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とにかく内容が濃くて驚いています。特に風俗、神社仏閣などについての記述が多く、「山旅」を深く楽しむことができます。復刻された7冊の内の1冊に選ばれるだけのことはある内容だと思いました。執筆を担当された奥武蔵研究会の皆さんの面目躍如といったところでしょうか。まだ、読み切れていませんが、この時代の現在との違いをいくつか挙げてみます。
1【木が茂っておらず、眺めが良い】○○高原と呼ばれているエリアがあるのはそのためです。写真を見ても、こんなに爽快なところだったの?ってところがあります(笑)。また、「360度の眺めが得られる」というところも少なくありません。
2【バス網が今よりも発達していた】西武池袋線が吾野までしか通じていなかった時代です。正丸峠、子の神戸、天目指峠入口などへもバスで行けたので、今よりも歩行距離が短く、手軽にハイキングができたところもありました。また、電車との接続も配慮されているようです。
3【山頂や峠に茶店があるところが多い】これには驚きました。小高山、伊豆ヶ岳、高畑山、天目指峠、丸山、大野峠、刈場坂峠を初めとして天覧山、多峯主山などにもあったようです。
4【今は廃道になっているところもポピュラーなルートだった】武甲山の西参道は知っていましたが、伊豆ヶ岳へのコースで花桐からの沢沿いのコースも紹介されているのには驚きました。当時の別のガイドブックでも「足弱の人がいた時は…沢沿いの小径について花桐に下ることが出来る」とあります。今はバリルートになっていてヤマレコの記録も少ないです。
奥武蔵エリアは、山里の習俗や歴史を感じながら歩くと楽しいものです。KindleはiPhoneアプリもあるので、山行中に読むこともできます。奥武蔵歩きの楽しみがひとつ増えそうです。
「ブルーガイドブックス」そして「実業之日本社」恐るべしっ!
こんにちは。お邪魔します。
伊豆ヶ岳や刈場坂峠に茶店があったのはしっかりと覚えていますが、天覧山や多峯主にあったことは記憶をたぐっても覚えていません。(なんとなくあったような気もしますが)この2座には多分、昭和30年代後半から何度も登っているはずですけれど。何分、幼少期でしたから。
あとは高山不動の下の茶屋でも休んだ記憶があります。今は廃墟だけが残っていますし、高山不動上のグリーンラインにあった不動茶屋も2年前に不審火で焼けて無くなってしまいました。伊豆ヶ岳にも小屋の残骸が少し残っていますね。奥武蔵の山々を歩いていると、このような残骸や、跡地を色々と見付けることがあります。時の流れを感じます。
伊豆ヶ岳も昭和40年代はメインルートだった大岩沢から胸突八丁を経て五輪山への登山道が今春廃道になりました。胸突八丁上の五輪山までの尾根は展望があって気持ちのよい尾根でしたが。
時とともに移ってきた昔を見るのも興味深いものだと思います。
todora5502 さん、コメントありがとうございます!
この山域に精通されている方の貴重なお話しを伺うことができて大変嬉しいです。
まあ、昔は今よりも賑わいがあったんでしょうね。
ガイドブックにはこんな記載もあります。「ハイキングといって大げさな準備をしなくても、天覧山の頂上には何軒か茶店があり、多峯主山にも出店があるから、手ぶらで出かけでも大丈夫である。」
さて、大岩沢から胸突八丁を経て五輪山への登山道ですが、廃道になっていましたか。実は今年の9月下旬に登りましたが、通行止めの標識などは無かったように記憶しているのですが…(汗)。胸突八丁には転落防止のトラロープがありました。尾根上部からは二子山や甲仁田山が間近に見えて気持ちの良いところですよね。
ちなみに私は幼少期に秩父線の開通直前、家族で正丸峠へバスで行った記憶があります。峠の路面に大きな水たまりがあったことを覚えています(笑)。
その後、よくよく思いだしてみると、「何軒か」ではなく、一軒だったと思いますが、天覧山山頂の西側に茶店があった記憶が蘇ってきました。多峯主は思い出せません。いつ頃まであったのでしょうね。
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