当たり前と思っていた事や物が殆どダメになってしまいました。
地震が納まって気付いた事は、唯一の情報源が車のラジオでしたが、それも情報が錯綜していて、なかなかポイントが掴めませんでした。
身の安全確認後、移動するも信号機は作動しておらず(普通では考えられないことです)、恐る恐るの前進でした。
電気、ガス、水道、通信手段等のライフラインは、ことごとく使用出来なくなり、これまで何の疑問も持たずに使っていた身の回りのものが瞬時に使えなくなる事がどんなに不自由なものか。救援物資も道路も鉄道も寸断され、なかなか入って来ません、もちろん安否の情報も入らない事が焦りと不安を誘い、助長されました。
情報が入るに従い、日が経つに従い、生活費分のお金を持っていて、行列に並んでも僅かばかりのガソリンしか手に入らず車を動かすのも躊躇、パンやオニギリなど調理せず直ぐ食べられるもの入手困難、調理する食べ物は作れない(電気、ガス、水道なし)、情報(テレビ、電話、パソコン使えず、携帯は充電できず)も得られず、安否の確認さえ出来ませんでした。
ふと思うと普段何気なく使いたい物が使える事、食べたい物が食べられる事が当たり前と思っていた事が全ったく通用しなくなる事。
改めて、いろいろな方々の日々の努力により、世の中が成り立っている事を痛感させられました。
幸い、医療機関のお世話にならずに済んだものの、ケガや病気の方々は、さらに大変な思いをされた事を思うに余りあると察します。
形ある物は、いつもそこにあるのではなく、いつかは崩れ無くなってしまいます。
身の回りの、当たり前と思っている事がけっして当たり前で無いことを痛感すべきと思います。
それらが日々関係方々、皆様のたゆまぬ努力により成り立ち維持されている事を決して忘れてはいけないと3月11日に改めて感じさせられました。
それを感じれば1人1人の行動も違ってくるのではないでしょうか。
震災の時は、寒く小雪が舞い、食べ物が手に入らず、人間の知恵である『支え、譲り合い、協力』で急場を凌げたと思います。
普段何不自由なく(?)生活出来ているのも、人それぞれのいろんな形の努力や協力、知恵等があって成り立っていると言う事を改めて感じぜざるを得ませんし、忘れてはいけない事だと思いました。
また、非常時には山行きのアイテムが役立ちます。
ガスと簡易鍋、ヘッドランプ、寝袋、防寒着、汗をかいても吸湿性の良い衣類等々。
話は飛躍しますが健康面に於いても、健康である事をとかく忘れがちですが健康も当たり前ではありません、生身の体ですからいつ病気やケガに見舞われるか分かりません、健康だって貴重です、健康維持に努めたい物です。
健康である事も当たり前ではありません、きちんと健康管理に努められ健康を維持して、大好きなお山さまもいっぱい楽しめるのです。
当たり前は、永遠ではありません。
画像は、震災前、追波川(北上川)下流の茅湿原と硯上山。
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