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河津桜が散り始め、染井吉野が咲くまでの期間は、毎年桜を探すのに苦労する。玉川野毛町公園の野毛大塚古墳前の広場には河津桜🌸がまだ咲いてたけど、多摩川台公園の河津桜🌸はほぼ散ってた。
#花見ラン #咲くラン #河津桜 #朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルはマイケル・ルイス『マネーボール』の続き。
ビリー・ビーンは誰もがうなるようなポテンシャルの持ち主だった。が、かれの類まれなポテンシャルは、ベースボール向きではなかった。それ以上でもそれ以下でもない。それだけの話だ。競技に求められる能力とうまくマッチングしたときだけ、ポテンシャルは大輪の花を咲かせる。じゃあ、適性はどう判断すればいい? それを裏付けるのは、目利き(スカウト)の経験や想像力、予測力ではなく、実績だ。過去のデータ以上に適性の有無を物語るものはない。バイアスのある人間は、ポテンシャルには目を向けるが、そのポテンシャルがどういう状況で開花し、また開花しなかったかという実績を客観視することはできない。セイバーメトリクスはそこに光を当てた。
ビリー・ビーンは短かったメジャーリーグ人生を通じて、自分の適性のなさを思い知らされた。短気ですぐモノにあたり、ちょっとしたことで落ち込む不安定なかれのメンタルと、プライドだけが高くて、謙虚になってみずからの欠点を直視できないかれの性格は、メジャーリーガー向きではなかった。だから、かれを「ポテンシャルの塊」と持ち上げ、偉大なメジャーリーガーになると吹聴した連中に復讐することを考えた。おまえらの「目」と「長年の勘」なんて意味がない。どころか、百害あって一利なしの無用の長物だ。必要なのはデータ、データ、データ。過去の実績こそが、その選手の真の実力を把握するための唯一の手段だ。ビリー・ビーンの執念が、長年無風状態だった野球界の常識を変えていく。
「スポーツ精神医学とは松葉杖のようなもので、解決策ではなく、なぜうまく行かないかの言い訳にすぎない。精神医学が必要だと思った時点で、じつは胸のうちに何か弱さがあり、それが成功を妨げている。べつに。性格に根本的な欠陥があるわけじゃなくて、野球に向かない性格だというだけだ」「誰の責任でもない。たんに、わたしには適性がなかったんだ」
「アルダーソンは、軍隊流の厳格さで、打撃の鉄則を組織全体に浸透させた。鉄則は3つ。
1 打者はすべて、一番バッターの気構えで打席に入り、出塁を最大の目標とせよ。
2 打者はすべて、ホームランを放つパワーを養え。本塁打の可能性が高ければ、相手ピッチャーは慎重になるので、四球が増え、出塁率が上がる。
3 プロ野球選手になれるだけの天賦の才がある以上、打撃は肉体面より精神面に深くかかわっていると心得よ。少なくとも、教わることができるのは、精神的な要素のみである。
1995年までに、アルダーソンは、出塁率というたった1種類のデータを軸にした新たな〝球団文化〟を作り上げた。この文化の基本原則によると、得点を入れることは技術や才能ではなく、手順なのだ。手順を当たり前のものとして日常化し、ベルトコンベア式に各選手が順々に役目を果たしていけば、世間の水準よりはるかに低い労働賃金でチームの得点力を向上できる」
サイバーメトリクスの生みの親、ビル・ジェイムズのエラー観。エラーの記録など、守備能力をはかるには何の意味もないと断言する。
「エラーとは何か? 第三者の目から見て、いまのはもっとまともにプレーできたはずだということを表す、スポーツの世界において唯一主観的なデータにほかならない。試合後のロッカールームで話題に出るような、あそこでああすればよかったのに、という指摘だ。……バスケットボールのスコアラーもたしかにエラーを記録するが、このエラーは、敵にボールが渡ったことを表しており、客観的な事実の記録である。……ところが野球のエラーは、実際には行われなかったプレーをスコアラーが思い浮かべて比較し、判断を下す。まったく異例な〝参考意見の記録〟なのである」
「エラーをするのは、何か的確なことをした場合にかぎられる。正面に来たボールを落としたとしても、それは、的確な位置に守っていたから正面に来たのである」(エラーを減らしたければ、無理にボールを追わないほうがいいという逆説的な結論まで出てしまう)
「3万人の観客と数百万人のテレビ視聴者が見守るなか、選手をまったく間違って値踏みするなどということが堂々と行われているとすれば、ほかの目立たない業界でっはなおさら、個人の価値がいいかげんに扱われているのではあるまいか? 華々しいメジャーリーガーでさえ過大評価されたり過小評価されたりしているのなら、そうでない人間がいるのだろうか? もしかすると、野球選手を格付けするために使われているデータはまだ正確なほうで、野球以外の分野の人々はもっととんでもない尺度で測られているのかもしれない……」
おもしろいのは、データ分析によって選手の能力をはかるセイバーメトリクスは当初、その恩恵を最も受けるはずの球団からはそっぽを向かれ、お金を払ってデータを買うという行為に最初に手を染めたのは、100万単位の野球ファンが楽しんだというロティッツセリー野球ゲーム(幻術と仮想を組み合わせたシミュレーションゲームで、実在の野球選手を集めて自分のチームをつくり、毎朝、その選手たちの前夜の成績を調べ、自分の仮想チームがどんな試合をしたかを算出)のプレイヤーであるアマチュアだったという点だ。素人のにわかゼネラルマネジャーたちのほうが、現実のGMよりも先に、データに意義を見出したわけ。
「競争の激しい市場分野では、普通、テクノロジーをいち早く理解した者が優位に立つ。資本主義ではそうだった。野球界も同じであるはずだった。分析という名の魔法をあやつる技術者が、球団の運営責任者として頭角を現してもいいはずだった。ちょうど、ウォール街でコンピュータエンジニアが幅を利かせたように……」
野球界に市場原理が働かなかったのは、野球界独特の数々の商習慣が市場メカニズムを邪魔する阻害要因となっていたからで、データの利活用が素人から始まったとはいえ、いったん市場に取り込まれれば、あっというまにデータ分析によるドラフト指名は多くの球団に浸透し、当初の優位性は失われていく。神の手が働き、均衡点にむかって収束していくからだ。
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