最近、フィルムスキャナでの画像の取り込みについて、何がスタンダードなのか分からなくなって来た。
以前は機械任せの自動露出で何の不満もなかったのだが、それが信用出来なくなってしまった訳だ。スキャナによる画像の取り込みというのは、ドライバにかなり左右されるところがあって、同じスキャナを使っていてもドライバが違うだけで相当画像の仕上がりが変わってしまう。以前使っていたLinuxで一般的なxsaneやiscanなどのソフトで取り込んだものは、Epsonの純正のドライバを使うようになってからみんな破棄してしまった。それくらい違う。
ただし、このEpsonのスキャナドライバに充分満足出来るかというとそうでもない。例えば、このソフトはデフォルトで勝手にアンシャープマスクという過激なフィルタを通した上に、いい加減に画像をトリミングしてしまうような仕様になっている。スキャナふぜいが人の写真にナニ勝手なことしてんのよ?などと思い始めると、泥沼に片足突っ込んでいる証拠だ。
なんでもフォトレタッチの世界では、わざとボンヤリした調子で取り込んで、然る後にフォトショップ等の画像処理ソフトで追い込んでいくというのが一般的なんだそうで。逆説的な感じがするが、ボンヤリした写真をコントラストが効いていてシャープな写真に仕上げていく過程というのは、データを削っていく作業らしい。あくまでフィルムに残されているデータを元に、無駄なものを省いて必要なものを際立たせる。お水のおねえちゃんが顔写真を捏造するのとは違って、わりとストイックな世界なのだ。
銀塩写真の階調の豊かさは印画紙よりもむしろフィルムスキャナで取り込んだ時の方が活かされるという話もある。カラーフィルムなどは特に、自宅でお手軽に暗室作業って訳にもいかないようだし、お店に出しても全自動でガシャガシャポンと出てくるだけならつまらない。それならいっそ、フィルムスキャナで取り込んで、存分に調整したものをプリントした方がいいってのも一理あるような気がする。
僕はプリントアウトまでは考えていないのだけど、それなりの高画質で取り込もうとすると36枚撮りのフィルムを一本スキャンするのに3時間くらいかかる。画像処理はそれとはまた別にやらねばならないのだ。週末に写した写真を取り込んで気に入ったものだけを作品として仕上げるってくらいの話ならまだいいけど、僕の場合、ストックの写真が一万枚、手付かずの状態で立ちはだかっている訳で、しかも、どんなに酷い状態のモノでも、出来る限り救出してやりたいと思っている。むーん、果てしない。徒歩で日本を縦断することにも似た果てしなさ。
でも、「これは流石に無理だらう…」などと思った写真がそれなりに見れるものになっていったりするとうれしいものである。コツコツやるしかあるまい。何時までかかるか分からんけど。そんなのがフィルムスキャン地獄です。
何かの行いは文章や写真にしたところで経験と記憶の中に定着するものであります。それをしないとザルからこぼれるように自分の記憶ではなくなってゆきます。
ビデオ編集がもっと過酷だ。撮った時間と同じだけ見なきゃいけないから、撮るときに相当心して撮らないと、編集する気さえ起きない。編集したものさえそう何度も見返さない。時間がかかるから。
20年ちかく前、スキャナとパソコン(マックの古くて高いやつ)をすごく高かったけど買って、撮った写真を吸いこんだが、その時の性能で延々取り込んだ情報量では今どきの画像レベルではなく、あるときやっぱり皆一掃しました。しかし、最近はカラーネガも色あせてきて、なんだか本当に昔の写真になってしまった。
デジカメになって7,8年になるが、まだ写真の良い整理方法に行きあたっていない。ネガフィルムを大事に取っていた時の写真は全部整理してあるのだけれど。
確かに、文章と写真によって記憶の輪郭がハッキリしてくるというのはありますね。地図やなんかを頼りに、文章化しながら旅を追体験していくというのは面白いものです。
しかし写真の取り込みを始めてからは、圧倒的に時間が足りなくなってしまいました。こういうのは短期間で一気にやった方が良い気もするので、文章だけでも仕上げてしまった方がいいのかなぁ、とも思っています。
な、何語これ?
これ読んで、長い旅路でカメラなんぞに頓着せなんだ我が身の安楽さを今思うよ。
一応、ごく初歩的なロワンロワンチャウチャウ語で書かれているんだが、ちょっと解り辛かったかな?ははは、すまん、すまん。
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