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その直後香港に転勤になり、赴任した週末にはもうフルのレースに参戦した。当然そんな自分の走歴は会社の上の方も知ることになった。たまたまNo.2が山好きで山岳レースがあるので出場せよとの業務命令?が下った。
非常に厳しいレースで毎週末試走を繰り返しているという。君の走力なら全然問題ないよ、試走会にも参加しろということで、コースをいくつかのパートに分け、毎回2〜3パート歩いた。このレースはOxfam Trail Walkerという4人1組で参加する山岳100kmのチームレースである。
大学時代に平地の100kmはやったことがある。しかもハセツネで山岳の70kmも完走した。香港の山くらいなら、なんとかなるだろうと少しなめてかかった。ところが香港の山はほとんど海抜ゼロ(正確に言うとそのレベルから)登るので山の高さがそのまま登りの標高差なのである。それを10座以上、48時間以内で、しかも4人揃ってゴールしなければならないという、ある意味極めて、ドMなレースである。登りの合計はエベレストに匹敵すると言われている(本当かどうかは検証していないが)
もちろん過酷なレースだけに途中のサポートは手厚い。主催者のサポートも当然だが、会社チームも、私の加入で難を逃れた若者を含めて、それこそ10カ所以上のポイントというポイント全てで食事、水分補給のサポートを受けた。
レース自体はチームメンバーが途中で体調を崩し、スローペースになったのでそれ程厳しいものではなかった。しかし途中で20分ほどであるが2、3回睡眠を取ったり、ハセツネほどは走れなかった。
今思い返せば笑ってしまうが、私は捻挫が怖かったので、なんとキャラバンシューズで走ったのである。(当時はトレランのシューズなんて気の利いたものは無かった。)
体調を崩したメンバーの1人は結局肝機能障害でゴールはしたものの、1週間入院してしまった。ちなみに彼はトライアスリートで自分よりよほどタフだったと思う。それだけ厳しいレースだったのである。
記録を見ると32時間23分。当時の記憶はまり残っていないが、片隅にあるのは80km過ぎてもまだジョグで走れたこと。完走後、日本食の飲み屋で完走パーティをやった。ほとんど寝ずに32時間以上山を歩いてシャワー浴びたら、即宴会。まだ30代とはいえ良くそんなことやったものである。
そのレースに出たのは、それが最初で最後。あまりに暑いのと湿度が高いので、走るのには気候が適していなかったと思う。単身のうちは好き勝手をやったいたが、赴任して1年経って家族が来たら、子供のサッカーチームのコーチになっていた。それ以来最近になって再開するまでレースと山はお休みだった。
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