この頃は フイルムも高く その分を 交通費に充てて山歩き・・・
フランク永井の歌で 13800円(^^♪ なんて歌流行ってました、{昭和38年辺りで月給15000円前後でした 諸々手当の含む 年金 保険 税金 取られると こんな歌の様・・・・・}
ポジフィルムを多く使ってました 山の会の集会に スライドを見ながらの 想い出話や反省会に使ってました。

沼田駅--昭和38年5月 この頃は 写真撮るにも 尾瀬ヶ原は良かった!! -木道はマルタ半分にしたのが設置してあり 外すと靴がかなり沈み 最悪靴の場合 中に水が入り すれ違いの時にはジャンケン して負けたら 木道譲る それで湿地帯に入って撮ることが出来ました、
最近では 係りの人が ハンドマイクで 注意されます 尾瀬沼に渡船のあったころです。

相模湖駅--昭和38年3月 今の駅前と少しは変わってます なんとなくのんびり感がありましたね!! 相模湖はレジャー施設ができたり 賑やかでした。

塩山駅 昭和41年6月 乙女高原 山行の時に撮ったものです タクシーの車の懐かしさ ポジフィルムの現像悪く 赤味かかて残ってます。
こんにちは。
沼田駅には駅前ロータリーができて少し都会的(?)になりましたが、田中角栄さんが現場監督をしたという駅舎は今でも写真同様のたたずまいです。
40〜50年前、”尾瀬のシーズン”になると深夜の駅前広場が夜行列車を降りたハイカーで一杯になり、登山口への直通バスが数珠つなぎで走っていました。
今は昔ですが・・・。
この写真はさらに古く、この頃の尾瀬はまだ静かだったのでしょうね
コメント ありがとうございました この頃は 山ブームで 夜行で行くと駅前は大混雑 帰りに撮ったものです その頃は 尾瀬沼には渡船がありました ヒョンナ事から この船は羽田で作った物と聞きました 羽田空港拡張で漁業の権利を売り渡し 漁をする人が減り 造船所はたいへんだったような ちなみに 小生は生まれが そのあたりでした。
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