メインルートで美濃戸・文三郎尾根より赤岳へ


- GPS
- 32:00
- 距離
- 12.0km
- 登り
- 1,220m
- 下り
- 1,223m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪は全く消えていて、危険箇所はないと思われる。階段も昔のハシゴのようなものを想像していたが、仮設資材などを活用して整備が進んでいた。文三郎尾根も地蔵尾根も急登が連続して体力を消耗した |
その他周辺情報 | 赤岳鉱泉には、カレーが8種類有り、どれも800円。ビーフカレーを食べたが、ジャワカレーなど色々なものをもっと試したかった。温泉は、川原湯温泉600円 |
写真
装備
個人装備 |
水
|
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感想
6月10日
朝、一仕事をして松山空港を目指す。
ANA側の立駐は丁度満車になったので、JAL側の自走式立駐へ行くと以外にも2Fに空き有り、ラッキー。しかし、どんどん車が駐車場へ押し寄せてくる。ちょっとANAカウンターまでは遠いが、これくらい便利な方だ。
飛行機は定刻通り9:40am出発で、羽田には11:05am到着、これで13:00新宿発のあずさ17号松本行きに間に合いそうだ。
手荷物受取でリュックサックを受け取って京急で品川駅へ。そこでびゅうプラザであずさの指定券を購入して、山手線で新宿へ向かう。あずさは長野県内倒木事故の影響で折り返しの列車が18分遅れて新宿に到着、のっけから嫌な予感が。。。結局、自分の乗るあずさは13:03に3分遅れで新宿を出発したが、その後はその遅れを取り戻せず茅野にも約10分遅れで到着した。
茅野のトヨタレンタカーは店構えが日産レンタカーと同居している感じでなかなか見つけることができず、結局駅の南口からやや離れたところに発見、車はビッツを用意してもらっていた。荷物を積み込んで、赤岳山荘駐車場を目指す。途中7イレブンで、お茶2本、チョコ2枚、パンと飴などを購入。
茅野駅から美濃戸へ向かう道沿いには八ヶ岳農業実践大学などがあり、昔火山だったという八ヶ岳の広い裾野を雄大に活用した風景の中を赤岳目指して進む。遠くから赤岳だと思って見ていた山は実は阿弥陀岳2805mということにやがて気づいた。赤岳はその奥だったのである。
また、どうもこの通りは御柱街道ということらしく、諏訪大社の御柱を山から切り出すときに通っていたようで、諏訪神社奥社が道を登り詰めたところにあるようだった。
八ヶ岳高原を抜けて美濃戸別荘地にたどり着く。美濃戸というエリアには別荘地が広がり、そこから左へ北進してダートの道を徒歩1時間くらいの距離で美濃戸山荘のゲートへ行けるみたいだ。
そのダートの道は普通車しか通れないが、赤岳山荘までは車が入ると行者小屋のスタッフに聞いていたので、別荘地エリアから細い未舗装の道を奥へと進んでいった。離合もなかなかなのだが、4台くらいと出会いバックをしたりしてやりすごして赤岳山荘を目指した。
車では、やまのこ村・赤岳山荘と駐車場が確保されているようだが、宿泊者などは美濃戸山荘まで入っていたようだった。マムートの横断幕が赤岳山荘の駐車場にかかげられていたが、文三郎尾根の階段を登っていくとその意味がよくわかった。
結局、行者小屋を目指して赤岳山荘の駐車場を出発出来たのは午後4時半を回った頃で、予定よりも約1時間遅れ。あずさが遅れたのと、レンタカーを借りるのにもたもたしたのと、買い物や時間の読み違いなどが原因と思われる。これだったら、コースタイムが2時間40分くらいなので、予定の6時到着よりもかなり遅れることになる。どこかで行者小屋へ連絡を入れよう、と思っていたが、到着時間がはっきりと目処が付いてから、と考えて携帯電話の電源を切った。この時、何故が電源の消耗が激しくて容量が50%を下回ってしまっていたのだ。このままでは行者小屋で充電出来なかったときに備えて、その後の行動のために電源を節約する必要があった。
南沢のルートは、はじめのうち緩やかな沢沿いのルートで、歩いているだけでなんだか気持ちが良い。今年初めての山登りということもあってか、気持ちまで楽しい感じがして全く辛さはなかった。しかし、しばらく行くと九十九折りの登りが何回か出てきたり、斜度もきつくなったりということがあって、休憩をとったりして水分補給。特に問題はなかったのだが、行けども行けども森の中を進むという感じで展望が開けない。そして、地図をよくよく眺めてみると、見た目には真っ直ぐななだらかそうなルートに見えるが、実は高度差700m近くを登っていかなければならないという手強さに気がついた。
さらに、行者小屋への連絡をするのに目印になりそうな所で、と思っていたのに、そのようなところが見つからずに、高度計で2075mくらいのところでスマホの電源を入れて電話をした。その標高を告げると「まだしばらくかかりますねぇ」とスタッフに言われガックリ。もうそろそろ着くのではないかと期待していた頃だったから。
その時、黒い大きな巨体が動くのを発見!
