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先日、山レコのやりとりを通じて「津田 恒美」っていう男を思い出しました。かの「炎のストッパー」です。
山口県周南市出身の彼は南陽工高⇒協和発酵にて数々の戦歴を残し、1981(昭56)年のドラフトで広島カープに1位指名入団。初年度に11〇6●を挙げ、球団初のセ・新人王に輝きました。
順風満帆の野球人生と思われた翌年に、右中指の血行障害により表舞台から姿を消す・・・。
彼を忘れかけていた4年後の1986(昭61)年 開幕戦(広島市民球場)を迎えました。中日を相手に5ー3で迎えた7回、(生涯213勝)北別府の後を受けたのは、手術を経て「大丈夫?」と思われた彼でした。登板すると150km超ストレートをビシバシ決め、勝利に大貢献のピッチングを披露。未だに鮮烈なシーンです(^^)/。
その年の彼は、何かが乗り移ったような物凄いリリーフぶりを見せました。伝説が多い中、はっきり覚えているのはRCCラジオで祈るように聴いていた場面。
甲子園での阪神戦。同点で迎えた9回裏阪神の攻撃:「絶体絶命」1死満塁で彼がリリーフ。大のカープキチだった当時高校生の私も95%以上サヨナラ負けを覚悟しました。
迎えた2番:(繋ぐことには天才的な)弘田を問答無用のストレートで3球三振‼2死までこぎつける・・・手に汗かきまくり(冷笑)。
しかし、ここで2年連続3冠王バース。前年、阪神を日本一に導いた最強助っ人で、何度も辛酸をなめさせられた・・・。もう彼(津田)に託すしかない。
この場面で彼が魅せた直球3球は伝説です。「打てるもんなら打ってみろ」という気迫を込めて投げ込んだ炎の投球🔥。阪神寄りのラジオ実況が「バース降参〜。」
試合後、バースに「彼はクレイジーだ。。」といわしめた圧巻のピッチングでした。勝ち負けなんてどうでもいい。。素晴らしかった。ありがとう、津田。。
「弱気は最大の敵」。私も頑張らねば\(^o^)/。
おはようございます。
記録より記憶に残るピッチャーの代表格ですよね。
ストレートに華がある投手は見ていてスカッとします。
こういう気合の入った投手がもっと増えてくれないものですかね。
momijiさん、コメントありがとうございます😁
私は津田恒実に謝りたいことがあって日記を書きました。
古いカープファンなら覚えてる方も多いと思いますが、1991. 4.14 vs 巨人(市民球場)カープ 1点リードの8回、北別府の後を受け登板したものの、1死も取れず原 辰徳に同点タイムリーを浴びるなど9球で降板・・・。
あまりの失望感に「津田、何やっとんや〜。やる気無いんなら辞めえや〜。」とTV越しに言ってました。
まさか、あれが最後の登板になるなんて。
彼の死去後に、あの時どんなにつらい状況で投げていたのか知った時、自身の浅はかさを思い知り、涙が枯れるほど泣き晴らしました・・・。
「ほんと悪かった。すまんかった。許してくれ。あんたは最高の男だった。。」
これ書いてる今も泣けちゃう・・・ いい男でした。
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