【野口健の直球&曲球】世界の登山家たちは、あまりにもシェルパに甘え過ぎていた- MSN産経ニュース http://ow.ly/xaI3H という記事を友人が紹介してくれたので返信した。以下その毒舌長文な返信内容。
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面白い記事をありがとうございます。野口さんの活動には賛否両論ありますが、僕は彼なりに一所懸命良いことをしていると思います。兼好法師の徒然草の85段だったと思いますが、『凡人でも聖人の真似をして落ち度がないならその凡人は聖人だ』という意味のことが書いてあります。
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ただし野口さんが調子に乗って放言していると、彼の登山について興味もなく、評価も反対もしない登山家達も、めんどくさい反論をしなければならなくなってしまいます。
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『シェルパのサポートがなければ登山は続けられない。』はヒマラヤ登山に対する根本的な考え違い。シェルパのサポートは有効手段ではあるけど、それを前提とする登山ばかりではない。
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『かつては各国からよりすぐりの登山家が集まった。彼らもシェルパと一緒になって荷揚げやルート工作を行ったものだ。』とネパール山岳協会会長が言ったという内容もおかしい。ルート工作は登山隊員だけがやっていました。かつての極地法登山でシェルパが安全に荷揚げできるように、彼らの登山技術でもリスクが大きくならないように、登山隊員が固定ロープを張りました。その時シェルパ達も固定ロープの束を担いで一緒にルートの最先端まで登ってくれました。だからシェルパはルート開拓できなくても、一緒になって最前線を切り拓いた大事な仲間という意識がありました。もちろん登山隊員自身も自分達が固定したロープを使って登降を繰り返しますが、ルート開拓の先頭にシェルパを使うことは、少なくとも僕には経験がありません。
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野口さんはそういう本当の登山隊活動を経験したことが無いのだろうか?彼の場合、キャリアの最初のヒマラヤ登山からシェルパに登らせてもらう商業登山でスタートして、それを今まで続けているので、未踏峰や未踏ルートを開拓してゆく高所登山を知らないのだろうか?
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とすれば、そういう商業登山主体の経験を基礎にして、ヒマラヤ登山の過去を批判的に捉えるのは間違いです。批判されるべきなのは、野口さんがどっぷり浸かっている商業ヒマラヤ登山のあり方であって、そんな商業主義に席巻される前に存在していて、今も目立つこと少なく続いている登山隊とシェルパの協力関係ではありません。
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『ではそのような(本来の)登山隊ではシェルパは苦労していないのですか?』と尋ねられるかもしれないが、そのような登山隊でのシェルパの苦労と、商業ヒマラヤ登山でのシェルパの苦労とは、本質的に違うように思います。『しかしどちらにしてもシェルパは危険で不安定な仕事をさせられているでしょう?』と反論されるだろうか?
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危険と不安定なのは山登りの性質というものです。登山家はそれに夢中になる(ニーチェは同じ理由で男は女に夢中になると言ったけど)。そして、大多数の商業登山隊ではない、普通の登山隊では、シェルパだけでなく登山隊員も共に、その山の危険に挑んでいる。
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『登山隊員はルート工作が出来ない。お金は出すからルートを安全に整備して来てくれ。』という態度をとることはない(人格破綻者でない限り)。そんな態度はせっかくの楽しみを捨てることになります。そういう雇用者目線の態度は、(これは僕の偏見もあると思うけど)商業ヒマラヤ登山のシステムにおいてより多く露見する考え方であり、野口さんはそれをこれまで活用して商売してきたのではないか?
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もう一度言いますが、私達の先輩が実践してきたヒマラヤ登山は、登山家、クライマー自身がルートを開拓し、シェルパのために固定ロープを張り、その安全措置の上でシェルパに荷揚げを手伝ってもらいながら、自分達はさらに上部のルート工作をするというのが普通です。確かにちょっと古い方法(極地法)ですが、僕がネパールの未踏峰やパキスタンのガッシャブルムに遠征した時の登り方はこの方法でした。特にエベレストでは、もう実践出来ない状況になってしまいましたが...
