国土地理院は仕事が早いですね。
日曜日に申し込んだのに火曜日には手元に地図が届きました。
古地図を読んでわかったことを書きます。
カケスバタ口についてはスカイライン登山区間の現地調査をした情報と、スカイラインのできる前当時の伝聞の情報も加えます。
【カケスバタ口登山道】
昭和45年改測の地図からはカケスバタ口も村山口も消されている。
昭和3年の地図には両方存在する。
カケスバタ口の馬返しは二合目より高いところにある。
天照教の林道入り口を通るルートではなく、北山林道付近から上がるルートが正解のようだ。
このページをみると東側ルートが正解にみえるが、地形図では西側ルートに表口登山道と書かれている。
http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/jimusyo/fujiazami/fujiazami_64/fa64-2.html
こっちの地図(昭和21年)の道の形とも比べてみるが、やはり西側ルートが正解だと思う。
ttp://www.fjsan.net/fjskijyous21a.jpg
69歳の人に聞きた話だと、学生の頃は一合目までしかバスがきていなかったとのこと。
後に二合目までバスでいけるようになったとのこと。
水場があると聞いていたが、昭和42年の静岡県登山ハイキングコース147選という本にも二合目付近で遊水地とマップにかかれている。
やはり水場があるのだ。
二合目から先はスカイラインに繋がるまで割りとしっかりしているとのこと。
スカイラインに沿って上がる区間について昨日現地調査&軽く登ってみたが、道はわかりやすい。(というか地形的に選択肢がない)
下のほうはピンク色のマーキングがしてあったし素直に登れるかも。
最後登りつめるとスカイラインのバス停西のカーブに出るが、その西のカーブの裏側に今は使われない木製の階段が壊れたまま放置されていた。
何かしらルートであった可能性は高いと思う。
天照教の林道入り口より南は玉穂財産区。
それより東側にあるミニチュア鳥居の踏み跡はすぐ東へ反れて吉原林道に連結する様子。←カケスバタとは関係なかった。
大宮間伐林道から二合目林道までの区間はわかりにくいが、それ以外の区間は割りと簡単に全行程が判明するかもしれない。
【上井出口登山道】
この道は昭和初期に作られたというが、それ以前にも一部区間以外は描かれている。
この道が上井出口ですよとはかかれていないが、一番合理的な道がたぶんそうだろう。
上井出口に関しては情報をもっている人がいるので、ここであってますか?と位置を確認すれば裏付けがとれる。
1/25000上で位置が確認できるので、地形を読みつつすすめばルートのトレースはできると思う。
ルートの目印になるような人工物が少ないのでカケスバタ口より難易度は高そう。
【西口登山道】(人穴口?)
昭和4年発行の書籍にあるとかかれているが、昭和3年測図の1/25000にはそれらしき道が存在しない。
人穴地区からの道は全て精進口の方面に向いてしまう。
残念ながら国土地理院の地図からこの道を探るのは無理そう。
人穴より少し南の地域から伸びる道はあるので、もしこれのことを言うならトレース可能だけど人穴浅間神社からかなり遠くなるので違うと思う。
【山中口登山道】
昭和初期の1/25000地図に山中口らしきルートが確認できた。
ttp://www.fjsan.net/fjskijyous21a.jpg
この地図の山中口登山道の位置とほぼ一緒のルート。
ただしルートの殆どが北富士演習場内なので自衛隊員以外トレース不可能。
場所はわかるのに歩けない。
【須山口登山道】
今ある須山自然歩道と全然違う場所を通過している。
少なくとも明治昭和の時点(おそらく宝永山噴火後の時代)では、今みたいにカンス山のそばや水ヶ塚を経由していない。
東富士演習場をつっきり、次郎右衛門塚の西を通過し、今の須山下山歩道(御胎内)を経由して、御殿場の二合八勺に接続する。
というか須山の二合八勺に御殿場が接続して、御殿場のほうが人が多くなったのだ。
(こちらの地図だと大宮口のほうに接続しているが)
ttp://www.fjsan.net/fjskijyous21a.jpg
このルートなら須山の御胎内がルートからだいぶ離れた場所にあることに説明がつく。
御胎内を経由するほうが正規ルートなら自然だ。
しかし宝永噴火以前の話を持ち出すと難しくなる。
須山口は宝永噴火にて廃れた道。
宝永噴火後に宝永火口をよけて道を作ったのが御殿場と接続する道のはずだ。
本来はもっと西よりだったかもしれないし、水ヶ塚も通っていたかもしれない。
弁当場という水場は今のルート上にある。
須山御胎内と弁当場、この両方が一つのルートで繋がらない。
御胎内は風穴で、弁当場は水場だから、簡単に移動できるものではない。
このへんの判別は資料館で昔の文献を探すしかないと思う。
しかし宝永噴火以前の地図というのは厳しいものがあるなぁ。
【御殿場口登山道】
御殿場新五合目は昔でいう何合目か。
答え 一合目より低い
大石茶屋ですら一合目より低い
ちなみに須走の五合目駐車場は当時の二合目、富士宮は四合目だった。
御殿場口は成り立ちが新しいし、車でいける範囲もさほどかわっていないので代わり映えはない。
【須走口登山道】
小富士の高さは二合目だった。
ふじあざみラインの途中に現れる二合目の看板はインチキだろう。
当時の道はグランドキャニオン〜小富士ルートを通っていない。
今のふじあざみラインに近い位置を登っている。
前からあったグランドキャニオンルートより道路側に小山町が整備した富士箱根トレイルの道があるので、そちらのほうが本来の道に近いだろう。
【精進口登山道】
明治の地図には存在しない。昭和の地図には今と違わぬ姿である。
【船津口登山道】
逆に時代が進むと消えていく。
その後バスが通り三合目以下は復興していく。
そしてスバルラインができて再び廃れる。
本来の船津口は精進口の四合目に連結している。
(というか精進口が船津口に連結した。)
それは今の1/25000にも描かれている。
山と高原の地図に描かれた船津ルートは三合目に連結しているが、
これはバスが三合目まで走った頃の道であり林道歩きになる。
【村山口登山道】
下のほうは復興された道と若干違うようだが、概ねあっている。
多少外れるのは仕方ないだろう。
【吉田口登山道】
今とほぼ変わっていないはず。
今ある道はだいたい歩いたので
残るは船津、カケスバタ、上井出、人穴、山中湖。
山中湖はいけないので船津とカケスバタと上井出登ったら一段落ですかね。
どの道もある程度は地形図読めないとまずいですね。
人穴は地図があればいってみたいですね。
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