天候異変は夏場が多いものと思っていましたが、今年の1月は、異常な位の雪不足から始まり、暖冬傾向、梅雨の様な気圧配置と天候異変続きです。
以前から真冬の東北は寒いので、格安の九州旅行を狙っていました。格安旅行と言いながら飛行機利用で南九州を2泊3日で回れる旅行もあるんですね。
天候は、九州に行く前から3日とも悪いのは分かっていましたが本当に3日間天候不順で鹿児島市内等からは、桜島の上部が終日、雲で見られず九重連山(韓国岳〜高千穂峰)はもちろん全く見えず仕舞い、ガイドさんは3間とも天候に恵まれなかったのは始めてと何度も言っていました。
宮崎の青島当たりは強風と横殴りの雨で身動きがとれず鬼の洗濯岩も殆ど見られませんでした。青島ずっと手前でズボンは雨で…
コースは
(一日目)
・仙台空港→神戸空港(乗り継ぎ)→鹿児島空港→西郷隆盛像へ(西郷公園)→嘉例川駅(鹿児島県JR線で最も古い駅舎)→霧島神宮参拝→霧島温泉(泊)
(二日目)
霧島温泉(発)→知覧特攻隊平和会館(攻撃に向かう人々が残した手紙…涙が出ました)→鹿児島市内城山公園展望台(西南戦争最後の激戦地)から山頂が見えない桜島→フェリーで桜島→鹿児島湾の一角にある酢の醸造所(桷志田)を見学と試飲・食事→宮崎市近くの海沿いのホテル(40階建)(泊)
(三日目)
海沿いのホテル(発)→青島(雨と風で青島神社へは途中断念)→堀切峠(フェニックスが見事でしたが鬼の洗濯岩は満ち潮と波で殆ど見えず)→都城市の霧島酒造工場見学と食事・試飲→鹿児島空港(天候不順15分近く遅れ)→神戸空港(天候不順で1時間以上遅れ)→仙台空港(※20時を過ぎると食べる所は殆どオーダーストップでした、平日だから店仕舞い早かったのでしょうか)
天候が不順で飛行機が遅れるわ、鹿児島空港を飛立つ時は機体は揺られ、上昇中にはエヤーポケットに入っいたのが何度か急落下で悲鳴も聞こえました。乗り継ぎの神戸空港では1時間以上遅れての離陸でした。
南九州での旅は天候不順で今一でしたが、旅は割安感で満足、現地の雰囲気を味わえたのは大きな収穫でした。
柑橘類の果物は露地物を無人販売所で格安売っていましたが味は今一感が否めませんでしたが安かったので良しとしました。
知らなかった事で認識を新たにしたのは、
1.鹿児島もお茶の生産が盛ん
2.酢の醸造が鹿児島湾の一角で行われていた
3.九州で酒と言えば焼酎で都城市には水とサツマイモでの大規模な焼酎工場(霧島酒造)がある事100%をモットーに工場は都城市だけとの事でした。第一、第二…と工場が沢山
4.桜島周辺のお墓には屋根付きのお墓が多かった、火山灰からご先祖を守る為、との事。噴火時の噴石から身を守るシェルターも散在。
やはり気温は暖かく、もう菜の花や梅が咲き始めていました。
移動には、上着一枚脱がなければ汗が出て来ました。
九州は、学生時代に国鉄の均一周遊券で一周して以来ですから違う世界に飛び込んだ感じでした。九州もまだまだ沢山見る所がありますが自然災害(噴火や洪水、地震)や戦争(西南・太平洋)のキズ跡が残っている(西南戦争の激戦地、太平洋戦争の特攻隊の基地跡があったり)なども忘れてはいけないと感じました。
皆さんが普通の生活、平和が一番と感じる一時でした。
個人で旅しながら名勝旧跡を回るのも安く出来るでしょうがガイドから、その地のいろんな名所旧跡、歴史の話を聞きながらラクラク旅するのも良いですね。黙ってても情報が一杯入って来るのですから。
(※大きな声で言えませんが、ガイドさんのお喋りが長くてうっとしい時も多々ありました <m(__)m>)
※ニュースでは、新コロナウイルスの死者が80名以上(本日では100名以上)出ていると聞き、泊まる宿、泊まる宿で異国の方々も沢山宿泊されておりました。(マスク、手洗い、手の消毒で気休め対応しました)
画像1.西郷隆盛像(鹿児島空港脇の西郷公園)
画像2.墜落して引き上げられた特攻機「零戦」(知覧特攻平和会館)
画像3.城山公園展望台(西南戦争最後の激戦地)からの桜島
yamanamieさん こんにちは
天候が良くなくてすこし残念でしたね。でも南九州の要所を押さえられましたし現地の雰囲気も得てこられましたので価値のある旅だったと推測します 。知覧を訪ねられたことは良かったです。私はまだ行っていません。行けば泣いてしまうでしょうしまた旅行を切り上げて帰ってしまうような気がするからです。
でもここはぜひ行かなくては近頃思っています。
Happa64 さん ご無沙汰しています。
南九州は、天候不順で景色は今一でしたが暫くぶりの南九州の旅でした。
やはり温かいのと火の国、火山灰の堆積した脆い地層(土砂崩れを散見)は実感しましたが、火山性の土壌の為、雨水が濾過され地下に大量に埋まって居るのを利用したのが都城の霧島焼酎とか(焼酎の原料のサツマイモも水はけの良い所が適す)
知覧特攻公園は、旅するまではまったく、恥ずかしながら知りませんでした。
今は公園となっていますが、太平洋戦争時は草地を均しただけの土の滑走路との事でした。
会館内には沢山の手紙「遺書」が展示されており、字の綺麗さもさる事ながらしっかりした文面、両親や兄弟を心配する文面に目頭が熱くなり胸が痛くなりました。
所詮、ツアーなので時間の制限があり限られた時間でゆっくり読めなかったのが心残りでしたが、はたして胸が張り裂け皆読めるかも自信はありませんでしたが。
戦争は絶対起こしてはいけない事を改めて感じさせられました。
勝っても負けても沢山の人々の命が失われ、悲しみと憎しみしか残らない戦争。
戦争の無い平和な世界が続いて欲しいと、「平和」の言葉の重みを改めて感じさせられました。
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