)となった。「尊仏岩」は1923年(大正12)の関東大震災の翌年1月15日に起きた丹沢地震により崩壊し大金谷へと消えてしまった。今でもその尊仏岩の跡は存在し、わずかな岩の高まりに数体の石仏が静かに佇んでいる。 (※1)風土記稿によれば高さ五丈八尺ばかりとあるが、武田久吉によれば「三丈もあろうかと思われる」とのことで約半分程度だったという話もある(「丹沢記」吉田喜久治) (※2)昭和14年に横浜山岳会の寄付で建てられた。そのあと小田急に譲り渡された。歴史のある山小屋である。 ・「お塔」に祀られた拘留孫仏という耳慣れない仏さまは、シャカが如来になるまでに経た「過去七仏」と呼ばれる仏さんのうち順番からいうと4番目の仏さんである。関西にはその名ズバリの名である「倶留尊山」(字は違っているが)というのもある。始祖シャカはあまりにも偉すぎたので如来に突然なったわけではなく、時間の経過と功徳の積み重なりがあって初めて如来になったんだ、過去にも仏がいたに違いないと当時の弟子たちは考えて七仏(釈迦如来は七つ目なので実際には六つ)を作った。その変遷の途中にあるのが「拘留孫仏」ということになる。ブッダ梵語の発音をそのまま音訳しため、日本では倶留尊、拘留孫、狗留孫、黒尊などいくつかの漢字が当てられている。 ・「お塔」になぜ拘留孫仏を祀ったかということについては、いくつかの伝承があって定かではない。その昔、修験道の始祖とされている役小角(えんのおずぬ)がこの山にきて大岩を発見し狗留尊仏を祀ったという説があり、そのため尊仏岩を「役行者の座禅石」とも呼んだりしたと言われているが、役小角が修験道開祖として後世祀りあげられたことを思うとそれも修験者たちの威厳づくりという気もする。 ・時代が下り弘法大師空海がここに来て大日如来を祀ったとも言われている。弘法大師が「お塔」に登ったというのもまた後世の作り話であろうが、いまでも真言系山伏が配った胎蔵界大日如来を象徴した梵字や、大日如来の姿が刷られた孫仏山の御札が残されている事を考えると、「お塔」は真言宗系丹沢修験道にからみ取られていった(修験道には神道系と真言宗系がある)といっていい。大日如来は真言宗の一番の仏さまであるし、その証拠に表尾根には「木の叉大日」「新大日」なんて山の名も残されている。「丹沢」という山々が麓の集落からすぐに仰望できる場所にあり急でガレた厳しい山登りの修行が強いられることから塔ノ岳や表尾根周辺は世の修験道の広がりとともにすぐに注目をされていったのであろう。ここで修行をして特別な験力(げんりき)をもった山伏が里に下りて人々の精神的な救済にあたった。人々は朝な夕なに塔ノ岳を仰ぎ見て病気の平癒、豊作、雨乞いなど生活と結びついた「病」「貧」「苦」に対する光明を求めていたのであろう。 ・『新編相模風土記稿』玄倉村の項には、尊仏岩は山伏たちのほかに、近郊の農民からも作物の神や雨乞いの神としても信仰されたいたとの記述がある。年一回、5月15日のお祭りには、村人たちは稲・麦・粟・陸稲などの穂を持って「お塔」に登り自分が欲しい良い種を交換しあった。また日照りの際、「お塔」に登り岩にあいている大きな穴に棒を突きさして中に棲む雷神を怒らせると雨が降ったという(大倉集落のすぐ北西に・596mの雨乞山があることや、大山が別名「雨降山」ということにも強く結びついているのであろう)。岩は仏でも、岩の穴の中は「雷神」という神がいるというのもまた神仏習合だ。「お塔」の下の土を持ち帰り田畑にまいて豊作を祈ったり岩に生えた苔は、病気を治す薬になるとありがたがったりした。後世、お祭りは、天下ご免の野天賭博の開帳の場にもなって麓の人は「「お塔」にお参りに行く」と言っては賭博に打ち興じた。一時は関八州の親分衆が集まったといわれるほどで大倉尾根はそれらの人々を相手にした物売りまでが出るほどだったという。「病」「苦」「貧」を救う存在が、時代が下るにつれて祭を通して「楽」や「共」ももたらす存在にまでなっていったのは注目に値する。「ハレ」と「ケ」のすべてに庶民の生活のあらゆるシーンに「お塔」が関係していたと見てもよい。賭博の方は、時代とともに衰退し1950年(昭和25)を最後に途絶えた ・現在でも山頂には真新しい「狗留孫仏」が祀られている。これは21世紀に入った年に新たに秦野山岳協会と山北の丹沢山東光院がもち上げたものである。年一回、5月の「尊仏祭」には、修験者のいでたちの住職が山頂に来て護摩を焚き般若心経を唱える。僧侶はほら貝を吹き、「 二拝二拍手一拝」という神道式の礼拝をする。祭が終わると参会者は狗留孫仏の周囲の石に差し込まれた御札や銘酒「丹沢山」の御神酒をもらう。修験道の神仏習合の色濃い祭は現代に続く今もしっかり伝えられている。 ■歩数 36005歩 |
