「単独行」 なんと魅惑的な文言でありましょうか。自然のノスタルジーを求めて。自己の冒険心を満足させるため。山のコレクション(数)を増やすため。 単独行での、山の彷徨い歩きで得られる浪漫。
単独行はすべて自分の判断で処理を強いられ常に緊張を強いられる。
だが、単独行の味を覚えると、意外と心楽しく安らぎを覚え、気ままな山旅が味わえる。
仲間とワイワイガヤガヤ登るのと違い、しっとりと山懐に飛び込み、自然と密接に触れ合うことができ、煩わしい人間関係に疲れたときは、単独行は一服の清涼感となる。単独行の魅力は一人っきりの時間を満喫できることでしょうか。
”単独行”を「自己の確立を求める結果として単独登山、単独行というジャンルが生まれた」と記されている。 なにやら一見カッコイイお言葉だがはたしてそうかな?
私がよく山で出会う単独登山者はとても“気高い孤高の人”という雰囲気の方はめったに遭遇しないが・・・。
仲間と連れ立っての山登りとなると、つい人任せが芽生え、仲間と楽しく登ることだけに面白さ、楽しさを感じているのでは?と思ってしまうが・・・。
『アラスカの掟』を聞いたことがありませんか。
曰く、単独行は本人の責任、氷河の水を飲んでお腹を壊しても、熊の餌食になっても、みな自分自身の責任。野垂れ死にしても誰も同情しない。何が起きても、是が非でも生きて帰る術を自分で探す。そんなことで、単独行を目指す人は臆病な人のほうが適任なのだと・・・。
単独行を実践積み重ねてゆくと”単独行のノウハウ”が身についてくる。装備準備にソツがなく、行く前に山を細かく調べ、地図を読み取り。よく確認し、いつでも引き返し安全を図る気持ちがわくことでしょうか。臆病と戦い 常に山を眺める癖がつく。
こんばんは。
私も、いつも単独です。20年ぐらい前までは息子を連れて藪を漕いでいましたが、厳密には相方が小学生では、ほとんど単独の様なものでした。枯れ葉がひらりと落ちる音にも、心臓がバクバクしてしまったり、「迷ったかな?」と地形を掴もうと高い木によじ登ったり。。。30年以上こんな山をしていると、もう他人とは歩けなくなってしまいます。最近女房が、あの山へ連れて行け、あそこは紅葉が綺麗らしいョ。と、うっとおしいことこの上無い。
夜分失礼しました。
「単独行」を偉そうに能書き書き連ねましたが、私もだいぶ前から一人山旅がいつもの倣い。
昔は仲間9人ほどで「裏山温泉探索隊」なる名をつけ、隊長におさまり、冬山をいとわず山歩きを楽しんでおりました。ちなみに山名の”裏山”は、ブームになった百名山以外の、人の来ない静かな山を歩こうとの意味で”裏山・・・”と。 山仲間は皆私同様天邪鬼でしたから・・・。
ただ、隊長の手前、何かと準備、計画等々面倒なことも多々多し。
時が過ぎ…。今ではもっぱら独りボッチ。単独行を味わうと、その美味しさにドップリはまり。自然全て我ひとり。行くも、止めるも自由自在。
計画なんざいい加減。車に荷を積み出発進行。車を走らせながら「まず北にでも・・・」ってなことで。
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