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「日本でもっとも歩いた男」と問われれば、「ヤマレコ」訪問諸氏のどなたも、直ぐ脳裏に思い浮かべるは、歩いて日本国中の山々を制覇した田中陽希氏。
百名山=7800km 二百名山=8000km 三百名山=1万km超え total=およそ26000km超えでしょうか?
話は突如、千葉県香取市(旧佐原市)に我が身は降臨。
香取市はハナショウブの匂う水郷の町。大河、利根川を挟んでお隣は「潮来出島の まこもの中に 菖蒲咲くとはしをらしや」の水郷の町。
香取市から40km、利根川を下れば黒潮と千島海流が交わる銚子漁港。
香取市は利根川の支流、小野川に沿って土蔵造りの商家が軒を連ね、江戸情緒の名残り溢れた町だ。
回りくどくなったが、聡明な「ヤマレコ」の皆さんは「佐原」「日本でもっも歩いた男」の筋書きで「ハハ〜ン」”あのお方”を察したはず。
佐原を訪れた目的は、全国の海岸線を踏破実測し、日本地図『伊能図』を精密に作りあげた伊能忠敬の地である。忠敬の旧家と、遺品類を収めた記念館を訪問。
伊能忠敬は50歳で隠居。江戸に出て測量技術を会得。56歳から73歳で没するまで、測量隊を引き連れ全国を踏破し地図作りに専念。
忠敬が地図作りのために歩いた距離は約3万5千キロといわれる(記念館での受け売り)
江戸後期の平均寿命が40歳前後の時代、隠居した忠敬の歩いた距離が約3万5千キロってんだから驚異的。(地球一周4万km)
冒頭掲げた田中陽希氏も、忠敬の歩いた距離に畏怖ひれ伏し、のけ反ったとか、しなかったとか・・・。
ちなみに、かの「シーボルト事件」は、忠敬の作った国禁である日本地図を国外に持ち出そうとした事件。
伊能忠敬はてっきり佐原の地に眠っていると思っていましたら、大都会、上野駅のざわめきに包まれた「源空寺」に墓碑が。
伊能忠敬の足跡を知りたい方は 井上ひさし著「四千万歩の男」はお勧めだ。
・伊能忠敬記念館。 各地に見られる先人の石碑は、細かな偉業を書き記されるが、忠敬の碑は「この一歩から」のみ…。
・実家前の小野川 川沿いの商家
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