写真
感想
■行動記録
朝、秦野駅8:05の集合。全員が問題なく集まったけれど、ヤビツ峠へのバスは長蛇の列。結局8人が二手に分かれ、50分近く立ちっぱなしでヤビツ峠へ着いた。
ヤビツ峠は面白い名前だが、漢字では「矢櫃峠」と書くようで、鎌倉時代に「矢を入れる櫃(ひつ。箱のこと。お米を入れる容器を「お櫃」と呼んだりする)が峠付近から発見されてこのように呼ばれるらしい。
この今のヤビツ峠は、林道が開通してからのもので、昔ながらの本当のヤビツ峠は、岳ノ台側に840mのコブを越えた岳ノ台との鞍部である。昔はモロトの切通しと呼ばれて人馬の通行が盛んであったという(武田久吉;「丹沢記」吉田喜久治)
しばらく林道を行きむかし富士見小屋があったところで菩提峠への林道に入る。いまは分岐にはもなく小屋跡が広場となっているばかりだが、むかしは小屋の脇に水が滔々と湧いていた。聞くと、小屋は火災で消失したということだ。
二ノ塔へは急な登り。誰かが「二ノ塔」「三ノ塔」はあるが、「一ノ塔」はないのかとつぶやく。調べてみると、「塔」は当て字で、元は「燈(灯)」と書いたという。すなわち「一ノ燈」「二ノ燈」「三ノ燈」であり、「一ノ燈」という灯(ともしび)があったのが、山麓の加羅子神社。加羅子とは、唐子であり、渡来人のことである。
秦野は、漢民族に由来する韓国からの渡来人、秦氏が定着したところであり、そのことと加羅子神社とは強い関係がありそうだ。
二ノ塔までは一投足。富士山が見えた。奥秩父の山並みも見えるが、新宿副都心は☁に隠れている。今日は天気が悪くなるとMZKさんが言っている。三ノ塔までは15分ほどで通過するが、登山道は田んぼのようになっていてひどい泥濘だ。
いったん急降下するが、どのピークの鞍部も侵食が進み、板や丸太棒などで土留めをしている。縦走ができなくなるのも時間の問題なのかもしれない。
烏尾山は少し登り返す。烏尾山はむかしは、烏ヶ尾と呼ばれていた。伝承によれば、烏が飛びながら修験者をこの山に案内してくれたということだ。
烏は、御先神(みさきがみ)としてよく登場する動物で御先烏(みさきがらす)などとも呼ばれたりする。神様の手下になっていろいろと信者の手助けをする存在でキツネなどとも仲間である。
だんだんと尾根は細くなり、急登をしのぐと狭い行者ヶ岳。その先に名物の岩場がある。今日はそれほど混んでおらず、比較的スムーズに通過できた。
新大日の頂上も相変わらず狭いピークだが、ひどい泥濘。
その中で何グループかが休んでいる。
木の叉大日の小屋をすぎ、急登を凌ぐと塔ノ岳のピークだがガスガスで何も見えない。おまけにかなり風が強くて寒い。
慌てて尊仏山荘の中で昼食とした。なかで400円のコーヒーを頼みみんなでゆっくりした。
大倉尾根は階段の連続だが下部になると陽だまりのよい道となる。
大倉集落には4時前に着いた。
■感想
学生時代の山仲間との年末「歩こう会」山行。今年でなんと8年目となりました(※)。ここのところ、富士山+温泉+忘年会(略してFOB!)という3拍子そろった計画を組んできていますが、今年はメンバーのISK先輩の強い要望により丹沢となりました。実は昨年、この要望があったのですが、箱根派が多かったために今年に回していたものです。
当初、大倉尾根登下降での丹沢山というハードプランや、鍋割山での鍋焼きうどんグルメプランもありましたが、「塔ノ岳と言ったら表尾根」でしょ!ということでこのコースが最終プランとなりました。
テーマは「キミは山の五郎丸になってゴールを決められるか?」
ま、ちゃんと大倉尾根に下りてゴールしましょうということだけですがw。
朝のうちは真っ青な青空でしたが、やがて昼近くになるにつれ天気が悪くなり塔ノ岳頂上ではガスガスの強風! 寒っ!と尊仏山荘の中に入り、天然水で淹れた美味しい珈琲を味わいながら、ぬくぬくの昼飯となりました。大倉尾根を下ると何とも皮肉なことに天気が良くなり、三ノ塔の巨体が望みながら、陽だまりウォークを楽しみました。
山と高原地図のコースタイムからは、この冬至に近い今の時期は明るいうちの下山が難しいかと考えましたが、参加した8人が足並みがそろっていて4時前までに大倉BSに舞い戻ってくることができました。
下山後はいつものとおり、東海大学前(旧駅名は大根(おおね)駅。大山の麓(根っこ)にあるので大根村でしたが東海大学が費用を出して駅名が改称となりました。「大根(だいこん)」などと揶揄する向きもいましたが、意外に地元からは名称変更は反対が多かったそうです)でご機嫌の温泉に浸かって一年のアカを落とし、そのあとは、問答無用のビールと鍋で大忘年会!