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更に先端をゆく登山家やクライマーは、荷揚げが必要な物資も放棄して、高所に固定キャンプを作らずにビバーク数回で8000メートル峰に登っています。これも既に20年前から実行されている方法(アルパインスタイル)ですが、エベレストなど人が混雑しているノーマルルートでは無理は登り方になってしまいました。スピードが無くなることが最も危険なことなので、ノーマルルート上で混雑している箇所(エベレストならヒラリーステップ等)で順番待ちなどしている時間に死んでしまうのですね。もちろん酸素マスクは使いません。
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更にとんがったクライマーは8000m峰でもソロで登っていて、これは日本人のなんとかいう子とは違って、ベースキャンプから上部は一切サポート拒否(他人の付けたトレースもダメ、通信手段もダメ、自分の実力以外は全て拒否)というストイックなルールを自分で自分に強制して実践するもので、シェルパがつけたトレースを独りで登って、上部に張ってもらってあるテントに独りで寝て、ベースキャンプから登攀ルートと天候情報をもらう時も独りで聞いて、大勢登っているルート上で自分独りが離れて登ったから「単独登山」だと言って瞬きする輩とは別物です。
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率直に言うと、『シェルパに甘え過ぎていた』のは、高額の報酬でシェルパに高所ハイキングをさせてもらっている登山家(上級アマチュア)や商業登山隊の登山者が大部分だろうと思います。そして野口さんや三浦さんもその分野の人なのだろうと僕は思います。その分野への参加数が圧倒的に多いので、世間的にはヒマラヤ登山というのは、そのような方法が普通なのだろうと誤解されていますが、このようなヒマラヤ遠征登山の大多数は実は徒花のようなもので、ニュースにもならない小規模で小数の本物の登山隊が静かに登攀活動をしているというのが現状の風景ではないかと思います。
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日本の場合ですと、国内の冬山と冬期登攀で何年もトレーニングして、ヒマラヤのルートにその力試しをしにゆく登山家たちは、岩と氷の壁で幾晩も過ごす辛さやしんどさも骨身に染みて分かっているので、雇用関係にあるシェルパに対しても、そんなに厳しい要望を言う気になりません。自分も似たような辛さ厳しさを体験しているからです。少なくとも僕の経験では、そんな感じです。
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シェルパにも生活があるので、収入としてはヒマラヤ商業登山もありがたいのだろうと思いますが、これからはシェルパも登山家として自分を確立し、本当の意味で対等なパートナーになる時ではないかと思います。しかし、それにはシェルパ側でも相当の意識改革、技術の習得、知識の普及、プロ意識の育成が必要だろうと思います。
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特に商業登山でルート整備をシェルパに任せっきりの、技術も体力もないお客さん登山家さんしか知らない若いシェルパには、そういうお客に対する優越感が自己肥大した妙なプライドが生まれてもいて、ウリ・シュテックとシモーヌ・モロへのシェルパによる暴行事件も、自分達がお客のためにルート工作している数メートル横を、自分達を必要としないクライマーがロープにも頼らずサッサと登って行くことにプライドを傷つけられたシェルパの焦りの気持ちが根底にあるのではないかと想像します。
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シェルパにとっては体力的な心配はほとんど無いと思いますが、山での状況判断や技術や知識には向上の余地があると思います。目標に対する自己犠牲、仲間と助け合う精神も、その点では若いシェルパにも良い人材がいるので、僕も彼らをヒマラヤの壁に誘ってみたいと思っています。あんまり怖い山には行きませんが...
そうですね、シェルパの始まりはポータ−でした。
ネパ−ル人職業からすれば平均年収は少し高いが、その分リスクも高い。
年々、不慣れな登山家たちが増えて、その分シェルパに負担が掛かるので、亡くなられる方も増えています。
登山家だけでは登頂の困難な「エベレスト」、政府も高い入山料を徴収しているのだから、その分、少しでも登山道の整備、労働条件の改善、報酬のアップ等に取り組んで頂きたいですね。
>世界の登山家たちは、あまりにもシェルパに甘え過ぎていた
同感です。楽して登るのではなく、技量を活かして登りたいですね。
bonatteさん、はじまして。
私はヒマラヤの経験はありませんが、かつて「いつの日にか自分も・・・」を、僅かながらにも持っていたので、非常に共感を持ちながら日記を読ませていただきました。
ただ、ヒマラヤ登山もパイオニアワークから登山ビジネスに変わってきており、シェルパに頼りきっているか否かは、その行為の是非の問題というより登山ビジネスをどう見るか、という事のような気がします。
登山がパイオニアワークであると考える人は、主体は隊員でシェルパは補助ないし補佐、だから自力ルート工作が当然。
登山ビジネスを是認しそのユーザーであるなら、対価にみあうサービスとしてのルート工作を期待するのは当然、という事ですね。
私個人としては、パイオニアワークであって欲しいと思っていますが、反面、もし状況が許されるのであれば、ツアーなどでも良いからヒマラヤの頂上に立ってみたい、というような思いもあります。
このあたりは曖昧ですね。歳をとってパイオニアワークに挑戦するパワーが無くなって来たからかもしれません。
野口氏に関しては、同じヘリで下山という行為についても、重鎮の方は登頂成功で、お笑い芸人の方は登頂とは認められない、などと申されるようなスタンスのはっきりしな方なので、何か偉そうな事を言われても聞く耳を持たない、という感じです。
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