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前半の2キロ強、SUUNTOのログが録れてなかった。連日のポカポカ陽気のせいで染井吉野🌸が葉桜になりつつあったところに昨晩の嵐で、だいぶ花が散ってしまった。八重桜はこれからが本番だけど、八重桜の名所というと、桜新町の駅前通りくらいしか思い浮かばない。
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オーディブルは志村真幸『未完の天才 南方熊楠』を今朝から聞き始める。
フィクションの熊楠伝を聞いた直後に、熊楠研究者によるノンフィクションの評伝を聞くと、どこまでが明らかになった事実でどこからが創作か、その境目が見えるようで、それはそれで興味深い。が、続けざまに読むと、どうしてもフィクションの軽さというか、作り物感が透けて見えてしまうので、小説好きには向かない楽しみ方かもしれない。ノンフィクションでは事実と仮説(想像)を区別しないとウソになってしまうが、事実をつきつめても埋まらない空白を想像力で埋めるのがフィクションの醍醐味なのだから、それ自体は否定するようなものでもない。それは重々承知のうえで、だけど、自分はやっぱりノンフィクションのほうがしっくりくる。とはいえ、ノンフィクションでも事実とエピソードを羅列しただけの無味乾燥な作品は読んで楽しいものではない。一方で、フィクションの書き手でも、たとえば森鴎外の『渋江抽斎』のようにノンフィクションの手法を取り入れることはできるわけで、そのあたりのさじ加減がむずかしい。その点、この本はただ時系列にエピソードを連ねただけの評伝ではなく、テーマごとに熊楠の謎に迫る体裁をとっているので、聞いていて飽きない。
たとえば、熊楠の幼少時の神童ぶりを表すエピソードとして必ず紹介される、親に買ってもらえなかった百科事典全巻を丸暗記して家に帰ってから書き写したという話は、第1章であっさり「話を盛りすぎ」だと喝破される。和漢三才図会を抜書したのは事実だが、現存しているのは全105巻のうちの43巻。あと5巻ほどは書写された記録があるようだが、全巻制覇とはいかなかったそうだ。しかも、原本を借りて自宅で書写したという。その日読んだ分をそっくり記憶して家に帰ってから文字に記したというのは、熊楠の創作らしい。さもありなん。だが、話はここで終わらない。熊楠がすごいのは、一度書き写したものについては、どこに何が書かれていたか、正確に記憶していたことだという。だから、古今東西の文献から関連する話を即座に引用できたのだ。書くことは記憶すること。語学の天才と呼ばれる熊楠だが、すべて手を動かして書写することで覚えたというのだから、その記憶力はハンパない。英語をマスターしたのちは、対訳本を丸写しすることで、次の言語をモノにしていったようだ。
娘の文枝による回想「父はいつも私どもに、『本を五度読み返すならば代りに二度写筆せよ、そして毎日必ず日記を怠るな』と教えてくれました。父は幼少の頃からすべて写筆と日記をつけることにより記憶力を養ったようです」
書き写すことは記憶すること(インプット)、日記を書くことは考えること(アウトプット)。言葉を自分のモノにするには、大量のインプットと大量のアウトプットが欠かせない。ある閾値を超えれば、量は質を凌駕する。文法や修辞法をこねくりまわすくらいなら、全文丸写しのほうがじつは即効性が高いことは、プログラム初学者にいまだに「写経」が有効なことと無関係ではない。
自分がオーディブルで聞いた本や読んだ本の気になるところを、コピペではなく、しつこいくらいに手入力しているのも、まったく同じ理由から。記憶力に自信がない自分は、こうでもしないと、文字はするする流れ去るだけで、少しも頭に残らない。書くこと(手を動かして入力すること)で、ようやく記憶の片隅に、ぼんやりとではあっても、それが残るようになると知ったのは、ずいぶんあとになってからだ。書くことは記憶すること。記憶したものは、ある事象と別の事象のあいだにつながりを発見するときの材料となる。たくさんネタを仕込んでおけば、それだけ、新しい事象に触れたときに発火する確率が上がる。「これって、あれとおんなじことだよね」「あの話をここですれば、話題がもっと広がりそう」「あの話をこれとくっつければ、突破口が開ける」というのは、すべて、最初の発火点(共通項、類似点)に気づくかどうかで決まる。
昔の人は博覧強記な人が多いが、それはこの丸写し、素読が有効だったことの証左だろう。ポイントだけかいつまんで、要領よく覚えるだけでは身につかない教養というのは、確実にある。外部記憶が発達した時代に丸暗記なんて、という人は、AIに質問するときの最初の直感の価値を軽んじている。ひらめきがなければ、そもそも、そんな質問すら思いつかないのだから。
米国留学中に熊楠の部屋の壁に掲げられた人物名:アリストテレス、プリニウス、ライプニッツ、ゲスナー(スイスの博物学者)、リンネ、ダーウィン、ハーバート・スペンサー、新井白石、滝沢馬琴。
大英博物館のリーディング・ルーム(閲覧室。のちに独立して大英図書館となる)で過ごす日々は熊楠にとってことのほか楽しい時間だったらしく、晩年になっても文枝に「もう一度リーディング・ルームに戻りたい」と漏らしている。このときの記録は「ロンドン抜書」と呼ばれる全52冊のノートに残る。インターネットのなかった時代、リーディング・ルームは知の宝庫そのものであり、カール・マルクスは30年以上もここに通ってノートを取り、資本論を書き上げた。孫文も9か月間に渡ってここに通い、熊楠とも親交を深めたという。
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