人間のもって生まれた本能から、歩くことは本来楽しいことなのに、山登りに誘うと、大概の人は「山に登ると足が疲れる」「息が切れて体がもたない」などと弱音を吐く。
ご先祖様(縄文人)は山野を歩き 飛び跳ね、食の糧を求め…。生活そのものが歩くことこそ大事なり。足を止めたら生きちゃいけない。そのため足腰の筋肉が進化発達。
そんなDNAを受け継いでいるはずなのに、文明が私たちを蝕み歩くことを億劫がらせている。
人間は本来歩く本能を持った動物だ。歩く本能を捨て、便利さ、合理性のみ追及することに。現代人は歩くのが下手で不精に慣れてしまったのかな(と偉そうに講釈を垂れているが、労せずわが身を運んでくれる山岳道やロープウェイは私のかけがえのない杖替わり。こんな便利な味を覚えたら・・・)
そんな古いことでもない明治以前、東海道53次は、1日33km 492kmを15日間で走破。みな歩くことを当たり前のように、なんとも思わず生活していた(と思いますよ)
昔は雲水も、山伏も 行者も芸人もよく歩いたものだ 歩くこと自体普通のこと。かのパスカルさんも言っていた「人間は歩く足である」と。(違ったかな)
さて、山歩きを試みるのも無駄ではない。山歩きは予想以上にバラエティーに富み、歩くことは体に快感を与え刺激を与えてくれる。思いがけない贅沢な遊びだとわかってくる。
雑踏を離れ、のどかな自然浸ってみたいと単純な思いでもかまわない。気張らず朝の散歩の延長と考えて歩いてみなさい。
一人で歩くのが寂しいのなら、四国お遍路さんのように、杖に(ストック)「同行二人」と書いて歩いたらいい。
クルマ生活に溺れ歩かなくなった現代人、昔の人に倣って歩かなければせっかくご先祖様から頂いた身を錆びつかせることに。
コロナ渦の渦中なれど、外出もせず一日机にかじりついていたら当然筋力は衰える。歩けば筋力、持久力がUPする。それに歩くことはお金がかからない。
体力をつけるために山を歩くのではなく、山を歩く結果体力が付く。
二本足があればだれでもできる。山歩きはもともと自然探訪の一分野。原野を歩き、原始生活?を楽しめば、ご先祖様(縄文人)のノスタルジーが蘇る。
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