|
|
すると一般の墓地から少し離れ場所に大きな墓石があり、これは誰の墓かなと、近づいてみると・・・
「登山家 加藤保男さん」
埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ
1982年12月、史上初の厳冬期エベレスト登頂後に雪煙りの彼方へ消えた登山家です。
史上初の三季(春、秋、厳冬期)エベレスト登頂。厳冬期単独初登頂。
享年33歳
後に大宮市市民栄誉賞第一号を受賞
墓石の側面には
湯浅道夫さん、西堀栄三郎さん、今井道子さんの文が刻まれていました。
加藤保男さん、ここにお墓がありましたか、
大宮生まれの方でしたか、
驚きでした。
こんな身近なところにお墓がある事を、この地に30年近く暮らしていて知りませんでした。
1980年当時、「山岳界のプリンス」「ミスター・エベレスト」「天才クライマー」などと呼ばれていました。
山岳雑誌の「岳人」「岩と雪」「山と渓谷」などで拝見する人となりは、甘い端正なマスクと合わせてこれまでの山男とは異なるイメージを持った方でした。
アルプス三大北壁登攀、ポストモンスーンのエベレストの登頂、ヒマラヤのバリエーションルート登攀・・・自分にとっては雲の上の人、憧れのスーパースターでした。
加藤さんが遭難された冬、山への興味が薄れつつある自分でした。
それでも、年末に飛び込んできたニュースは厳冬期エベレストの単独登頂の快挙とその後の遭難とで、心に強く刻まれた出来事でした。
冬のエベレスト登頂後のビバーグ、秒速100mの暴風、気温-60℃と言われる雪煙の彼方に加藤さんは消えてしまいました。
33歳というあまりに若く短い人生。
50歳を遥かに超えた自分にとって、そんなにも若かったのかと、大きな驚きに合わせて、あれから34年の歳月をしみじみと感じました。
そして、また山に戻ってきていた自分がここにいます。
もう岩も冬もやらないけれど、ホンワカと山を楽しんでいる自分です。
偶然の出会い、驚き、あの時代を懐古しました。
偉大な登山家、加藤保男さん安らかに・・・
合掌