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しかし、安全の為に特別なことはしていないし、出来もしないと思う。ただきちんとやるだけ。そして、こう言ってしまうと元も子もない話になってしまうかもしれないけど、最終的に自然に襲い掛かられたら、もう為す術が無いことも事実だ。その時にはベストを尽くしつつ、祈るしか無い。
しかしせっかくの真面目な質問なので、準備中や登山中に配慮していることについて思い出してみると...
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登山の安全というのは、身の回りに落ちている『安全』をこまめに一つずつ拾い集めている落ち穂拾いのようなものだろうと思う。新聞を読むついでに少し天気図解説を見ておくとか、登山届をもう一枚余分に印刷して留守宅において置くとか。
これをすれば決定的に安全という方法がないので、『安全』の断片が自分の廻りに落ちているのを一つずつ拾い集めて、その落ち穂拾いを下山完了まで続けている感じかなぁ。例えば先頭を歩いていて、後続の人が躓きそうな石をルート外にそっと蹴り出しておくようなことも、そういった落穂拾いだろうと思う。休憩時にちょっと水を飲んでおくとか、仲間の顔色を確認しておくとか、小さな安全対策は限りなくあるものだ。
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それとコインの裏表のようなものだけど、これをやったら必ず遭難するとか、遭難原因はこれだ!というような決定的な原因というのもあまり無いものだ。遭難事故は些細な判断ミスや小さな間違いが積み重なって、それら1つずつの間違いは大したことがないのに、最終的に遭難者を事故まで追い詰めてしまう。解かりやすい決定的な原因があれば対策も簡単なのだろうけど、気づかないような些細なミスを根絶することはほぼ不可能だ。
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山に登る人たちは、そんな風に『安全』の落ち穂拾いをしながら、一方で『些細な間違い』を積み重ねながら、その両方のバランスの上で綱渡りをしているのだろうと思う。しかしその両方共、自覚的に登っている人は残念ながら少ない状況のようだ。
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8,000m峰14座全山登頂を最初に成し遂げたラインホルト・メスナーの自伝のタイトルは、『登った』ではなく、『生きた、還った』だった。途中で下山することを恐れず、少しでも不安があれば無理しない登山を続ければ、そのうち登ることもできる。ダメならさっさと帰る。山頂や計画行動に囚われない考え方も、登山の大事な要素である自由の一部だと思う。
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