熊か!と一瞬思ったが、よく見るとニホンカモシカ。堂々として草の新芽を食んでおり、こっちを見ている。おそってくるのではないか、と考えもしたが、相手は堂々としていてゆっくりとした動きで沢を下って行った。この辺りが住まいなんだろうなあ、と感じさせられた。
さらに、涸れた沢が長く続き、その中を登っていって樹林に入って、また、沢に出たところをしばらく行くとヘリポートがあった。辺りはかなり薄暗くなっていたが、その山手に明かりを発見、やっと行者小屋へたどり着いた。
小屋では食事を取らせていただき、二階の大広間の一角が寝場所として指定された。ここは、水がたっぷりとあり、宿泊者にはいつでもお茶が飲めるようになっていて、快適に過ごすことが出来た。また、数人の宿泊者しかいなかったため、ゆったりとして疲れがよく取れた。
6月11日
午前6時、朝食も行者小屋で頂き、弁当を作ってもらう。
本来予定では、午前5時から食事でその後阿弥陀岳を目指したかったのだが、食事が6時からだったので、行き先を変更、文三郎尾根を登って阿弥陀岳・中岳を割愛することにした。これで朝5時半に出たのと同じペースになる、と安易に考えていた。
しかし、昨夜寝たときの体の姿勢が悪かったのか、夜調子が悪くて足が痛いような感じがした。初めての山歩きにちょっと体が驚いたようで、自分では無理をしているつもりはないのに、思っている以上に疲れていたのかも知れない。それを考えると結構弱気になって、横岳・硫黄岳は当然行くつもりだったのに、それが朝になると「行けるだろうか?」という不安さえ感じるようになった。
文三郎尾根の階段はきつかったけれども快適に登れ、その後の頂上までの岩登りも展望が良くて気持ちよかった。それなのに、赤岳山頂で横岳を見ていると、今年はじめての登山なので地蔵尾根から下山する、などという発想が生まれたわけだ。ガスが発生し始めて、横岳を越えていって景色を楽しめるのか、という思いもあったのだが、兎に角安心を最優先させて、先に行く大勢と共に地蔵尾根から下る決心を赤岳山頂でしたのだ。
そうするとたっぷりと時間の余裕があるわけで、赤岳鉱泉で宿泊するつもりだったけれども、東京まで帰れそうだ。山頂ではしっかりと時間を取って休憩、赤岳からの風景を満喫した。赤岳山頂小屋まえ辺りも次から次へと登山者がやってくるので、赤岳展望荘を目指して下山することにする。なかなか滑る下り坂なのだが、ここへ冬場でもやってこようかなどと考えていた自分が、身の程知らずに思えてきた。自分が凍結した赤岳山頂などやってきたら、それこそ遭難騒ぎを起こしかねない、そう思えそうな難易度を山頂部分については感じた。
赤岳展望荘でもゆっくりと休憩して地蔵尾根から行者小屋まで降りた。ここからは登りとは違って、赤岳鉱泉を経由して北沢を歩こう、と思って中山乗越を下りアイスモンスターの残骸が残る赤岳小屋へ。その名前とイメージばかりが先行する赤岳鉱泉の食堂へ靴を抜いて入り、ビーフカレーを昼食としていただいた。とてもきれいな雰囲気。もし、元気があって体力があるうちにチャンスがあれば再びここを訪れてみたいと思った。
赤岳鉱泉から下る北沢は沢沿いに歩いていてとても気持ちが良い。登山道も林道も長く感じたが、無事美濃戸山荘へ下山。林道歩きで大勢に追い越されていったが、結構美濃戸口まで1時間歩いて下ってバスを利用する人が多くて、車で帰っているとその人たちを追い越していった。歩くのでは圧倒的なスピードの差で引き離されていったんだけど、車という文明の利器はすごい。乗せてあげても良いんだけど、相手は乗りたくないかも知れないし、第一声を掛けることが他人の世界に踏み込んでしまうような気もして、自分から言い出すことはまずできないと思われた。このような場合は、気を使わないのがお互いのためだろうと考えることにした。
茅野駅まで行く途中、湯川温泉河童の湯で汗と疲れを洗い流して帰った。
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