朝、梅谷集落から関ケ原古戦場に向かう東海自然歩道を歩いている時、何回かJR東海道線を横切るのに気が付き、数えてみた。
クイズです。 関ケ原付近で東海自然歩道は何回JR東海道線を横切るでしょう? イ)3回 ロ)5回 ハ)8回
関ケ原駅の一つ名古屋寄りは垂井駅である。地図を見ると垂井駅を通る鉄道には東海道本線(上り)と記されており、垂井駅の北側2〜3kmの所にある線路には東海道本線(下り)と記されている。東海自然歩道と何回も交差するのは主に東海道本線(下り)である。この線を走っているのは大垣駅から関ケ原駅に向かう特急列車と貨物列車で、特急列車が走っているので本線なのだろう。一方、関ケ原駅から垂井駅・大垣駅に行くのは東海道線本線(上り)だが、垂井駅から関ケ原駅に行くのは垂井線(関ケ原駅から大垣駅付近までの下りの通称)という事らしい。
歩いている時何回も列車に遭遇したので東海道線本線(下り)の使用頻度は高いようだ。
何故2本あるのか地元の人に聞いてみると、傾斜が急なので2本あるとの事だった。調べてみると、垂井駅の標高は約30m、関ケ原駅は120mで両駅の間隔は5.7kmで平均勾配は16(パーミル・1000分率)、部分的にはもっと勾配が大きくなるだろう。すると重い貨物列車は下り(垂井駅から関ケ原へ)は登れないが上り(線)は走れる。そこで、大垣から関ケ原駅まで大回りして傾斜の緩い下り線を作ったようだ。
以下私が歩いたとき東海自然歩道と線路と交差した時間を記す。また、交差地の写真の番号は以下の番号と同じである。
1. 10/31 13:12 円興寺の南
2. 10/31 13:46 国分寺跡の西
3. 11/1 8:18 垂井町岩手集落南
4. 11/1 8:35 菩提休憩所北東
5. 11/1 8:39 菩提休憩所前
6. 11.1 10:05 関ヶ原町大高
7. 11/1 11:47 関ヶ原開戦地の南 東海道線本線(上下線)跨線橋
8. 11/1 12:25 不破の関跡南 東海道新幹線
クイズの正解はハ)の8回である。数えた私も驚いた。
何故多いのだろ? 東海道線本線は上記の理由でこの場所に線路がある。
東海自然歩道を作った時、池田山麓の道、養老山麓の道を決め、その間は垂井駅付近を通る道とすれば直線になり、スッキリする。しかし、ぜひ関ケ原古戦場跡を通る道にしたいとの意見が多数を占めたのだろう。そこで、垂井から関ケ原へ迂回する道となった。垂井から関ケ原へは中山道が通っているが、自然歩道は街道とは違うので、池田山の山麓の道を真似て、東海自然歩道を作った。そこには東海道線本線があったので、何回も交差する事になった、というのが私の推理である。
早朝から歩き始めたが関ヶ原の町に入ったのは10時だった。東海自然歩道は関ケ原の町を大きくグルっと回るように作られている。しかし、今日中に松尾山を越えたいし、古戦場跡も訪れてみたい。そこで、「岡山烽火場」―「最後の決戦地」から「開戦地」―「不破の関跡」へと短絡路をとることにした。
不破の関跡で自転車旅の若者と話しながら腹ごしらえをし、12時半頃松尾山に向かった。約3時間の間、脇道はない。小早川秀秋何故こんな高い山に陣地を構えたのか考えながら歩いていると道を間違え、10分程往復する。小早川秀昭の怨念かもしれない。
13時半、松尾山山頂。遠くに関ケ原の町が見えるが遠く感じる。しかし、私が下から1時間できたのだから、小早川秀秋なら30分で戦場に行けるだろう。
松尾山の下山路は関ケ原の反対側で県道に出てからは急ぎ足で歩き、牧田一色のバス停に着いたのは15時半、バスの来る10分前だった。
歩行時間8.5時間、距離は22kmの長丁場だったが無事歩き終えた。
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