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膝の水を抜くこと5回。しかしいまひとつ回復しないので変形性膝関節症の疑い。
そしてMRI検査を受けることに。検査結果は変形性膝関節症による右膝半月板損傷。
半月板も縫っただけで治せる状態でもなく、割けるチーズのような状態になっていたそうだ。
そして医師からの宣告は
「登山は諦めましょう」
という無情なものだった。
現実を受け入れ入院期間が短く、術後は普段の生活は出来るが、数年後には再び患部が痛む可能性のある縫合手術を受けることにした。
入院の日が刻々と迫る中、どうしても諦めきれず手術をキャンセルして先進医療や再生医療の可能性も調べ登山の再起を模索する。
そんな望みも受付終了で現在は実施していないという現実に阻まれる。
しかし唯一、骨切り術という文字通り
骨を切って重心をずらして膝の負担を軽減させるという手術で登山を再起できると医師に聞かされる。踏ん切りがつかなかったのは入院と療養を合わせて2ヶ月の休業をしなければならないことだった。
職場に相談しただでさえ人員不足のところを無理を聞いて貰って2ヶ月の休職を得た。
手術は順調に終わり寝たきり、車イス、松葉杖2本、1本と回復したところで丁度3週間で退院。
そこからはゴールが約束されていないリハビリテーションの日々が続いた。
まだ暑い9月の退院だった。自転車で3分のスーパーに松葉杖をついて20分かけて買い物に行った。買ってきたアイスは家に着く頃には溶け落ちていた。街中のバリアフリーの少なさに初めて歯がゆさを感じた。駅の階段で人の波に初めて恐怖を感じた。膝が曲げられないので和式トイレは使えなかった。そんな日々だった。
とはいえリハビリの期限が1月中旬まで。それ以降は自身のみで回復を目指さねばならない状況になった。大げさな言い方かもしれないが、自分の人生の糧、楽しみ、希望、ストレス発散、夢、そして嫁(笑)、を与えてくれた山にどうしても戻りたい一心でリハビリに取り組んだ。そして腐らないように気持ちをコントロールした。
年が明け、まだ完全では無いものの小走りできる、下までしゃがめる程には回復できた。
脚が治ったら行けなかった分を取り返すように山へ行ってやる!と思ったりもしたがそんな気持ちも今は薄れた。
怪我の治療を乗り越えつつある今はより上へ、より前へを求める価値は見出ださす、山を歩くことができることに感謝し、もっと山や自然に造詣が深くなりたいと思うようになった。
写真1:現状入っているボルト等。右足がO脚気味だったので、X脚に寄せて重心を変えることにより膝への負担を軽減させる。そのため骨を切りずらしてボルトとプレートで固定し骨を癒着させる。
写真2:病棟から見たスカイツリーは遠く高い存在だった。
写真3:術後はしばらくは車いす移動。トイレもままならない切ない状態であった。
こんにちは
大変ですね。
私はこの5年間で
腎臓癌:ダビンチによる部分摘出
前立腺癌:ダビンチによる全摘
距骨下関節固定化手術:チタンボルト2本で関節を固定化
第一腰椎圧迫骨折:1週間絶対安静入院
以上をこなしてきましたが、一番影響のあったのは第一腰椎圧迫骨折です。
もう一度やったら半身不随になる担当医から宣告されました。
重たい荷物を背負うのが怖くて山小屋一泊以上の山に挑戦できずにいます。
松葉杖を使っていたことは世の中こんなに道が傾いていたかと驚きました。
大切なことは諦めないことです。
いつか幕営縦走に復帰したいものです。
borav64m さん、こんにちは。
5年間の間にたくさんの闘病を乗り越えられたんですね、驚きとともに尊敬いたします。
それでも腰椎圧迫骨折については医師の宣告を思うと確かに挑戦するのはためらわれるでしょうね。今後の幕営縦走復帰へはなにか手立てはあるのでしょうか?
私もケガをしてみて初めて気が付いた現状の社会生活。よくインフラ整備とか言いますが体の不自由な人への整備は全然できていないのだなと思い知らされました。
それと共に医療の進歩もすごいものだなと感心しました。
当然諦めないことで努力は必要でしょうけど、頼れる医療は存分に使ってまた幕営縦走に復帰できるよう頑張って下さい。応援します。
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