今日で先の震災から11年となりました。
当時私は、青森県八戸市八戸港にいて船の中に機械を設置する仕事をしていました。
機械の搬入が芳しくなく、当初午前中で終わる予定が延びていて、本日作業出来るか分からない状況でした。
仕事が滞り帰れないため、本日の宿を探している時におきました。
船の上では、大きく揺れず小刻みに揺れていて地震?
みたいな感じでした。
震源地何処だろう。。私のガラケーではなかなか調べられません。
他のエンジニアの方が「宮城県栗原市で震度7」と言われて、間髪いれず聞き返しました。
「震源地はどこですか?」
エンジニアさん「三陸沖です。」
私「津波が来る!早くどうにかしないと!」
その室内には他のエンジニアの方が10名ほどいたように記憶しています。
みんな私を見てキョトン顔。。
何を言っているのだろうと。。
皆さん津波に反応が希薄です。
とりあえす家族に無事の連絡を済ませ、この後多分連絡つかなくなる事も話します。
三陸沖、八戸だから30-40分で到達するのではと予想します。
船の管理者は慌ただしくなり、私たちを下ろすか、沖出しするか決めかねています。
地震から20分くらい経過していたと思います。
もし、下船命令が出ても今からでは津波に飲まれてしまいます。拒否のための口実を考えます。
結果的には下船命令は出ませんでした。船長は早く沖出ししたいようです。この船はとても大きな船で水先案内(タグボート)がないと湾から出られません。
さらに10分くらい経過して、、
「津波だー‼️」
外から声が聞こえます。甲板に出ると岸壁に置いてあったコンテナや車が流されていきます。
「ジリリリリリッー‼️」非常ベルがなります‼️
船員、エンジニアが避難場所に集められます。
船の管理者から点呼を受け、方向性が決まり次第連絡をしてもらいます。
更に3~40分経った頃でしょうか。船が凄く傾きました室内の机や、椅子が流れて行きます。
復元と同時に船が岸壁から離れたのが分かります。
太い係留索が切れたのかもしれません。
外を見れなかったので分かりませんが体感的に船がクルクル回っているようです。
後で解ったのは、碇を軸にクルクル回っているようです。
大津波警報が解除しないと救助できないとの事で、最終的に3日間船の中にいました(苦笑)
降りてからも大変だったがそれはまたいつか。。
北海道の地震の時も、帰れなくなったが東日本大震災の経験があったからか手段と方法の選択が出来ました。
震災で亡くなられた方々に黙祷。。
無事にご帰還されたこと僥倖であったと、先ずは本当に良かったですと申し上げます
私の勤務先でも当日接岸船がいたのですが(当時私は陸上側のスタッフでした)
できることもなくITVで押し流される本船をただ眺めるだけで無力感を感じました
弊社の場合は軽微な桟橋側設備の損傷と、本船は接触破損しつつ津波に流されましたが幸いにも
火災・爆発等重大な被害はなく港外に何とか避泊できた感じで、あとから乗船していた桟橋長から
事情を聞いて冷や汗をかいた次第(係留索ブチ切れで押し流されてます)
船の場合、迅速な避難は中々難しいですよね
海保で南海トラフ対応の避難勧告案を検討中らしいですが、従前の津波警報等における非難も含め
時間的な猶予が一番の制約になりそうです
コメント頂き有り難うございます。
nandoさんの職場でも被害に遭われたとのことで、大変でしたね。
あの太い係留索が切れてしまう津波の力はすごいものです。
おっしゃる通り船舶はレスポンスが悪いので、津波が来るまでに沖だしするのが
困難ですね。また、津波警報が出ているのに港湾に向かうのも難しい問題だと思います。
船も大きくなればなるほど、初動機動性が悪い為困難ですね。
南海トラフも発生確率が高い昨今、陸地だけではない津波対策が出来ると
良いのですが、なかなか難しいように思います。
地震や災害、有事の時に最善の選択が出来るようにしないとかもしれませんね。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する