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2018年07月28日 10:12山の雑学全体に公開

不思議? 日本列島「谷と沢」の違い

【 不思議と言えば不思議
    日本列島「谷と沢」の住み分け違い 】

山を知り尽くした岳人なら「涸沢・滝谷」と問われれば、迷うことなく「穂高」の岩稜に思いを巡らす岳人にとっては神々しい聖地。

信州側の涸沢から穂高の頂きを踏破し、稜線を越えれば飛騨の国となる。
信州側からみた穂高の山間、夢のような氷河渓谷の呼び名が「涸沢」
その涸沢から北穂高の頂きを制覇し、西の飛騨側の渓谷を見下ろす谷間の呼び名が「滝谷」に変わる。即ち”沢から谷に”名称が変化する。
稜線を跨いだだけで「沢」が「谷」に名称が変わるその変わりみの速さ。なぜ!?

ちなみに「谷(たに)と沢(さわ)」の定義は?「広辞苑」をひも解くと。
【山や丘、尾根、山脈に挟まれた、周囲より標高の低い箇所が細長く溝状に伸びた地形のこと。渓、谿とも表記される山の間のくぼんだところ。地表の隆起部の間の細長い凹地】 
         
冒頭「涸沢」と「滝谷」を引き合いに出したが、なにを言いたいのかといいますと、同じ穂高の山なのに稜線を越えて飛騨側に入った途端、一転、日本列島西側の「沢」が「谷」に名称が変わるという事実。
北陸、長野、箱根以北を北上すれば、西国の「谷」のほぼすべてが「沢」に宗旨替え。

若かりし頃関西に暮らし、西国の山中を駆け巡っていた頃、どこもかしこも「○△谷」「谷・谷・谷、・・・」
が、箱根を超え東国に来た途端「谷」は消え失せ、どこもかしこも「沢・沢・沢・・・」不思議だな〜と思いつつ時は過ぎて・・・。

先日「谷」と「沢」に関する面白い地図を目にし一筆啓上。
添付した「谷」「沢」色別図をご覧あれ(赤=谷の数 青=沢の数)
たとえば青色、東北・岩手県の「沢」の数1100「谷」が僅か3の。かたや関西・和歌山県の「沢」の数0で「谷」が193。

ちなみに東北〜北陸の地名の三沢・金沢・湯沢・藤沢・尾花沢・水沢、等々の「沢」は、アイヌ語の『内・ナイ』(川を意味する)と同じ意味合いである。

添付した地図の色別で見えるように、東西が長野と岐阜を境に沢と谷が傍目に分かるほど一目瞭然”「谷」に名称が変化”
嘘だとお思いなら、手持ちの関西と東国の二万五千分の1の山の地図をご覧あれ「あっ ホントウだ!」と納得戴けるはず。

当然なぜ???、と疑問が生じますね。実は確固たる理由が分かっていないのです。
ただ奈良時代、大和朝廷が確立されたころ、文化的に優位な機内からみれば東国地域は蛮族(蝦夷)物の怪(もののけ)妖怪の住む僻地。
ちなみに「畿内」の意味は”大和朝廷の文化領域を指す”ことから「畿内」
東国はこの時期、大和朝廷の御威光が未だ押し寄せていなかったのでしょう。ここまで述べれば、日本の文化・歴史の大好き人は「ハハ〜ン」と”なにか”を察したはず。

結論を述べれば・・・・・。
多分?「沢」は「狩猟民族・縄文文化圏」対して、谷は「稲作・弥生文化〜大和文化圏」の臭いを嗅ぎ分けて。
「沢」「谷」の、東西語源文化領域の違いを分けた原点は”ここに”あったのではと素人なりに推理してみた。

これ以上「沢」「谷」を考察、述べていきますと限りなく長いものに・・・。面倒なのでここで「谷」「沢」のお話は強制打ち切り。あとは皆さんで推理ご勉強を。
それにしても添付地図を眺めれば、面白いように「谷」「沢」が住み分けされておりますね。

※追記 「千葉県」だけ東西住み分け地図で「赤」に変化しているるが、対称が一つだけなので参考になりませんね。この一つ、もしかし紀州人が”名付け親瓩な?千葉沿岸部は江戸時代紀州の猟師が鰯を求めて家族もろとも多くの紀州人が移り住んだ地。それでと推理してみた。

【写真説明】
左=「谷」「沢」の東西住み分け地名比率図
中=穂高「涸沢」(信州側)
右=穂高「滝谷」(飛騨側)
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