NHK朝ドラ「らんまん」。大きく言うと万太郎の個人的内発的な行動原理と、周囲の人の社会的外発的行動原理が植物学と寿恵子という触媒によって交換される話だったと思います。
「縁側から入った」万太郎は純粋に植物が好きなんですが、植物学教室の人たちは外発的な動機、地位のためやデモシカで東大に来ていて、でも万太郎に出会うことで学問の面白さに気づきます。田邊は社会権力として万太郎に立ちはだかりますが、権力を失うことで個人としての研究に対する内発的動機を得ます。大窪や藤丸たちも、万太郎に感化され、徳永も本来の文学への関心を吐露します。研究の楽しさ、植物の面白さに目覚め始めた植物学教室ですが、社会権力そのものであった田邊はその在り方ができませんでした。徳永は田邊の後任になりますが、その立場によって神社合祀問題等で権力の代理人にならざるを得なかったんですね。
寿恵子は八犬伝が好きなオタク気質で内発的な楽しみを知る人間。高藤(明治の主流の思想・権力)を拒絶する主体性もあります(竹雄は忠実な従者で特に前半は寿恵子ほどの主体性は多分ありませんでした)。社会に従わない所は万太郎と共通していて、結婚することで前近代的家制度を抜け出して近代的核家族を作ります。でも社会性も併せ持っていて万太郎を社会から守りつつ乖離させない役割を担います。
波多野と藤丸は植物学教室に万太郎を受け入れます。そして博士号の話の時の「傲慢だよ」で研究は個人だけのものではなく社会や周囲の支えあっての物と万太郎に気づかせます(ムジナモの件ではここに気づかず失敗しました)。
最後の図鑑で万太郎は今まで関わってきた人々に謝辞をささげます。個人的内発的な楽しみに加え、周囲の人々と繋がる社会性を得た万太郎に寿恵子は役割を終えたことを感じたのかもしれません。
牧野富太郎をモデルにすると聞いてあんな内助の功の典型みたいな話をこのジェンダー云々の議論が盛んな今やるのかと思ってびっくりしましたが、寿恵子を主体的能動的に行動する人物とすることで従属的受動的な女性像の再生産ではなく現代的なドラマにしたんですね。
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