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北斜面が削られてしまった、比較的最近の武甲山の航空写真である。
「ハッハ〜、今はこんな状態なんだ〜〜〜〜ッ!」と見入ってしまった。
更に、一の鳥居登山口からのルートが記された映像が出て、興味深く観ることが出来た。
更に、これまた、見たことの無い、削られる前の堂々たる武甲山の写真が出てきて、感動しました。


既に見ておられる方も多いかと思いますが、日記にしました。
■写真説明
左:現状の北斜面
中:一の鳥居登山口からのルート
右:削られる前の武甲山
※写真は、何れもNHK BSPの映像を写真撮りしました。
raku-inkyoさんこんにちわ。
グレートトラバースって武甲山まで登られてたんですね…観たかったなあ…。
当時の武甲山といえば、
何年か前に、名郷から日帰り縦走したとき、下山後に浦山山荘にて日帰り温泉を求めたんですが
なんと山荘の女将さんが駅まで送り迎えまでしてくれて、当時の武甲山のお話をなさってくれました。
「本当はこんな形の山じゃなかったのよ〜」と証拠に、武甲山の写真集(タイトル失念)を貸してくださいました。
その写真集は、年代ごと山の変化を撮ってある貴重な写真満載で…ああ、あの本のタイトルをメモすればよかった常々後悔する日々(笑)
読んでいて漠然と(今日、登った武甲山も、明日には形が変わってるのか…)と悲しさ半面
でも
山のカタチは変わっても、女将さんみたいに武甲山を愛する地元の人の気持ちは変わらないのかも
と、すっかり暗くなった浦山口駅前で見送ってくれた女将さんの顔を見ながら
ありがたい気持ちでいっぱいになったのを覚えています。
武甲山には、良い思い出が有るようですね。
ご存知かと思いますが、武甲山は二百名山の一つです。
田中陽希さんが、現在進行中の旅は、グレートトラバース「3」です。
即ち、百名山・二百名山・三百名山の全ての山が対象です。
既に終盤に差し掛かっていて、関東は終わって、現在は北海道の山をトライしています。
再放送は何度も有りますので、まだまだ観るチャンスは有ると思います。
15分という短い再放送(NHK BSP)も頻繁に有ります。
よろしかったら、私の過去レコに、武甲山の過去〜現在の写真を沢山載せて有りますので、ご覧いただけましたら幸いです。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1204780.html
えー!?こんなレコあったんですねー!眼福です!
raku-inkyoさんありがとうございます!ヤマレコってすごいなあ…!
そうそう!1979年あたりのお写真は、よく雑誌などで載ってるの見るんですが
今の山頂風景と比較すると衝撃な光景ですよねー。
武甲山は山を守っていくひと、山を造っていくひと、山に登るひと、そして山を毎日見仰ぐひとびと
いろんなことを考えさせられる日本が誇る名山だと思います。
重ねて素晴らしいレコありがとうございました!グレートトラバース武甲山の再放送回を俄然狙いたいと思います!
raku-inkyoさん
今晩は!と言うよりお久しぶりです。
昨年12月にヤマレコに再登録したh-restart2020です。
(昔の名前はご容赦下さい)
昔に遡っての懐かしい写真ありがとうございます。
私は昭和43年からの高校3年間、毎日学び舎から武甲山の雄姿を眺めて育ち、クラブ活動でも地学部に入り【武甲山と秩父の気象】何て言う生意気なテーマで今は廃道となった羊山登山口から何回も登りました。
結果は忘れましたが良い思い出でございます。
一昨年、50年ぶりに今の一の鳥居から登りましたが、これ程人気の山になるとは当時思ってもいませんでした。
また、先日は一の鳥居〜妻坂峠〜大持山に登り裏の武甲山を初めて見て感激しました。やはりこちらの方が自然の山らしく良いですね。
田中陽希さんのグレートトラバース2の時の武甲山は先日、いきなり外付けHDDが壊れ録画していた番組が全滅で落胆していたところに”3”で一の鳥居からの放送があり録画することが出来ました。
いずれにしましても故郷を秩父に持つ人間にとっては破壊されピラミッド化しつつある武甲山を見るのは悲しいですが、昭和の日本の根底を背負って立ち、今も継続して世の中に貢献している事に敬意を表し自慢したい山です。
昨年12月にリスタートされたようですね。今後ともよろしくお願いいたします。
小生、最近、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」に嵌まっています。
何故なら、渋沢栄一という人がどの様な人物だったのか、知りたいという思いからです。
ところが、渋沢栄一を取り上げた別の番組で、秩父鉄道(熊谷〜長瀞)が開業当初は資金難だったようで、資金繰りをしたのが渋沢栄一だったとのこと。
そして、その鉄道は、荒川を渡って、長瀞の先の秩父まで延ばしたとのことです。
渋沢栄一の狙いは、武甲山の石灰岩、即ち、セメントだったのです。
ということは、武甲山をあの様な姿にしてしまったのは、早い話、渋沢栄一だったということになる。
「コノヤロー
武甲山にしてみれば、山頂を削られて悲しい思いをしてるかと思いますが、そのことが反って登山愛好家の同情を得て、人気を維持している様にも思います。
私自身も、削られる前の山頂を踏んでいるだけに、忘れられない山の一つです。
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