今朝、信じられない、信じたくない哀しい出来事がありました。首里城炎上・・・。
私的に約17年前、新婚旅行で初めて沖縄を訪れた際、守礼門をくぐり首里城の鮮やかな紅色の御殿を目の当たりにした時の「幸せ・希望」感が未だに忘れられません。嫁には言っていませんが、銀婚式を迎えられたら初心に戻って、2人であの時の行程を辿ってみたいと思っています・・・。 それまでには再建の可能性もあるでしょうが・・・。
哀しい・・・ただひたすらに哀しい・・・。
沖縄の方々の心痛をお察しいたします。災害といい、最近こんな哀しいことが度々起きています。合掌。
「かたちあるもの いずれ滅びる」ということは理解しているつもりですが、哀しい・・・。
ちょうど去年の今頃、自分も初めて首里城を訪れる機会がありました。
当時まだ外装工事中でありました。
戦時中にも焼失していたことは今回初めて知りました。
火事の件は残念でしたが、とりあえず歴史の一区切りにタッチの差で触れられたのは僥倖であったなというのが正直なところです。
また奥様と思い出の首里城に出会えるといいですね😊
chan-reiさん、コメントありがとうございます。
創建時の首里城から3回ほど建て変わっていると聞きました。考えてみると、江戸城、大阪城、熊本城など名城も時代と共に元の姿とは少しづつ違ったものになっているし・・・。
と・・・自身に言い聞かせてもみたのですが、まだ哀しい気持ちを整理するには時間がかかりそうです・・・。もし、銀婚時に様相が変わっていても訪れたいと思っています。
おはようございます。今だに衝撃から立ち直れません。
1982年3月。私は当時、首里城跡をキャンパスにしていた大学での最後の卒業生でした。城壁は当時も修繕や復元をされ始めていて、その上から東シナ海を眺めていたことを思い出します。修理のために古い城壁を崩した時には、障壁の中に巣を作っているハブがたくさん近隣の家の庭などに出てきたものでした。私の住まいも首里城跡の南側のすぐ下、今の県立芸大金城キャンパス(当時は大学の女子寮でしたが)のすぐ西でした。
妻も焼けてしまった正殿の裏にあった短大卒で、あの辺りは自分にとっても、妻にとっても青春の地でした。
その後、復元中に数回、正殿などの建物ができてから一度だけ帰省した折に足を運びました。
昨日の朝、映像を見ながら愕然とし、涙が流れてしまいました。
一日中、この画像が至る所で流れ、テレビをつける度に目に入って入ってきます。
見たくないと思いました。
離れている自分でさえもそうなのですから、現地の人たちの思いはとても深い物があるでしょう。
30年かけて復元といわれますが、それは建物であって、実際には40年近くかかっていると思います。もっと長かったかも知れません。
再度復元されるまでに自分が生きているかどうか・・・
そんなことを思うととても悲しく、落ち込んでいます。建物の火災に、これほど心がしめつけられたことはありません。
長文 失礼しました。
todoraさん、ご返信ありがとうございます。
ただ哀しい現在(いま)・・・。悪い夢であってほしい・・・心中をお察しいたします。
私の地元、古い広島県人は「平家物語」から伝わるこんな一説を覚えています。
※「新平家物語」という銘菓のCMにより刷り込まれたフレーズ。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり
娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす
奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。。
お山巡りを通じ、多くの山城跡もある中、現存する堀切や石垣に出会う度に当時の姿を想像し、ノスタルジックな空間に惹かれます。。
沖縄のシンボルともいえる首里城が焼失してしまったのは、大きな哀しみでありますが、歴史というものは何か人の胸に問いかける教訓を残してくれる・・・。
私としては、人生最高の思い出(新婚旅行)の場所ですが、本殿が無くなっても大切な地であることは変わりありません。面影だけでも残っていたら、銀婚旅行に訪れたい・・・むしろ、決心がつきました。 守礼門と石垣だけでも十分です。。
それだけ素晴らしき世界に誇る遺産だということに改めて気付きました。
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