3年前大腿骨骨折で愛子さんは上京入院し、妹が引き取り介護していた時期がありました。妹は愛子さんが大事に持っていた写真を見つけ事情を聞いて驚き「知ってたぁ?」と送信してきたのが掲載のものです。
私達には知らなかった伯父と叔母がいたのです。
愛子さんが栃木県塩原温泉に疎開した事情は日記にあげた事があります。
「親孝行のきっかけは山レコでした」
https://www.yamareco.com/modules/diary/103185-detail-106690
この疎開には続きがあったのです。
1枚目の写真は愛子さんの長兄(光夫さん)です。
山で食べ物を探し歩いて、食材にあたり亡くなったそうです。故郷(八丈島)の山とは違い植物の知識も無く空腹のあまり毒草を間違えて食べてしまったそうです。愛子さんはハンサムで優しい兄さんが自慢で大好きだったそうです。
2枚目は愛子さんの妹(武子さん)です。
愛子さんの母親(祖母)は病気(白血病?)だったので、実妹である大叔母が共に疎開し面倒を見てくれたそうです。病気の姉の世話、乳飲み子2人(我が子と武子さん)+愛子さん達5人の子どもを食べさせなければならず、その大変さは6歳だった愛子さんの記憶に残る程だった。昭和20年3月24日早朝、武子さんは息絶えていたそうです。一番良い服を着せて橋の欄干にもたれ掛けさせて記念写真を撮りその後みかん箱に納棺し山で荼毘に付したそうです。終戦を迎え、帰島の途中で愛子さんの母親も後を追う様に亡くなった。その一切を大叔母が取り仕切ったそうです。以後、大叔母は愛子さんの母親であり、事情は知らずとも私達には祖母の様な存在でした。
愛子さんは好き嫌いがありません。お魚の食べ方も感心するほど綺麗に食べます。入院中出される食事は黙って全て食べきり看護士さんに褒められたそうです。お見舞いに「何か食べたいものは?」と聞くと「食事が食べられなくなるからいらない」「病院の食事美味い?」の答えは「上手い不味いの舌は有る。だけど、不味いから食べないは理由にならない。皆さん不味いと残し買い食いしてる。病院が治す為に考えて出す食事だから全部食べてリハビリして、早くお父さん(八丈島)のところへ帰る。」でした。
無学で自由奔放。感情の赴くままに行動しトラブルは頻繁。愛子さんの尻拭いに妹も私も振り回されてばかりですが、愛子さんの真っ直ぐな生き方には感動する時がある。
お盆さんがやってきます。嫁ぎ先の盆設えはありますが、終戦記念日には「すいとん」御膳を出会えなかった伯父と叔母にお供えしましょう。長崎の市長のスピーチに頷き、平和の時代に生まれた事に感謝し平和な世のまま、人生を終えたい。恒久平和を願って。
黙祷
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