鉄道廃線跡歩きに初めて興味を持ったのは’87年、テレビのロードショーで「スタンド・バイ・ミー」を見た時。主人公たちが鉄橋を歩くシーンに触発され、同年夏に帰省時、まだフェンスが設置されてなかった、いの町のJR土讃線仁淀川橋梁を渡ってみたのですが、列車通過時は汽笛を鳴らされ、枕木が激しく揺れて怖い思いをしました。
その後、関西に戻ってからは、西宮市の旧国鉄福知山線旧線跡を歩いたきりでした。
四国の整備されている鉄道廃線跡の中で、最も高所を走るのは、愛媛県新居浜市の別子鉱山鉄道上部線で、基点の角石原駅跡(現、銅山峰ヒュッテ→土台がホーム跡)の標高は1160m。日本初の明治の山岳鉄道です。機関車車輛は部品の状態で下方の駅へ索道で揚げています。
地形図「別子銅山」にも廃線跡は破線で記載されていますが、その下方を並行する破線は鉱山の導水路です。私は帰路、その導水路の縁を通って回遊しましたが、縁が数十cmほどで手摺もなく、高い所では落差5mほどになっている箇所もあるため、歩くことはお勧めしません。
尚、廃線跡の途中から西赤石山(1626.1m)に上るルートがあり、分岐に道標が建っています。
次に高所を走るのは、徳島県三好市の大正林業索道森林軌道で、基点の標高は1130m。こちらも基点駅まで索道が張られており、腕山(1332.9m)周辺の木材や鉱山の鉱石を運搬していました。
廃線跡の距離は800mと短いので、廃線跡を往復した後、基点駅跡近くから腕山に登ればいいでしょう。
高所ではないものの、山奥の渓谷沿いで秘境感が漂うものでは、高知県仁淀川町の安居林用軌道が挙げられます。但し、整備されているのは終点近くのみ(標高700m前後)。尚、私は未整備区間でヤブ化していない箇所は全て踏査しています。
この軌道は先日、面河渓関係の山行記録で触れた安居渓谷沿いを遡っており、上流の整備区間は訪れる行楽客も稀で、各所の支流に架けられた鉄橋跡遊歩道橋から、美しい沢の流れを見下ろすことができます。
大滝(おおたび)神社の少々手前の広場が機関車の終点で、そこから更に奥には手押しトロッコ軌道が延びていました。
尚、地形図「筒上山」に記載されている、大滝神社から北の破線は軌道跡ではなく、筒上山(1859.3m)登山コースの一つ、手箱越の峠道です。軌道は大滝神社北方で対岸に渡っていました。
こんばんは。
当方、廃線跡といえば京都北山の芦生(あしう)の森、京大演習林のトロッコ跡くらいしか歩いたことありませんが、旧き良き遺構を訪ね、後世に伝えるのは素晴らしいことですね。がんばってください。
この30年程で、ローカル鉄道は激しく廃れていっていますよね。富山県などで、路面電車に新型欧風車両が導入されて見直されてはいますが、遅きに失した感は否めません。
今更エコを声高に叫ぶ政府/元与党には怒りさえ覚えます。石油が枯渇する事等、何十年も前からわかっている事なのですから、いくらモータリゼーションが発達しようが、鉄路を保存すべき手段はいくらでもあったはずです。
せめて、現状が失われない事を切望します。
sekitoriさん、コメント有難う御座います。
以前、廃線跡の書籍で京都の現役トロッコを見たのですが、芦生演習林には廃線区間もあるのでしょうか。それとも私の勘違いかも知れませんが。
現在、JR北海道が開発中の、線路走行可能なバスに、全国の自治体が注目していて、それが廃線寸前鉄道の救世主になるかも知れませんね。
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