今年は阿蘇山、焼岳、箱根と活火山を3つ見てきた。
火山は地震とともに「不動の大地」という日常の前提を揺るがす存在である。時に容易く人命を奪う恐ろしい存在でありながら、人は火山に魅了される。日本で、ハワイで、イタリアで、火山は信仰の対象として、また観光資源として人々に畏怖と驚異と富をもたらす。人間の生活は大地の動かざることに対する信頼の上に成り立つが、この信頼は裏切られるのである。
「地球は生きている」という例えがある。ガスを吐く噴気孔や仄暖かい岩に触れると確かに生命の営みにも似た動的な存在としての地球を感じる。呼吸をし体温を持つ我々恒温動物のごとく。さて地球を生命に例えることはどこまで妥当であろうか。
科学の知見によれば、代謝を行うのが生命である。体の外部からエネルギーを取り込み、老廃物を排出することで恒常性を維持するというのが我々が「命」と呼ぶ現象だ。エントロピーの増大に逆らうがごときその様はネゲントロピーとも呼ばれたという。対して地殻・マントルの運動は外部から何のエネルギーも取り入れずに行われている。はるか46億年前、数多の小惑星が衝突を繰り返しこの星を形作った時の残りと、現在も続く放射性元素のの崩壊による膨大な熱がごく僅かづつ放出されているに過ぎない。エントロピー増大の法則に従い、ただ「冷める」のみというのが地球である。
広大な宇宙にあってはごく小さな塵のような惑星も、人の生きる時間的・空間的尺度ではほとんど無限のように感じられる。人の認知能力では「冷める」地球をそのまま知覚することはできない。「冷める」過程のごく一部である火山を目にした時、生命のメタファーでそれを捉えてしまうのだ。「生きている」は、実は地球のあまりの巨大さの謂いなのである。
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