先日の鈴鹿の上高地キャンプで鈴鹿の急峻な山容を楽しんだ時、日本武尊 (やまとたけるのみこと) の神話を思い出していた。東国平定から大和へ帰る途中 鈴鹿で亡くなった話。この急峻な山を越える時に亡くなったというわけだなと。日本武尊が「足が三重に折れた」と言ったという話が「三重」という県名のもと。
同行のふくぞうにそんな雑学を話そうかと思ったが 唐突なのでやめた。
改めて調べてみると、桑名の尾津の浜から熊褒野 (のぼの) へ向かう途中に亡くなったとされており、それらの地は伊勢湾寄りの平地で、どうやら山を通っていないようだ。鈴鹿で疲れて死んだということで、勝手に山でと思い込んでいた。
話さずによかった…。
日本書紀では 日本武尊は没後 白鳥となって飛び、大和と河内に下り着き、それぞれに墓を作ったとされる。河内を「羽を曳くが如く」飛び立ったという伝説が「羽曳野 (はびきの)」という地名の由来。
これも好きな伝説だが、改めて調べてみると、単に「端の長く延びた丘陵」という意味とするサイトがあった。
語源というのは美化された あるいは面白い話のほうに傾きがちということはよくある話ですな。
ちなみに日本武尊の墓は、三重県亀山市に能褒野墓 (のぼののはか)、奈良県御所市と大阪府羽曳野市にともに白鳥陵 (しらとりのみささぎ) と3ヶ所ある。
御所市の白鳥陵ですが、
伝説といい、白鳥陵の名前から来るイメージといい、
さぞかし美しい陵墓と思いきや、
宮内庁管理で侵入できない様になっていますが、
現状は荒れた雑木林ですね。
見学者も少なく残念な状態です。
こちら群馬県でも、日本武尊に関連する山が有ります。
北アルプスの穂高との区別の為、上州武尊と云われてる、…沖武尊…です。
山名は日本武尊(やまとたけるのみこと)に因むとされ、彼が東方遠征の折に、悪者を退治して平定した山と伝えられています。
群馬県の西側に嬬恋村が有りますけど、日本武尊が西に住む妻を恋しく村からの村名とか?。
そこの近くの山が、四阿山(あずまやま)で有り、吾が妻を思う山からの名とか?
日本武尊をヤマトタケルノミコトと読める方は少ないと思いますね😃
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