|
|
|
年末大掃除の際中、何十年ぶりに母がつくったアルバムを手に取る。。
昭和46年3月29日に(現:広島県福山市)沼隈(ぬまくま)郡沼隈町常石、亡き親父の下宿先で生を受ける。【写真1】 ちょうど1年前が両親の結婚記念日。親父は中学校の数学教員じゃったけえ、ちゃんと計算したんかのう?(笑)
親父は囲碁が大好きで、当時「石田 芳夫」っちゅう強え棋士に憧れて、「Yoshio」と名付けたそうじゃ。ホンマは囲碁を教えたかったようじゃが、わしゃ〜才能無かったの〜(申し訳ない笑)。将棋や麻雀は はまったけどの〜('ω')
生まれて2年後の場面・・・親父の実家:西条に寄った際、「牛」と戯れる(^^)v【写真2・3】⇒ 母のコメント『西条の牛と伴に 48年度 牛年なので ちょっとおつきあい.』
私が生まれる十年前まで「牛に鋤(すき)を引かせて田起こし しとった」と西条のじいちゃんは言うとった。「牛」は農家にとって田んぼの神じゃったんよ。物心つく頃にはトラクターに代わっとった。
しばらくは子牛を飼うて、大きゅうしちゃあ売って、家計の足しにしとったらしい。後で聞いたんけど、親父の学費にも充てたんじゃと。
そのお陰で親父も教員になれたけえ、牛さんには頭上がらんわ。感謝、感謝。。
カープの松山が活躍した時、「鹿児島のじっちゃん、ばあちゃん、俺やったよ‼」・・・牛や田んぼを売って、学費を工面してくれたらしい。
人間に尽くして、ドナドナ売られて、肉まで捧げる「牛」さんのことを忘れんようにせんといけんよのう。
地元のお山から田んぼを眺めながら「牛」さんのことを思い出すんよ。。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する