あれはまだ若くて元気があった頃、いや無知で無謀だったと言うべき頃か。
ある夏に四国へ行った時、急に思い立って石鎚山に登った。
朝6時頃、西条市の石鎚ロープウェイ乗り場近くに車を預けて登り始めた。駐車場のおばさんに、兄ちゃん虫おるから気いつけてと言われた。
大して気にも留めず歩き始めると虻が周りを飛び始めた。しかし登るに従って虻の数も減っていなくなった。な〜んだこんな事か、大袈裟な。と、この時は思った。
山頂の山小屋へは昼前着いた。山頂から東を見ると瓶ヶ森が間近に見えた。そうだ。どうせなら彼処まで行ってみよう。結果的にこれが58,800に繫がる無謀な決断だった。石鎚神社から西にある天狗岩には行かず土小屋へ回って林道を歩いて瓶ヶ森に着いたのが15時頃、そこから2時間ほど掛けて東之川と言う集落に降りた。夏の事だったのでまだ明るい。
東之川から駐車地の西之川へ向かって道路を歩き始めると悲劇が襲った。川沿いの道路、形容すれば黒くなる程の虻が周りを取り囲んだ。暑いのにTシャツの上に雨合羽を着て帽子を深く被り歩いたが、露出部分の首筋、手首、顔など刺される事、刺される事。やっとの思いで車に帰ったら夕方6時過ぎ。12時間かけた苦難の山歩きだった。
この時はまだGPS機器がある時代でも無く、初めて歩くコースを昭文社の地図だけを頼りに歩いた。しかし何故か歩く際に万歩計を付けていた。
当日の歩数が忘れもしない58,800余歩だった。遠い昔の事ながらこれだけは忘れられない思い出の数値となった。
因みに、現在、カシミールを使って多分歩いたと思うルートを作ると、歩行距離で30km程、累積標高は3,000m越えとなる。本当だろうか?今なら標高差1、000m、距離で20kmでも苦しいのに。
なお、当日の夜は足が熱を持ち寝られなかったのも思い出の一つである。
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