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https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762827
富士山の絵が有名な谷文晁ですが、山の絵の一番目は、富士山でなく大和国の金峰山、つまり、奈良県大峰の山上ヶ岳。富士山は二番目。江戸時代の江戸の人にとって、名山といえば、まず大峰ということなんだと思えます。日本の登山は修験道による命がけの修行から始まったとしたら、修験の第一の聖地の大峰が第一だったとしても、何も不思議ではないでしょう。
写真は六甲山の絵と、10月に撮影してきた写真です。左側に写ってる丸い山は甲山です。図会では、黒く描かれてます。六甲山は白っぽく。実は江戸時代の六甲山は、木が切られたハゲ山だったから、お寺の敷地で木が残ってた甲山は黒く、花崗岩で白い六甲山は白く描かれたのだと思います。
図会の絵には、旅好きだったという谷文晁が実際に見て描いただろう場所が推測できる地名が書かれてます。百名山の深田久弥さんが影響うけたはずの日本名山図会。江戸時代の人の気持ちを考えながら、図会で描かれた全国の山の景色と同じ景色の見える場所を探すのも楽しいと思います。
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