来年は愛鷹山にしようとか、来年は雪山に行くぞとか、めいめいが勝手に妄想を拡げながら、夜は更けていきました。
(※)過去の山
・第1回(2008/12)箱根外輪山縦走(金時山〜明星ヶ岳)3名
・第2回(2009/12)奥多摩縦走(本仁田山〜川乗山)4名
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-107014.html] 第3回(2010/12/30)奥多摩・笹尾根縦走[/url] (10.4km;5名)
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-159078.html] 第4回(2011/12/30)滝子山[/url] (14.5km;5名)
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-255722.html] 第5回(2012/12/29)奥多摩・戸倉三山縦走[/url] (15.4km;5名)
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-387370.html] 第6回(2013/12/29)伊豆・沼津アルプス縦走[/url] (9.8km;10名)
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-566380.html] 第7回(2014/12/28)箱根・金時山〜明神ヶ岳縦走[/url] (15.2km;10名)
・[url=http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-782083.html] 第8回(2015/12/20)丹沢・表尾根縦走[/url] (13.9km;8名)
■感想-1(HTKさん)
みなさま、昨日は本当にお疲れさまでした。楽しい一日をありがとうございました。大倉尾根の下りでは腰が壊れるのではないかとヒヤヒヤものでしたが、何とか凌げて、ホッとしています。帰りの小田急線で眠りこけることもなく、無事帰りつけました。来年もまた、よろしくお願いします。よいお年をお迎え下さい。
■感想-2(WKMさん)
皆様WKMです。20日はお疲れ様でした。また、楽しい一日をありがとうございました。塔付近の風とガスは別にして、雨にも雪にも降られず、いい山行だったと思います(GTO君の写真を見ると朝は本当にきれいに富士山が見えていたんだと驚き。)来年も、機会があればいつでもお誘いください。JJP君リーダー、ご苦労様でした。GTO君、ISKさん写真ありがとうございました。MTZさんお気使いありがとうございました。(ぜひ来年もご参加ください。)では、皆様、良いお年をお迎えください。
■感想-3(GTOさん)
皆様、昨日は楽しい山登り、ありがとうございました。途中からの天気の崩れは残念でしたが、こういうこともありますね。私は今年降りてから晴れるパターンが多く、もしかしたら疫病神だったかもしれません。せっかくコーヒー8人分を準備していったのに飲んでいただけず残念でした。また次回持っていきます。私が撮影した写真をオンラインアルバムにいたしました。皆さんの歩く速度が速く、じっくり構えて撮影できませんでしたので出来栄えはいまいちですが御笑覧ください。欲しい写真はダウンロードしてください。
■感想−4(ISKさん)
歩こう会お疲れ様でした。ヤビツ峠というちょっと中途半端?なところからの縦走
でしたが、とっても充実感を味わうことができました。大倉尾根を下り、最後近く に、東に見える稜線が本日のルートだった、と振り返ることができましたが感激しました。今回、一番の刺激はMZKさんから頂きました。63歳からトレーニングを開始された こと、70歳を超え今なお隔日10km60分強を目標に走られている事など。健脚の影に は日々の努力があるのですね。あと4ヶ月で60歳になる私にはそんな自分の70歳は全く想像出来ませんが、今後の自分のありたい姿と重なります。まだスタートまで3年もありますね。最後にはご馳走にまでなり有難うございました。また、大倉尾根をパーティとしてゆっくり(普通に)降って改めて、大倉尾根の素晴らしさを実感しました。SKIさん一緒に歩いて楽しかったです。有難うございました。大倉尾根は、素晴らしい尾根道とサド的階段とupdownのない一本気?な上り下りが、現在の私のマゾ的感性にあっているのでしょう ね。新鮮な気分で楽しめました。 皆様本年は有難うございました。来年も4月の秩父42kmと毎月の大倉尾根と年末歩こう会を目標に、皆様に遅れをと らぬ様にしたいと思っています。それでは皆様、良いお年を!!
■感想ー5(SKIさん)
先日はとても楽しい一日をありがとうございました。 山も巣晴らしかったですが、飲み会もとても楽しかったです。 現役時代の話など、また次回、もっと聞かせて頂きたいです!それでは皆様、良いお年をお迎えください!
同日に逆方向に進んでいましたので、ふと見ていると写真19にチラッと私が映り込んでいましたのでびっくりしました!
仲間との恒例登山、いいですね!私も職場仲間で毎年登り続けています。お互いこの恒例行事がいつまでも続くといいですね^^
コメント有難うございます。いやはや、19に写ってしまったとは失礼しました。お会いしていたんですね!それにしても 久しぶりに丹沢に行きましたが、人の多さにビックリでした。それだけアクセスも良く、展望も良いということで人気があるんでしょうね。そちらもお仲間と良い山旅をお続け下さい!
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