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「断アレ」中と言いながら、チョッとだけ..といつもの言い訳しながら「ほろ酔い」加減の時分にボンヤリ何かの番組見てると。。
脚本家:倉本聰が、加藤浩次の問いに答える自叙伝的な内容じゃった。
加藤「人生で一番、美味かったモノは何ですか❓」
倉本「人間、腹が減って食うものは絶対にうまい! 終戦後に引き上げて食べたあのバター醤油ライスの味は未だに忘れられません。うまかった。。」
やっとの想いで引き上げて来た東京は焼け野原・・・ GHQ監修の元、「食事券」なるものが配給されとったらしい🤔
数枚綴りの食事券は、現在の食事クーポンみたいな生易しいモンじゃなく、「最低限」の生きる糧(かて)。
想像するに、一日一食もままならん時代に「食欲」に屈し、倍量の2枚以上を費やしてしまうと「明日」が保証されぬシビアさを感じる😰
倉本さんは空腹に耐え兼ね、「なけなし」の1枚を切り、六本木の食堂で「バターライス」を注文する。 醤油はセルフとのコトじゃったが、わずかな量じゃったろうの(*´з`) 情景を想像し、ジ〜ンと来た。
今風に言えば、誰も魅力を感じそうにない「バターライス」が一番旨かった時代があったんじゃの。。
とっくに死んだうちのじいちゃんに言わせれば、「銀シャリ食えるだけ、まだマシじゃ('ω') ワシらん頃は農家やっとっても、米は全部 お国に徴集されとったし、戦後しばらく 肉と魚が食えるんは、盆と正月と祭りだけじゃった」と言ってたのをリアルに思い出した。 ※わしの地元:西条は山々に囲まれた盆地じゃけぇ、その肉と魚も塩漬けの辛いモンじゃったらしい・・・。
わしは昭和46年 第二時ベビーブーム 高度経済成長期 TVゲーム⇒ファミコン⇒ウィンドウズ 物質的豊かさに恵まれた世代。 旨い不味いはあっても、これ以上ないくらい腹減ったコトも食うモンに困ったコトも無い。
倉本さんが言われた「バターライス」を味わう訳も無い。。
今まで食べた中で一番 美味かったモンは何じゃろう❓ 実は1時間近く思い返した🤔
わし。。地元は西条じゃが、生まれは(福山市)「ぬまくま」😇 僻地を巡る教員やってた(亡)親父が、とある赴任先で母と結婚。 長男のわしは難産じゃったらしい(+o+)
産婆さんに尽力して頂いたが、逆子で産声も上げぬまま救急搬送💨
両親の下宿先:沼隈のじいちゃん・ばあちゃんに可愛がってもろうた🙏
小学生になり、3年か4年か忘れたが、初めて一人で(当時)国鉄山陽本線:西条〜松永を旅し 駅に下りた時、沼隈のばあちゃんが迎えに来てくれとった。
「安堵」したのを今でもハッキリ覚えとる🤗
沼隈のじいちゃん・ばあちゃんは、福山特産のイグサを「畳」に仕立てるのが家業じゃった。 今でも思い出すイグサの香り♪
じいちゃんは中気(今風には脳血管疾患)を患い言語が不自由じゃったが、自宅近くの側溝で、たこ紐に沢庵を縛った仕掛けでサワガニが釣れるコトを教えてくれた('ω')ノ
ばあちゃんは「よう来てくれたね〜 Yoshioくん(^^)」と歓迎されつつ、行商で来たおじさんからピチピチの「シャコ」を沢山買ってくれた。
シャコを湯がいて、すり鉢で砂糖などとゴリゴリ摺り合わせる💦 錦糸卵・サヤインゲンetc.と飾り付けられた「バラ寿司」に「これでもかっ」ってくらいにシャコの『エビ粉』を振りまいてくれた✨
その ばあちゃんは、3年前、99歳で天寿を全うしたと半年後に聞く。
98歳(数えで白寿)で訪ねた時は、デイサービスに通いながらも元気じゃった(^O^)
もう、あの「エビ粉」レシピを教わるコトは叶わんが、「ばあちゃん、ありがとう。人生で一番うまかったよ⭐⭐⭐」
2025に「ぬまくま」のじいちゃん・ばあちゃんの墓参りをしたいと思った。
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