昔、山岳会の先輩から聞いた話です。
昔読んだ山の怪談本を思い出して・・・
● 冬山で、テントの周りを歩き回る音が聞こえ人の気配を感じたので、ふと気になりテントの外へ出てみると、誰も居ない。雪が降っておりテントの周りには新雪が積もっていたが、辺りには新たなトレースなど足跡すらなかった。
● 雪の積もった登山道を登っていた時、後ろから来た人に追い越された。分岐のようなところで追い越して行った人のトレースを探したが、その辺りには人の歩いたような跡はなかった。その先にもトレースらしき跡はなかった。天気は曇っていたが降雪はなかった。山小屋に辿り着き話を聞いても、自分以外は登って来た人はいないと言う。ほとんど一本道の登山道、引き返していった様子もない。その後、その辺りで遭難があったという話も聞かない。あれはいったい誰だったのだろう。
● 3人並んで記念写真を撮ったが、帰宅した後写真を見てみると、見知らぬ人が一緒に並んで写っていた。
● 4人で撮った記念写真、一人の姿が映っていない(一人の姿が透けている)。べつにピンボケ写真ではないのだが・・・。後年、その一人の人は遭難した。
オバケが怖いビビりな私だが都市伝説や怪談話は好きな方である。
左の写真 : 娘(keiko)がまだ5〜6才だった頃、日原鍾乳洞の前で撮った写真です。なんか変だ???この写真
最近読んだ奥多摩の山岳救助隊だった金邦夫さんの本『すぐそこにある遭難事故』の中に日原の鍾乳洞(観光の日原鍾乳洞とは別の鍾乳洞)で遭難者の遺体搬出の記事があった。そのくだりを読んでゾォ〜としました。写真を撮ったその当時、近くの鍾乳洞の地底湖の中に遭難者は眠っていたのです。(遭難は1981年だったか??)
* 写真を拡大してみるとわかります。今回は写真掲載枚数の関係で割愛します。
真中の写真 : 娘(keiko)に相手にされなくなって、一人で足繁く奥多摩辺りの沢へ行っていたときの写真です。2012年9月22日に竜喰谷を遡行して、入渓点付近で車中泊の翌23日、朝から雨が降っていたので沢遡行は中止して、近くにあった都市伝説で有名な『おいらん淵』へ行った時にパチリ。
帰宅してこの写真を初めて見たときには 驚きゾォ〜としました。まさか、花魁の霊???どう見ても、火の玉(人魂/ひとだま)だよな???
ちなみに、武田の隠し金山の時代には花魁は存在しなかったそうです。正確には金山抗夫を慰める遊女らしいです。
* 心霊写真に見えるでしょう。種明かしはやめときます。
右の写真 : 2006年7月17日に丹沢のキュウハ沢へ娘(keiko)と行った時の写真です。キュウハ沢を登り詰め丹沢山の山頂で、時刻は7時頃だったと思います。別段変なところは無いようですが、なんか写り込んでいるような気がして、ついでに掲載しました。何かいそうですか???
最近、肩から首のあたりに痛みがあります。
日原鍾乳洞の前で撮った写真の祟りか〜
やっぱりあの写真、霊能者に頼んでお焚き上げした方がよかったのでしょうか。
当の娘(keiko)は今日まで問題なくスクスク育ち、今日も勤めへ出ていきました。
父は、今日も仕事が無く休みです。どうやら、首が回らないのは借金のせいのようです
いや、ウゥ〜ン『痛い』この痛み、昨夜の寝違えだな。
暑い寝苦しい夜に、怪談話でも
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