もろやまトレイル23.7kmを皮切りに、石岡トレイル50−外秩父トレイル50を完走し、奥武蔵ウルトラ78kmを完走。
6月飯能50kmから7月越生ときがわ50kmを経て、9月奥武蔵112km、そしてファントレイル100kmを予定していた。
UTMF・武尊・ファントレイル100と、過去100km越えは全てリタイヤ。
こだわるわけではないが、相応のトレーニングをしないと限界なのか?
特別な何かをしないと、完走できない領域なのか?
登山の糧にもなるし、続けてきたトレラン。
トレランとは何なのか?
純登山・ハイカーとの摩擦や確執は、どこにあるのか?
色々と試行錯誤する中で、得たものは大きいがどこかで幕引きをしたいとは思っていた。
100km越えへの挑戦。
今年・・・そう、今年を最後のチャレンジにと思っていた。
そして得た経験を糧に、いよいよ長期縦走へ。
8月に11連休を取り、アルプス縦走の計画を練っていた。
雁坂小屋へも行こう、真ノ沢林道も。
行きたかった場所へ行こう・・・そう思っていた。
が、6月のトレイル不参加、7月も出ないことを決定。
調整もできないだろう。
あっけない幕引きである。
8月の11連休も、取り消した。
登山も、しばらくはできないだろう。
そう、自分は今、休日は農作業に追われている。
「義を見てせざるは勇無きなり」
そう思ってしまった。
妻方の義父が、癌の再発で再入院。
正直、あまり好きではなかった、向こう側の親族。
ただ、26年間、無償で野菜をいただいていた。
当たり前のように、手伝うことも無く。
昨年胃癌の手術後、体力の衰えで畑に手が回らなくなった時。
手伝ってやってくれと、渋々2度手伝った。
生まれて初めて義父の指示の下、耕耘機を扱いジャガイモを植えた。
良かった・・・助かった・・・と、義父が涙ながらに呟きびっくりして何も言えなかった。
今年春になり、再発・・・。
治療は不可能と。
約2反もある畑、病床で畑の事ばかり口にしていると聞いた。
再発の告知はしないという決定に、義父と込み言った話もできない。
北の国からの1シーンが、脳裏で囁く。
「誠意って、何かね?」
人間だもの色々あるし、未熟者な自分は割り切れない物が沢山ある。
それでも、感謝すべきものはあったはずだ。
義兄に話をするも「俺が面倒を見る」と言うだけで、部屋から出てこない。
そう、仕事には行くものの、引きこもりなのだ。
義兄と言葉を交わしたのは、26年間で数えるほど。
義父の見舞いに言ったとき、「一緒に畑を耕している夢をみた」とポツリ。
義兄ではなく・・・俺なのか・・・。
背丈より伸びた雑草と、作付けした作物たち。
最後の作物、残さず食ってやる。
作付けしてない場所の雑草は、2日かかりで刈り取った。
収穫し、空いた場所は見よう見まねで苦土石灰を撒き耕運機を。
堆肥を撒き、耕し休ませる。
ポットにトウモロコシの種を撒き、ネギ苗を植えた。
成るか成らないかわからない、何もかもが初めてだ。
だが義父が存命している間だけでも、安心させてやりたい。
畑は、大丈夫だと。
今は、その想いで、仕事帰りでも足を運べる時は畑へ行っている。
正直、続ける自信もないし、遊びたい盛りでもある。
2反もの畑となると、遊んでいる暇はないように思える。
だけど・・・今は考えまい。
梅雨が明ければ、作付けが始まる。
秋野菜に想いを馳せながら、夏野菜の収穫と手入れに追われる日々を過ごしています。
幸い、冬は山へ行けるべ・・・な。
今日、最初で最後になるであろう、義父と植えたジャガイモが収穫し終わりました。
無農薬・有機栽培・・・。
美味いよ・・・ホント。
こんばんは.
自分の類似の経験上、答えは後日に判明しました。
あせらず、構えず、時の経過 に任せて、
自分のやるべく事を怠らず、
なおかつ自分の家族を精一杯思いやって、
そんな気持ちで過ごしていました。
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