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古くから開山されたお山には、山の頂きや山腹に祠や神社仏閣が祀られている。
長い間山歩きをしているなかで、前々から気になっている年号がある。『大同二年』の年号である。
西日本は知らねど、関東以北の山野を駆け巡るなかで、山麓、山頂の神社仏閣を訪ねると、なぜか『大同二年創建』由来書きが目白押し。
茨城県最高峰の「八溝山」」山頂の八溝嶺神社は、大同二年に空海が訪れた伝承が。そして山腹の日輪寺の創建が大同二年。
八溝の北、棚倉町「八槻都々古別神社」「馬場都都古分気神社」 那珂川町「鷲子山神社」がいずれも大同二年創建。
岩手「早池峰神社」の創建も大同二年。京都「清水寺」群馬・赤城山「赤木神社」創建も大同二年。日光男体山、昌道上人の旱魃祈願も大同二年。
那須茶臼岳、磐梯山、燧ケ岳、蔵王刈田岳、の噴火伝承も大同二年。(地質学的に大同二年噴火説になんら根拠がないそうな)
秋田森吉山、茨城八溝山の鬼退治も大同二年。(この鬼とは土着の蝦夷を指すのだろう?)
東北各地の山の、金山銀山の開抗も大同年間銘が多々みられる。いやはや枚挙に限りがない。(枚挙にいとまがないので以下省略)
これらの開山、開基由緒書には必ずといっていいほどそこに坂上田村麻呂、空海(弘法大師)が顔を出す。
ちなみに空海が大陸から帰ったのが大同一年。坂上田村麻呂の蝦夷征伐から二年後のことである。
さすがに西日本は坂上田村麻呂こそ顔を出さないが、こちらは空海さんの大同年間伝承が目白押し。
宮城県地方には「秋風や大同二年の跡を見ん」の俳句さえある。
民俗学の柳田國男は「・・・大同年間は神社仏閣の創建の非常に多い年号・・・」と述べている。しかもこれらの伝承の全てが山に深くかかわっている云々と記している。
不思議といえば不思議、なぜだろう?と前々から首を傾げておりましたらようやくその謎解きが・・・。
『大同二年の怪』の謎解きは・・・。
大同二年の伝承が、全て山に深く関わる真言密教の宗教的性格を帯びていることから、大同二年の伝承を伝え歩いたのは彼ら山岳密教修行者であろう。
彼らは加えて山中を歩きまわることから金、銀、鉱山を嗅ぎ分ける技術も持っていたと学者先生は唱えている。 と、すれば、奥州の金山を見つけたのも彼らであろうか?
奥州の山深く駆け巡った修験者は、密教の“行”もあろうが、意外と京(みやこ)の意向を汲んだ大伽藍建設に欠かせぬ黄金探索の役目(山師)も担っていたのではなかろうか?
中世、室町時代に「高野聖」が山伏風の独特の風態で全国を行脚し、お大師(空海)信仰を全国にひろめ説いたと司馬遼太郎の著書の中で呼んだことがある。
そうだとすれば全国各地の“大同二年伝承”も「高野聖」が、おおいいに関わっていたことは推察できる。
大同年間伝承は「空海」真言密教の善行をほめたたえ、全国に布教し密教の宣伝伝承であると・・・。その結果が爆発的な「大同二年説」伝承に・・・。(私の推理)
皆さんも『大同二年』を脳裏に抱き、お山や神社仏閣を巡り、チラッと由来書きを覗いて見て下さい。そこには多くの「大同二年」を目にするはず。
-tokusan-さん、こんにちわ。
大同二年 伝承の怪。興味深く
拝見しました。こういうの大好きです。
全国に行基や空海所縁の伝説が
残ってますが、東北地方の寺社の開基が
揃えたように同じってのは、
本当にそうなのか、それとも
揃えただけなのか、興味が湧くところです。
(⌒▽⌒)
k-yamane さん今晩は。近所の一本の河津桜も花満開となり、春まじか。
大同二年説は、文の末尾に記したように、室町期「真言密教修験者」が全国に行脚し広めたようですね。空海伝説、真言密教の信者教え拡散。
「空海」が杖で地面を突くと温泉が湧きだし、清らかな清水が湧きだし・・・。などなど。
当時のこと。信心深い民衆には、この手の話は、信者獲得の手段に大いに発揮したのでしょうね。
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